「僕らは、親のことをなんにも知っちゃいないんだ」
そう言ってやりたい奴がいる。

今年95歳になる私の父は、耳はかなり遠くなったものの、幸いなことに元気だ。

先日、私の孫、つまり父にとってはひ孫の初節句の祝いに、我が家に招いた。
父に遊んでもらった記憶がほとんどない私は、満面の笑顔でひ孫に腕をのばす父を、不思議な気持ちで眺めた。

車で父を実家に送る道中、私は父にたずねた。
「若い時、県外に働きに行ってたんだって?」
ずいぶん前に、それらしきことを母親からチラッと聞き、聞いてみたいと思っていたことだった。

「はあ、何だって?」
と、耳が遠いので聞き返す父に、目は前を見たまま、顔を父に向けて大きな声で聞き直すと、
「ああ、大阪の〇〇で2年働いとったなあ」

どんな仕事をしていたのかも、聞くのは初めてだった。

「そのあとにこっちに帰ってから後に、戦争に行ったわけか?」
「そうだ」

思えば、父のことはなんにも知らないに等しかった。

若い頃の父は、口やかましく、ことあるごとに説教めいたことばかりを口にする男だった。
母に対しても暴君で、母を罵倒するのを見かねた私がよく父に食ってかかったものだった。

私が高校2年生のときに、口論になって胸ぐらをつかんだ父は、思っていたより小さな体の男だったことに気づいて驚いたことがあった。
そんな自分よりはるかに身長の低い父が、異常なほど胸を張って堂々と歩く姿を見るたびに、どうしてあんなに能天気なほどポジティブに生きられるのか不思議でしかたなかった。

かつてはあんなに嫌いだった父にも、当たり前のことだが青春時代があったはずだ。
戦争前にはどんな青春期を過ごしたのだろう。

自分が若い頃には、まったく考えもしなかったことを知りたいと思うようになった。

「あのなあ、わしはなあ」
助手席の父が、大きな声で話しかけてきた。
「お前のところの家族がみんななあ、幸せにしとるのが、ほんに嬉しゅうて、嬉しゅうてのお」
何度も何度も、父は同じことをくり返した。

私の子どもが生まれたときは、心のどこかに、子どもは自分たち夫婦だけのものだという気持ちがあった。

ところが、生まれたばかりの孫の顔を見たとき、亡くなった母や、あの父が存在しなければ、この孫も誕生することはなかったのだ、という当たり前の真実が、胸に迫ってきた。

そんな父のことを、私は何も知らずに生きてきた。

母のことは、幼い頃からいろいろと聞いてはきていたが、母親が娘時代にどんなことを考え、どんな初恋をしたかなど、何も知らない。
何も知らないが、私と同じように、恋をしたり失恋したり、友達と出会ったり別れたり、苦しんだり、喜んだりしてきたことだけは間違いはないことだろう。

あんなにうっとうしかった父の説教も、私への彼なりの愛情からのものだったと、自分の子どもが生まれてからは素直に認めることができた。

何か話しかけられても、返事もせずに無視していた私を、父はどんな気持ちで見つめていたのだろうか。
父に大きな声で怒鳴り返す当時の私に、言ってやりたいと思う。

「おい、俺。
俺だよ、お前の4×年後のお前だよ。
いいか、お前も俺も、僕らは親のことをまるで知らないんだ。
今の親父やお袋を、じっくり見ておけ。
たっぷり話しとけよ」

私は、息子たちに、何かを伝えられているだろうか。