家族の歴史

私には、すでに成人した息子が二人います。

これは十年も前のことになりますが、高校を卒業すると、二人とも都会に出て行きました。

親としては息子たちの顔が見られなくなったことがさみしくてしかたなかったのですが、青春真っただ中の彼らは、勿論そんなことを考えることもなく、自分たちが足を踏み入れた新しい世界に夢中だったようです。

メールを出してもまったく返信はなく、たまに電話をしてもめったに出てきませんでした。

たまに妻だけに送ってくるメールは、「ピンチ! お金送って」の一行メールでした。

私が学生時代には、携帯電話どころか、自動車電話さえまだ話題にものぼらない時代でしたが、たとえ携帯電話があったとしても、息子たちと同様に、両親と電話で話すことなんてなかったでしょう。

男の子なんてたいていはそんなものだと、私は最初からあきらめていました。

息子たちが家にいなくなり、夫婦二人の生活になってしばらく後に、妻は心の病気になってしまいました。

「眠れない」「食欲がない」「手が震える」などと訴えるようになり、心療内科に通うようになりました。

夫の存在なんてこんなに力がないものか、と自分でも落胆するほど、どんな言葉をかけても、妻の心は晴れませんでした。

あまりに調子の悪いとき、少しでも気分を変えさせられないかと思い、息子たちにメールを出しました。

「お母さんの調子が悪いみたいだから、なんでもいいからメールしてやって」と送りました。

ほどなく、あんなに音沙汰なかった二人から、妻に近況報告メールが届きました。

「あれっ、今日はどうしたのかな、二人からメールが来たわ」と、明るい声を出す妻を見て、少しほっとしました。

そんなことを何度もくり返しました。

かつて、「お父さんを尊敬している」と言ってくれた息子たちは、そんな万能に見えた父親が、自分たちを頼るほど困っていることに驚いたに違いありません。

母親を口やかましく思い、ぞんざいに対応していたのも、いつも元気で優しい存在であり続けてくれている、という思いがあったからでしょう。
幼い頃と変わることなく、親は自分たちよりずっと揺るぎない大きな存在だと思っていたのかもしれません。

年に一、二度帰省するたびに、親は少しずつ年老いて行く姿を見せざるを得ません。

そのかわりに、少しずつ強く優しく成長していく子供の姿を見られます。

そんなことを、しみじみ喜びながらも、「そうおめおめと簡単に年老いてたまるか!」という父親の意地をとことん忘れないつもりです。

あくまで予定ではありますが。

(日本海新聞「潮流」2014年11月11日掲載)

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