ネガティブ感情だって大切

私はカウンセラーをやっているわけではありませんが、たまに「話を聞いてほしい」と言われることがあります。

既知の人もいれば、未知の人もいますが、多くは強い感情疲労をかかえていると思われる方たちです。

「私はどうもネガティブに物を考えるたちで」と、自分の思考傾向を否定的に語られます。


話してみると、悩み事を友人に相談すると、「なんでもネガティブに考えすぎだよ」とか、「見方や捉え方を変えなきゃ」と言われて、かえって心の痛みが増したという方が多いようでした。

中にはそんなひと言で、死にたくなりました、とおっしゃた方もいました。


幸福学や幸福心理学関係の本に書かれたポジティブ感情についての記述が、自己啓発的な書物の多くに引用されています。

それに感化された人も多いのでしょう。

人が生きていく上でポジティブ感情は不可欠なものですが、心の状態によっては、いくら言われても、とてもそんなふうに考えられないときもあります。



思いや感情を、ゴミの分別のように、はいこれは「ポジティブ」、はいこれは「ネガティブ」と、単純に分別できるはずもありません。

そもそも「侘び寂び」好きで、寂しさや悲しささえも「風情」としてとらえる日本人の感覚からすると、逆にポジティブ過ぎるのには抵抗がありはしないでしょうか。

廃線の旅や軍艦島上陸ツアーが人気があるのも、単に歴史的価値という面だけではなく、朽ち寂れていくものに対して郷愁を感じる人が多いからなのだと思います。

テレビドラマや映画だって、悲しいすれ違いや、切ないほどの思いがあるからこそ、感動が生まれるわけです。

ネガティブ感情も、発奮するきっかけになったり、危険を回避する行動につながったり、泣いたり叫んだりすることで大きなストレス解消になることもあります。

ネガティブ感情を体験することで、より上質なポジティブ感情を持てるのだと思います。




嫉妬や憎しみ、悲しみ、苦しみなど、すべての感情には理由があるのに、それを単にネガティブ感情だとカテゴライズして悪者にし、とにかく前向きになろうと無理をすることが果たして幸せに通ずるのか、と疑問に思います。

見方や捉え方を変えられるかどうかは、そのときの心や体の疲労度で大きく異なるはずです。




心が弱っているときの無責任な励ましは、風邪で熱を出して寝込んでいるのに、

「頑張れ、ポジティブに考えるんだ。立ち上がって問題解決に向かって走るんだ」

と檄(げき)を飛ばしているようなものではないでしょうか。

苦しみ迷いの中で身動きができないでいるのなら、張りつめた心の緊張をゆるめるために目をそらしたっていいのだと思います。

回復してのちに、じっくりと出来事や自分の感情に向きあえばいいのだと思います。



(日本海新聞「潮流」2016年14月10日掲載)



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