今から20年ほど前に、忘れられない火災出動をしました。

当時はまだ通信指令課はなく、各署がそれぞれ管轄内の119番通報を受信していました。

火災があれば、その日の編成で1名が通信残留員になりました。

無線のやりとり、関係機関への電話連絡、非番員の招集などをするためです。

ある日、私がその通信員の担当だったのですが、火災通報があり、急遽交代してもらって出動しました。

燃えていたのは、こちらの地方ではよく見られる在来工法の入母屋の住宅でした。

2階からの出火で、屋内進入隊と外部の延焼防止に当たる隊とに分かれて消火し、私はしごをかけて屋根の上から2階出火室の窓を破り、放水しました。

火勢が衰えかけては、再び大きく燃え上がることをくり返していました。

部屋全体に放水し、火勢が落ちた頃に、部屋の向こうにある階段を上がった廊下側に屋内進入して来た隊員2名が入りそうになりました。

「待てー! 入るな-!」

と私は叫び、彼らの進入を制止しました。

彼らは呼吸器の面体をかぶっていたので、その声が聞こえなかったようで、進入しかけた瞬間に一気に炎が上がりました。

油をまいた火災だとすぐに分かったので、完全消火するまでは気を許すなと、大声で知らせました。

その間に、地元消防団も到着し、はしごを上がって来ました。

ようやく消火したものの、念のために団員に窓の外に張り付いてもらい、進入して調査に入りました。

煙もなくなり、部屋の内部が見えるようになってしばらくして、そこに人型の黒い物が転がっているのが見えました。

仰向けになって焼死した時特有の、筋萎縮して「ボクサー体型」といわれる姿勢になっていました。

窓から覗く消防団員に、

「ここの家族の誰?」

と聞くと、「Sだ」と答えました。

耳を疑いました。

私の年下の友人でした。

何度か酒を酌み交わし、仕事ですれ違うたびに話したり、彼女がいないというので紹介してやったりした仲でした。

イケメンで、ジョークも楽しく、スポーツマンで、吉川晃司の歌マネのうまい男でした。

そんな男がガソリンをまいて・・・。

とても信じられませんでした。

調査をしながら、変わり果てた姿を見ました。

その若さで、悩みなんて無縁に見えたのに、いつも楽しそうに笑顔で話しかけて来てたのに。

年齢差もあり、何でもかんでも話すほどの仲ではありませんでしたが、それにしても私は彼のことを何も知らなかったんだなぁと、調査をすればするほど思い知らされました。

これはもうSではない、そう思いました。

私の目にはそれはもうSではない、ほかの何かとしか見られませんでした。

写真撮影しながら、Sはすでにどこかへ行ってしまったのだ、と思いました。

葬式の日、会葬の人の列は敷地に収まらず、道路まで続いていました。

誰からも愛される性格の彼ならではの人数と年齢層の幅広さでした。

みんな悔し泣きしていました。

普段なら、一度決められた編成を変更してもらうことなどなかったのに、なぜあの日に限って、思い切って交代を申し出たんだろうと、泣きながら考えていました。

火災調査で、いろんな人の話を聞いたのですが、彼が笑顔の奥に、どんな闇を抱えていたのかを知ることはできませんでした。

あの頃、彼と関わった友人や恋人やいろんな人たちは、あれからそれぞれの人生を生きています。

彼らがSの分も精一杯生きようと思っているかどうかは分かりません。

私は、Sの人なつっこい満面の笑顔を、時々思い出します。