もっと思いを言葉にして

年々、子育て講演会の講師としてご依頼いただくことが多くなりました。

私自身は、とても素行の悪い子どもでした。

悪質ないたずらをくり返したり、授業中に騒いだり、取っ組み合いのケンカをしたりと、そんなことが日常になっていました。



後年学んだ心理学の中に、「承認欲求」という言葉がありました。

よく目にする「愛の反対は無関心」という言葉のように、自分に関心を持ってもらえないことほどさみしく悲しいことはありません。

私の両親は、特に母は、私に対してそこまで無関心であったわけではないのに、悪さをくり返しては、叱られていました。

学校にいても、家に帰っても、神社の境内で友達と遊び呆けていても、どうにも言葉にならない思いが、幼い私の気持ちをイライラさせていました。



親のしつけに対してもとことん反抗するようになりました。

「黙って食べろ」
「手遊びせずにちゃんと話を聞け」
「早くしなさい」
そんなことを言われるたびに、怒りがムクムクと胸の中で膨らみました。



大人になってからは、親の気持ちも、自分の心理もよくわかるようになりました。

あの時、自分はどう言って欲しかったのか、そんなことを考えながら、私は自分の子どもたちとたくさん話をしました。

食事時間が長くかかっても、話すことを楽しみながら夕食の時間を過ごすようにしました。

「この花、きれいだね」
「ご飯がおいしいね」
「仲良しだと嬉しいね」
「こんな事件が起こるって悲しいね」

何かにつけて、感じたことを言葉にしました。

共感しあうことで、物事を感じられる豊かな心を持って欲しかったのです。

時には、親の私の方が子どもたちに気づかされることもありました。

忙しさで、おいしさも感じないまま食事を済ませたのでないか、景色も見る余裕のないまま車を走らせていたのではないか、大切な存在をいつの間にかそこにいるのが当たり前の風景のように眺めていたのではないか、と。



私たち夫婦は共働きだったので、子どもたちだけで留守番することもよくありました。

「ぼく、さみしかった」
「お父さんも、早く顔が見たくてさみしかったよ」
そんなふうに思いを言葉にして伝えてきました。



もっともっと親は子どもに、自分の感情や思いを言葉で伝えて欲しいと思います。そんな当たり前と言えば当たり前のことを、歌と一緒に講演会で伝えています。

(日本海新聞「潮流」2016年7月8日掲載)

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