ずっと前から思っていました。

「がんばれ」は、不用意に口にしないほうがいい、というのは今ではみんな知っています。

だからなのか、今はやたらに「だいじょうぶ」がもてはやされているように思います。

それにもじゃっかん違和感を覚えていました。

だって、よっぽど信頼関係のできている間柄ならともかく、相手のことを十分わかってはいないのに、「だいじょうぶ」って言うのは無責任じゃないか、と思うわけです。

「だいじょうぶ?」と疑問形にしたところで、「うん、だいじょうぶ」と返ってくるに決まっています。

「僕に何か力になれる?」とか、「何か手伝える?」と聞いたら、もしかしたら助力を求めてくるかもしれないのに、「だいじょうぶ?」と言われたことで、「うん、だいじょうぶ」と答える以外の道は閉ざされてしまうんじゃないでしょうか。

「だいじょうぶ、君の力でなんとかできるさ」

とある意味突き放す感じもあるし、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と無責任な気休めにしか聞こえないこともあります。

ずいぶん以前でしたが、テレビで尾木ママが言ってました。

「『だいじょうぶ』って、人に言う言葉ではない。言う人の自己満足に過ぎない」

「『だいじょうぶ』は自分を励ますときに使う言葉」だと言っていました。

さすが尾木さん! と、大きくうなずいてしまいました。

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確かに、自分に向かって発すると力を持つ言葉だと思うのです。

不安なとき、恐怖心が頭をもたげたとき、悲しみに胸がふさがれそうなとき、「だいじょうぶ」と自分に言い聞かせると、少し気持ちが楽にならないですか?

火災現場で、燃えている建築物の内部に侵入するとき、予期しない危険が待ち受けているのではないかと疑心暗鬼になる瞬間があります。

進入したまま内部で放水を継続しているとき、曇った空気呼吸器のマスク越しに見る室内が、もしかしたら天井が、危険な何かの臨界点に達する寸前ではないか、などとふいに不安にかられる瞬間があります。

そんなとき、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、冷静になれ」と自分に言い聞かせると、落ち着いて室内の状況をチェックできるようになりました。

生きて行く中で、ときに大きな不安に襲われることは、誰もが経験することだと思います。

そんなとき、他人に言われると反感や、いらだちや、失望を感じることがあるかもしれませんが、自分が言う「だいじょうぶ」に耳を傾けるときは、ちょっぴりホロっと淋しくなるけど、素直に癒されるような気がします。