早期退職を決意した頃

去年のBSS山陰放送ラジオの私特集番組の取材で、

「いつ消防士を辞めようと思いましたか?」

という問いに、何年前のいつ頃だったのか、しばらく考えました。

日記を確認した結果、どうも2007年に辞めようという決意を固めたようです。

この頃はN消防署勤務で、仮眠室は新しい個室だし、意外に快適な消防ライフを過ごしていました。

新築して間もない庁舎で、トレーニングルームもあり、夕方ベンチプレスをしたり、署の周辺をランニングするのが楽しみでした。

そして、夜はベッドで読書。

人間関係も良好でした。

この頃は、NPO活動もやっていて、イベントを立ち上げ、実行委員長もやっていました。

もちろん、ライブもやっていましたし、山陰放送のラジオ番組にも隔週で出演していて、かなりキツイ状態になっていました。

脱サラを真剣に考えなくてはいけないといつも思っていながら、いつ時点で辞めるかと具体的なことは考える余裕がありませんでした。

日記を見ると、この年の12月に同じ署の先輩が入院しています。

翌年の3月末にはめでたく定年退職というタイミングです。

非番の日に農作業がなければ、パチンコ好きな人だったので、定年後は優雅にパチンコライフだよなぁ、とよく話していました。

ちなみに、かつては消防職員大多数の非番日行事は・・・

「パチンコ」

でした。

私はまったくギャンブルに興味がないので、競馬もパチンコもまったくやりません。

当時、勤務日でも隙を見てはパチンカー達が情報交換をしていました。

ついには幹部から「勤務中パチンコ話禁止令」が発令されたほどです。

私が人目を忍んで小説を書いていた頃です。

「フィーバー」とかいう機種が一世を風靡した頃です。

当番で終了台の番号を確認できない日は、諜報部員を派遣して番号を控えさせている者もいました。

当番明けには、団体でパチンコ店近くの喫茶店でモーニングを食べ、闘志を燃やしていました。

鳥取県の夜は、パチンコ店のネオンのみに彩られる、と言っても過言ではありません。

残念ながら真実なので申し述べるわけですが、鳥取県で一番活気がある場所は・・・

病院とパチンコ屋です!!

噂によれば、平日のパチンコ屋にいる人の職業別ランキングのベスト3は、警察・消防・農閑期のファーマー達と言われています。

眼球運動と騒音耐久力増進のために通う非番日の職員は、ポケットには給料引き去りで入金されている「○○きん通帳」をポケットにしのばせており、随時銀行に行ける状態にしているのです。

さすが消防職員! ちゃんと非常時に備えているわけです。

ただ、非常時があまりにも頻繁に訪れるようでしたが。

またいつものように話がズレました。
その先輩の病名は癌でした。

癌が発覚した当初は、こちらが驚くほど平常モードで勤務についていました。

普段どおりにジョークを言って、ガハハと笑っているのを見て、もしかして間違いじゃないか、なんて同僚と話していました。

それが日にちが経つにつれ、無口になり、顔色が悪くなって来ました。

「休んだほうがいいですよ」

と何度も言ったんですが、出動体制に支障を来たすから、と出勤してきました。

とうとう12月に入院し、3月末日の退職辞令の交付時も当然入院中でした。

年下の口の悪い上司に時にガミガミ言われる生活からようやく離れられたのは、ようやく入院してからです。

優雅にパチンコ三昧を送ることもなく、退職金で旅行することもなく、その年になくなりました。

「辞めるしかない!」

一生後悔するぞ、という思いで私は具体的な退職プランを練り始めたんです。

職業柄、不慮の事故で突然この世からいなくなった人の亡骸をたくさん目にしてきて、そのたびに自分の人生のことを考えたとは言え、身近な先輩が癌になるまで「人生最後の日」をリアルに想像することができなかったんです。

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