尼崎の列車事故のあとから頻繁に言われるようになった「惨事ストレス」。

東日本大震災で、ふたたび大きく取り上げられるようになりました。

ショッキングな情景を目にする機会は、私も消防士時代に何度もありました。

無残に変形した体を見たりするのにも、もちろん平静な気持ちではいられませんが、

それだけではなく、泣き叫び、とっくに息絶えた肉親を「なんとかして欲しい」と哀願する家族を見るだけで、隊員も息苦しいくらいの思いになります。

それがかなり後々まで感情的にひきずることもあります。

在職中であれば書けなかったことかもしれませんが、

「悲惨過ぎる! かわいそう過ぎる! だけど、自分はもう助けることなどできないんだ」

という思いになります。

それは、「自分はやれることはやったんだ」という思いをしだいに上回ることもあります。

いいようのない無力感を、同僚に話せば、

「そんなことを気にしていたら仕事にならんだろ!」

と言われそうで、話すこともなく、つとめて平静を装っていました。

事実、「惨事ストレスなんて精神的に打撃を受けるような奴は、そもそも適正に問題ありだ」と断ずる上司もいました。

そうなると、よけいに口にすることがはばかられるムードになりました。

それが、何かの拍子にちょっとだけ口にしたら、

「俺もだった。あれはキツかった」

「精神的にこたえた」

など、同じような思いを持つ者が多かったことを知りました。

「そうか、自分だけではなかったんだ」と

そのことだけで、ずいぶん救われる思いになります。

もっともっと、自分の心の中の思いを口にしていいんだ。

もっともっと、仲間同士愚痴っていいんだ。

そう思いました。