人権講演会「言葉と想像力」

昨日は、福生中学校区人権・同和教育講演会で「言葉と想像力」という演題で話しました。

会場の米子産業体育館のサブアリーナはなんと200人を超える参加者さんで一杯でした。

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大々的にPRしていただいたことに感謝します。

暑い中、準備と片付けをしていただいた役員の方々にもお礼を申し上げます。

2時間、一人の退場者もなく、じっくり聞いていただいて、本当に嬉しかったです。

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人権の講演と言っても、差別の歴史とか、社会制度の誤謬についてなどはまったく話しません。

それらについては、私より遙かに適任者が多くおられるし、私が伝えたいことはもっと身近な日常についての話ばかりです。

普通に使っている言葉が、使い方によってはどんなに人を傷つけるか、ということや、心がこもらずに放った言葉は、同じ言葉でも人を救うどころか、どん底に落とす可能性もある、ということを話します。

子供さんの病気で悩むお母さんに、「神様は越えられない壁は与えないのよ」と簡単に言ってしまう友人。

姑さんに「死んでしまえ」とまで言われても尽くしてきた人に、「他人は変えられないから、あなたが変わらないといけないのよ」と言ってしまう友人。
その言葉が、流行言葉のように使われているその言葉が、さらにその人をどん底に落としていることに気づかない鈍感さをこそ、私は問題だと思うのです。

悪意がなかったという免罪符と、よかれと思ったという大義名分を盾にしても、それらの発言は罪を免れないと思います。

どんな思いで自分に話してくれたのか、ということをまるで考えていません。

解決なんて求めてないんです。

本人には悩んで苦しんで来た歴史があります。

「そんなこと分かっている」

「あなたにはそんな経験なんてないじゃない!」

おそらくいろんな言葉を飲み込んだに違いありません。

それに気づかず、いい言葉を言ってあげたと悦に入っている。

私もそんなことを言ったことはありはしないか、と過去を振り返ってみます。

頼りだと思った友人に言われたひと言で、命を絶つ人もいて、そういう人を何人も搬送しました。

受け取り方は千差万別かもしれません。

けれど、「自分はちゃんと心からそう思って言ってあげたんだろうか」

「自分の口にした言葉が、かえって傷つけはしないだろうか」

「今の精神状態の時にこんなことを言ってもいいのだろうか」

と自問することを忘れてはいけないと、私自身気をつけるようにしています。

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