「がんばれよ」という言葉が、昔と違ってずいぶん嫌われるようになりました。

確かに病気で苦しんでいる人や、すでに精一杯やっている人、がんばり過ぎている人に言うべき言葉ではありません。

ただでさえ苦しんでいる人に向かって言う「がんばれ」は、応援されているのではなく、「お前はもっとがんばれ」と突き放され、責められているように感じるからです。



そんな不用意な励ましがきっかけで、よけいに苦痛が増し、「自損行為」に至るケースも少なくありません。

「自損行為」とは、救急出動種別の中のひとつで、リストカットや睡眠薬の大量摂取など、文字通り、自分の身体を自ら損傷させる行為です。

「これ以上どうやってがんばれって言うんだ!」という絶望感に打ちひしがれての末、思い余って、という事例もあります。

そこまで深刻ではないものの、相手にかける言葉が見つからなかったり、相談事が込み入っていたりしたときなど、とりあえずという感じで「がんばれ」を使ってしまうこともありがちかもしれません。



そんなマイナスな側面を持つこの「がんばれ」という言葉ですが、最近ではどうかすると「がんばれ」という言葉自体を忌み嫌う人が多くなっているように感じます。

叱られているように感じるとか、自分が怠けていると見られているとかのほかに、「頑張れ」「頑」「かたくな」だから、心をかたくなにしてはいけない、ということも言われることがあります。このまま忌み言葉として、日常会話から姿を消す運命にあるんでしょうか。



いろいろ意見はあるとは思いますが、自分の子供が困難を乗り越えようとしている時、友人の心が揺れていて逃げそうになっている時、仲間が元気に目標に向かっている時、地区運動会のリレーで選手を応援する時、「がんばれ!」と声援を送ることに問題があろうはずはない、と私は思います。



広辞苑で【頑張る】を調べてみると「どこまでも忍耐して努力する。

『成功するまで―・る』」という意味もありました。

人は人生の中で、歯をくいしばってがんばるべき時期がありはしないでしょうか。

かたくなまでに必死になって何かをやったからこそ見えてくる風景もあるはずです。

友人や我が子には、一方的に「がんばれ」ではなく、「一緒にがんばろう」という伝え方をしてみてはいかがでしょうか。

そして「大丈夫」という言葉と同様に、自分自身を「がんばれ」と励ますことも大事ではないでしょうか。

他人も自分も追い込むのではなく、愛情や友情、心配の感情をちゃんとこめての「がんばれ」という言葉は尊いものだと、私は思います。

(日本海新聞「潮流」2016年2月7日掲載)