私の母校である鳥取県立中央育英高校で今年から「地域探究の時間」が新たにスタートしました。

「地域創生」をテーマに、「ふるさとの魅力や課題を探究」し、「地域貢献の志を抱くようになってほしい」という校長先生の依頼文書をいただきました。

私も地域で活動する者の一人として、講師に加わりました。私のかかわるのは、6月から9月までの間に4回です。

すでに2回を5人の生徒と一緒に過ごしました。初対面の自己紹介のとき、「卒業したら都会に出たいと思っている人は?」と尋ねると、あいまいな感じの挙手も含めて、ほとんどの生徒が県外に出ることを希望していました。

普通に生活している17歳には「地域創生」という言葉はピンとこないだろうと思います。

「夢」「希望」「憧憬」という言葉のイメージは都会にこそ直結していると思う方が自然かもしれません。「ふるさとの素晴らしさ」をいくら説いても、都会を志向する若者の心を引き留めることはできないでしょう。

私自身、高校生のころ、都会に対する憧れと、家を出たいという思いが強く、地元に残るという発想はありませんでした。

都会で暮らすようになってから数年後には、視界にふるさととつながるものが存在していないことを、淋しく思うようになりました。

東京の一番隅っこの町で暮らしていました。朝の通学時に、駅前のシャッターを下ろした八百屋の店舗の横に積み上げられたダンボール箱を、見るともなく眺めながら駅に向かう日々でした。

ある日、そのダンボールの中の一つに「東郷二十世紀梨」という文字を目にしたとき、突然涙が出そうになり、足早に通り過ぎたことがありました。そんな感情になったことを、自分自身とても意外に思いました。



「梨のうた」という自作の曲の歌詞に、

店先に並ぶ梨の実見つめ

君、せつないほど目もとうるます

というフレーズがありますが、本当はダンボール箱の文字を目にした自分を投影したものでした。



まだ17歳の彼らが、やがてふるさとを離れても、私と一緒に行った三徳山や、これから行く東郷選果場の選果作業風景などを思い出してくれたら、その時ようやく彼ら一人一人の「地域探究の旅」が始まるのではないか、と思っています。

地域にとどまる人も、Uターンする人も、閉塞感を持つことなく、外部とつながり続けて欲しいと思います。

そのためにも、自分たちの生まれ育った地域の本当の価値を知ることは、とても重要な意味を持つものだと思います。

(日本海新聞「潮流」2015年7月11日掲載)

地域探究の時間n