考え事をしていたり、悩み事があると、同じ風景の中を歩いていても見え方が違いますね。

見え方が違う、というより何も見ずに歩いていたことに気づくことがあります。

職場に通う道のりも、子どもの誕生日だったり、入学試験の合格発表があったりすると、毎日同じ道を歩いているのに、見え方が違ってきます。

見慣れた町並みが、朝の日差しに照らされているのがとてもきれいに感じられます。

逆に、職場の人間関係で悩んでいる時期だと、足取りも重く、惰性で職場にたどり着いたものの、道中の風景が記憶に残っていないこともあります。

町の風景は同じなのに。

都会の町並み

心に余裕がなくなると、同じ町並みでも、その風景の見え方が違ったり、ときには目に入らなくさえなります。

夫婦という関係も、親子というつながりも、まったく変わっていないのに、自分の精神状態で態度が変わったりします。

話しかけられてもぶっきらぼうに返答したり、
ちょっとしたことで声を荒らげたりすることもあります。

いつもと同じ大事なパートナーで、大事な子どもたちなのに。
ときにはあとで強烈に後悔することも、ありますね。

頭ではわかっていても、感情が波だったり、悩み事にとらわれることは、誰にだってあります。

河原の風景

私は、8年前までは消防署に勤務していて、休みの日には河原をランニングしたりウォーキングしたりしていました。

「あー、早く自由になりたいなあ〜!」
なんて考えながら、空を眺めたり、川面を移動する鴨の群れを眺めながら歩いていました。

早期退職した直後は、
「あー、自由っていいなあ〜!」
という感じで、眺める空も、鴨の群れも、すべてが輝いて見えました。

それから何年か経過し、仕事のことをマイナス方向にあれこれ考えながら歩いていて、ふと気づきました。

同じ道のりを歩いているのに、まるで風景も見ずに考え事をしながら歩いているぞ。
8年前までずっと憧れていた「自由」が得られたのに、その「自由な時間」を楽しまないなんてとんでもない、と。

気がつくと、あっという間に歳月は過ぎていくのに、こんなもったいないことでいいんだろうか。

なんのプラスにもならないどころか、マイナスに働くようなことにとらわれて、ぼんやりと歩くことがとてももったいないことだと気づきました。

どうせ時間を過ごすなら風景を楽しんだり、運動できることを楽しんだりしながら歩かないと損だと思いました。

気持ちを切り替えて歩を進めると、
「今日はなぜか鴨の姿が少ないなあ」
「帰りは風向きが変わったなあ」
「大山はまだ白いなあ」
と、先ほどまで気づかなかった風景が目に飛び込んできました。

吸い込む空気も、おいしく感じられました。

それからは、考え事や悩み事を頭から追い出して、風景を楽しむようにしています。

河原の風景

気の持ちようで変わるなんて当たり前のことだ、と言われそうです。

でも、ときどきは意識して気持ちを切り替えてないと、いつのまにかマイナス思考にとらわれたまま時間を過ごしていることがあります。

今日のあなたはどうですか?

町の風景や、友達との会話が心地よく感じられますか?

もしそうでなかったら、風景や友達の話をもっと意識して感じてみましょう。

私も毎日意識してみますね。