今から35年以上前、高校を卒業して東京に住むことになりました。

夢にまで見た都会でしたが、生活していくうちにだんだんふるさと鳥取県のことを思い出すことが増えていきました。



なかなかなじめない都会暮らしの淋しさに、時々高校時代の友人達と会いました。

東京弁ばかりの会話があふれる喫茶店で、鳥取弁丸出しのジョークに大笑いをすることで、エネルギーを充填していました。



上京して四年後、就職活動を開始する際に、東京にとどまるか、鳥取に帰るかの選択に悩みました。

もともと鳥取県内の求人が少ない上に、学校が関東だったせいもあり、就職課の書架にある他府県の求人ファイルには、就職難の時代でもそれなりの件数の求人がファイリングされていましたが、鳥取県のものは皆無でした。

就職ガイダンスの個人面談では、関東での就職を強力に薦められましたが、次第に鳥取県に帰りたい気持ちが強くなり、就職の当てもないまま帰省しました。

関東の学校に進学した高校の同級生達も、みんな迷いながらも、Uターン組と居残り組とに分かれました。



盆や正月になると、そんな居残り組の友人達が里帰りするたびに我が家に寄ってくれました。

お酒に酔って昔話に花が咲くと、当時の不安だった都会暮らしのことを思い出しました。

そんな私達もいつの間にか年をとってしまい、親が亡くなる年代になってしまいました。

毎年会いに来てくれた友人も、両親を亡くし、「帰る家がなくなったから」、とめったに帰省しなくなりました。



そんな彼らのことと、自分のかつての思いを投影した「特急あさしお」という歌を作りました。



そうだよなぁ、あの頃は鳥取から東京までなんて

とっても遠くてさ、不安と希望でいっぱいだった

知らない人だらけの都会で

時には弱音を吐いたことも

だけど懐かしい友達に会うと

心の底から笑えたよ



何年も暮らした都会から久しぶりの里帰り

お土産もどっさり買いすぎて 待ち遠しい心が躍るよ

あんなに苦手だったはずの親戚のおじさん連中や

年老いた親父とお袋と鳥取砂丘がよみがえる



母さん、父さん、僕は長い間言えずにいた言葉を

今日はきっとあなた達に伝えたいんだ

「ありがとう」と



数年前、東京のライブハウスで歌った時、香川県出身の方が「同じ思いでした」と泣きながら話しかけてこられました。

ふるさとへの思いは同じなんだなぁ、とこちらまで目頭が熱くなりました。

(日本海新聞「潮流」2013年12月8日掲載)