前回の続きですが、

「一緒に出動した隊員とその気持ちを共有できたときには、すごく癒されました」

と書きましたが、「一緒に出た隊員」は同じ光景を見ているので、状況について詳しく話す必要はありません。

他の署員でも近い体験をしている者もいるので、共感を得ることができます。

消防を辞めてから、このメルマガやブログに消防士時代の話を書くと、妻はそんなことがあったなんてまったく知らなかった、と言います。

そりゃそうです。そもそも家で仕事の話をしないようにしていましたから。

特に現場での話は、家族は勿論、友人にも詳しい状況は話せませんでした。

看護師であれば、同じような経験をしている人も多いと思います。

あまりにも凄惨なその状況を語れば、引かれてしまうのが分かるし、現に目にしたこともない人がそれをリアルに想像することはできないと思うからです。

可愛い顔をした幼い子供が、後頭部を大きく損傷し、絶命している姿など、こちらもうまく描写できないし、聞かされた人も顔をしかめるばかりで、具体的にその状態をイメージできないでしょう。

しかし、それを目にする我々は、一瞬でその損傷部位の映像が焼き付きます。

そのむごさに自然に涙が流れました。

涙を流しながら、車のドアを破壊し、中から引き出し、救急車に収容しました。

どんなに衝撃を受けたかを伝えようとしても、実際には伝わるものではありません。

悲しみや苦しみを吐露したり、分かち合ったりすることで癒されることが多いのですが、それができないというジレンマ。

目の前で亡くなった子供の姿、あの悲惨なケガを目にしたからこそ、我が子に対して、

生きて、ここに存在してくれるだけでいい!

と強く思いました。

その思いはずっと変わらず、今もあります。

むごたらしい負傷状態を描写せずに、その息苦しく感じたあのリアリティを伝えることは容易ではありません。