このままで俺の人生は終ってしまうんだろうか。

就職してから毎日毎日、そんなことを考えていました。

消防局在職中に、そんな思いを口にでもしたら、

人を助ける尊い仕事ではないか!

使命感から消防官を目指したのではないのか!

命がけで市民の生命財産を守っている消防官に対して失礼ではないのか!

そう言われることはわかっていたので、退職するまでブログにも仕事のことは書きませんでした。

まさか、「親戚の叔父に『消防は火事がなけりゃ遊んでいるようなもんだぞ。火事もほとんどあらへんし』と言われたもので」

なんて言うわけにもいきません(^_^;)

一番つらかったのは、小学校などに訓練指導や防火講話などで行ったときの質疑応答コーナーです。

「どうして消防士になろうと思ったんですか?」

と聞かれて、

「人を助けて、喜んでもらいたかったからです」

と答える時、胸が痛みました。

もちろん、実際に働きはじめてからはそう思う瞬間もありましたが、それが就職の動機ではありません。

本当は、

「就職難で民間企業の求人もないし、非番日があって自由になりそうだったから消防を選びました。

僕よりよっぽど消防の好きな人や、できる人がたくさんいて、僕の代わりなんかいくらでもいるので、実は辞めて本当にやりたいことをやりたいんです」

と答えたかったんですが、さすがに本音を言うわけにもいきません。

「大きくなったら消防士になりたい!」

と思っている子供たちもいるのに、夢を壊すことは言えませんでした。

毎日毎日、噛みしめるように考えていました。

俺はこのままで終わってしまうのか。

何も生み出さないで、何も残さないで死んでしまうのか。

そう思うと、気持ちばかり焦りました。

datsusaramae
      ↑ 退職の数カ月前に撮影(^_^;)

酔っぱらって帰ると、眠っている子供の顔を見ながら、自分はこの子に、

「お父さんは充実した人生を生きたんだよ」

と言ってやれないんだと思うと、とても切なかったんですね。

何かを残したい!

自分の生きて来た証を、何かの形で残したいと思いました。

「本当にやりたいこと」ってなんだろうと考えました。
いくら考えても、中学の後半からずっと自分の関心の一番中心だった小説のことしか浮かびませんでした。

最初に文芸誌に投稿した小説はボツったんですが、気を取り直して翌年、再挑戦しました。

またも、同僚が来れば、あわてて抽斗にに原稿をかくすという生活がはじまりました。

大胆不敵にも芥川賞を意識しながらも、競争率の少しでも低い雑誌を狙うあたり、すでに敗北の気配濃厚なのですが、もう当時は取り乱しちゃってますから。

はやる気持ちをおさえて書店に行き、1次予選結果発表掲載号をめくりました。

1次予選を通過していました。

予選通過者100人の中に自分の名前を発見したとき、「おっし!」とあやうく声を出しそうになりました。

しかし、この中で2次を通る気がしないと思っていたら、やっぱり翌月号を見ると、2次選考に残っていませんでした。

舞台は鳥取県の田舎で、閉塞感に苦しむ青年を主人公にした、とことん地味な作品でした。

この4年前に田中康夫が「なんとなくクリスタル」で文藝新人賞を取って巷の話題になったことを考えれば、こんな地味なテーマの作品が1次通っただけでも奇跡みたいなものでした。
失意の日々を送りつつも、小学校に訓練指導に行けば、

「人を助けて、喜ばれたくて消防署に入りました」

と力なく笑顔を作って答える日々が続きました。
例外として、以前一人だけ、子供たちを前にして本音を言った者がいました。

バンドをやっていて、僕と仲のよかった後輩です。

「おじさんはねぇ、本当はロックンローラーになりたかったんだけど、なれなかったので消防士になりました」

一緒に行っていた同僚や先生は吹きだしましたが、相手は小学生です。

ロックンローラーなんて言葉になじみがなく、特に低学年の子供たちはキョトンでした。

コイツ、やる男だなぁ、と思いました。