前職のとき、高齢者家庭の防火診断に行ってました。

高齢者の定義が、65歳以上の年齢の人なので、今どき65歳なんて元気で、まだ仕事をしていたり、ゲートボールに忙しかったりで、訪問してもほとんどが不在でした。

たまにいても、「俺はまだ元気だ、消防の世話にならんでも大丈夫だ!」と軽くあしらわれることも多かったですね。

いきおい70代後半から80代という年齢の独居家庭に上がり込むことが多くなります。

ここで査察員が与える印象によって、上がり込むことを拒否されたり、たとえ部屋まで入っても、のちほど本当に消防職員だったのかという問い合わせの電話が署に入ったりすることもあります。

が、爽やかさと人情味をあふれさせた、いわゆるウォームハートのオーバーフロー状態のわたくしの場合、そんなケースは皆無でありました。

枯葉一枚落ちる様子を見ても涙したり、セミの死骸を見ても生死の無常に心を痛める、そんな非常に微細なさざ波のように優しい波動が相手に伝わるのか、訪問先の老人は一様にあたたかく私を迎え入れてくれました。

ほとんどの家庭で茶菓の接待がありましたが、そこは公務員たるわたくしです、かたくなに拒否しつつ、それでも相手の好意を無にすることが、果たして公僕たる我々の取るべき態度であるのか、厳粛に自分に問うてみた結果、せんべいの一枚二枚を口にしたこともあります。

正直に言うと、どこで出されても手を伸ばしておりました。

相手の安心感を得るためにはやむを得ないことなのです。

決して私が甘党だからというわけではないのです。

めったに見ることはありませんでしたが、以前放映されていた「ウルルン滞在記」でも現地の、いわゆるゲテモノ料理をも賞味することで、訪問先の方と心を通わせる様子が描写されていましたが、それと同様です。

せんべいをバリバリいわせて食べながら老人と談笑するひと時は、公務員の代表として地域住民と心の通った密なる交流に、自分ながら感動することしきりでした。

私は、母方の祖母に可愛がられ、私もすごく愛していたということもあって、祖母みたいに元気で明るいおばあちゃんと話すのがとても好きでした。

そんな人の住居は、一人住まいでも、部屋がとても明るく感じるのです。

ウワッハッハとおばあちゃんを大爆笑させつつ、火の元の点検などをしました。

そんな、とても可愛い明るいおばあちゃんと話すことは、消防業務の中でも楽しい仕事でした。

反対に、玄関に入るや、よどんだ気配が伝わる家庭も多いのです。

玄関に出て来た老人の顔をみると、もう露骨に拒絶の色があらわれていて、暗~い気配が立ち込めているのです。

それでも明るく、「体の調子はどうですか?」などと話しかけていくと、しだいに心を開いて来て、いろいろと自らの不遇を語りはじめます。

それをじっくり聴いていくうちに、都会に出て行って戻って来ない息子の話だとか、自由の利かない脚のことなどを話し始めます。

査察を終えて、話も聞き終わって帰る時には、涙ぐんで別れを惜しんでくれる人もいました。

これは実話ですが、家を出て振り返ると、両手を合わせて泣きながら頭を下げている人もいました。

自分ながら高すぎる人徳にめまいがしそうでした。

いずれ新しい宗教を興しそうです。

人は淋しさには弱いものだと痛感しました。

私の歌に「里帰り」という曲があり、都会に出て行った娘に母親が語るセリフに、
都会はなあ、こっちと違っていろんなことがあると思う

腹の立つことは我慢できても

淋しいのだけは我慢ができん

くたびれて淋して淋してかなわん時はなぁ、

いつでも帰ってくるだぞ

ええなあ。そん時はなぁ

おかあちゃんがごっつぉ(ご馳走)したるけえ
というのがありますが、ほんとに人間は淋しさには耐えられない生物なのだと思いました。

不平不満が病気の元になるように、淋しさでも病気になってしまうものだと感じました。

一人居りでも楽しく毎日を過ごす人がいる一方、夫婦健在でいながらよけい孤独になっている人もいる。

数十分いただけでも、そんなことが分かってしまいます。

愛する家族を大切にしないとなぁ、とあらためて思ったものです。

いずれ出て行く子供達を、もっともっと愛してやらないと、と。

それにしても、査察時に出された菓子もいろいろで、歯を立てようとしたとたんグニャとしなるせんべいもありました。

賞味期限どころか消費期限を遥かに超過しているのではないか、と疑心暗鬼で飲み込みました。

丸めた新聞紙で栓をしたサイダー瓶から注いでもらった液状のものを、どんな種類の飲料水かを限定することもできないまま飲み干したこともあります。

教祖になるまでには命がけの試練があるものです。