死は終わりではない

道路脇に花がいつも供えられている場所があります。

いつ通っても花が絶えたことがありません。

そこで起きた交通事故はずいぶん前ですが、今でもかなり鮮明に覚えています。

その道路が完成まもない頃、大事故が毎日のように続き、死亡事故が何件もありました。

私自身が救急で出た事故で大きな事故は、どのあたりでどんなだったか覚えていますが、特にその花が供えてある場所で起きた事故は、はっきりと記憶しています。

とても若い女性のドライバーが、通勤途上に事故を起こされたのです。

救急車には、その車の後を走っていた父親が同乗しました。

意識を無くした娘を見守るお父さんは、言葉をかけることもできないくらい呆然として、ただ見つめるだけしかできない状態でした。

病院に収容しましたが、収容後に亡くなられました。

なんて無慈悲に、なんて突然に死がやって来るんだろう、と思いました。

救急車が到着するほんの10分前は、平凡なありふれた通勤風景だったのに、と。

その頃の私は、輪廻転生なんてまったく信じていなくて、なんて現実には救いがないんだろうと思っていました。

三浦久さんの歌に出会ったのは、その少しあとでした。

登校拒否で学校に行かなくなったけど、自分の力で社会に出て行った少年のことを歌った曲に感銘を受け、直接三浦さんにメールを送ってCDを数枚購入しました。

それがきっかけで私の住む町での講演が実現しました。

その中の「メッセージ」というCDの中に、ボブ・ディランの「Death Is Not The End」を「死は終わりではない」というタイトルで日本語訳でカバーされている曲がありました。

dylan

感動して、何度も何度もくり返し聴きました。

その一部を引用させていただきます。三浦久さんの訳詞です。

悲しくて 孤独で 友達ひとりいなくても

いいかい、覚えておいてほしい

大事にしていたものがすべて

地に落ち 泥にまみれても

いいかい、覚えておいてほしい

終わりじゃない、終わりじゃない

いいかい、死は終わりじゃないんだ

嵐雲がわきおこり

激しい雨が降ってきても

いいかい、覚えておいてほしい

慰めてくれる人もいず

誰も手を貸してくれなくても

いいかい、覚えておいてほしい

終わりじゃない、終わりじゃない

いいかい、死は終わりじゃないんだ

聖書にも馴染みがなく、葬式や法事の時の僧侶の説法にいささかも感銘を受けたことがなかった私ですが、この歌はすごく胸に響きました。

心理学的には人間の三大欲求を「食欲」「性欲」「集団欲(睡眠欲という説もあり)」だとしています。

群れること、人に理解されること、人に受け入れられることが生きていくことの条件だとすると、それさえ満たされない人が多くいます。

ディランのこの歌詞を借りれば、

「悲しくて 孤独で 友達ひとりいなくても」、自分が自分を認め、愛してやることはできるんだと。

人から満たされることばかりを要求するのではなく、まず自分が自分を満たしてやることが大切なんだと。

到着点は「死」であることから免れることはできない。

この世に救いがあるのかないのか分からないけど、どれだけ自分自身を愛して人を愛するか、それが大切なんだと思いました。

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