職場の安全は隠し事をなくすことからー子育てに似た安全教育

どんなに厳しく安全について指導している職場でも、危険なミスの発生をなかなかゼロにはできません。
「こんなに安全確認を徹底させているのに、どうして事故が無くならないんだろう」
そう嘆く担当者は多いようです。

厳しくすればするほど、事故が発生するという皮肉な事態になることだってあります。
「じゃあどうすればいいんだよ!?」
といいたくもなります。

安全教育に力を入れていて、社員も十分理解しているはずなのに、なぜか発生してしまうミスや事故。

私が消防士時代、何度も労災事故で救急・救助出動し、また調査も行ってきました。
同じ企業に何度も出動したこともあります。
私がいたころ消防内でも、小さいものから大きいものまで事故はありました。

それらの経験から、安全教育も、家庭での子育てと同じで、成長を見守る勇気と愛情が必要なんだと感じました。

大切なのは、あやまちを責めるのではなく、どうしてミスを犯してしまったのかを双方が理解することです。
それなのに、原因を究明しているつもりが、いつのまにか責任追及になってしまっている場合が多いのです。

ミスの発生を防ぐために必要な要素のひとつをお話したいと思います。

子どもは叱り過ぎると隠し事をする

子どもに笑顔で接する母親

子育てでは、子どもを素直でのびのびと育てたいと多くの親が思っています。
そんな思いがありながらも、ついつい小さなことで叱ってしまいがちなのが現実です。
しつけの意味で叱らざるをえないことはどこの家庭でもあるのですが、それが過剰だったり、小さなことでガミガミいったり、しつこすぎると、裏目に出ることがあります。

ストレスが溜まって、陰でそれを解消しようとして、いじめや万引などに走ったという例もあります。
あまりにも怒られ過ぎて、自分のとった行動を、親に隠そうとするようになります。

「正直に言いなさい!」
と叱ったところで、怖くてとてもいえないという状態になります。
発覚しないようにスルーすれば、あるいはウソをつけば、平和に過ごせるんだ、という気持ちになるおそれもあります。

その心理を、子どもらしいとバカにしてしまいそうですが、実は大人だって状況によってはやってしまいます。

子育てでは、幼児に「それをしちゃダメ!」と叱ってはいけない、とよくいわれています。
叱るのではなく、なぜダメなのか理由を教えてあげなさい、と。

「ダメ」だけではなく、「早くしなさい!」という言葉も、子どもを責めてしまうことになるそうです。
本人は、わざと遅くしようとしているわけではないので、「早くしなさい!」と叱られても、早くできないんです。
親が、なぜ遅くなるかの原因を見つけてやることが大切になります。

どうですか、安全教育も子育てに似ていると感じませんか?

職場でもミスを糾弾されると報告しなくなる

産業現場での作業

職場でも、子育てと同じことがいえます。
社員がミスを犯した場合、教育的指導から愛情を持って指導するのと、糾弾するのとではまったく違う結果につながります。

原因究明のつもりが、いつのまにか個人攻撃になり、謝罪の言葉を引き出して決着、といういかにも旧日本的な職場も少なくないのではないでしょうか。

誰もミスを犯すつもりで仕事をしていません。
過ちがあったとしても、本人はその時点では「あやまち」ではなく「正常」と認識していたに違いありません。
なぜ、「あやまち」「正常」だと考えてしまったかを明らかにすることが、今後の事故防止に繋がる原因究明です。

ミスを犯した人間を糾弾して、社員の面前で謝罪させたり、処分を下したりすることで、小さなミスは報告されなくなります。
もっとひどい場合には、主体的に業務をするのではなく、ミスを犯さないために最小限の自分の担当だけをこなそうという消極的な作業になります。

それでは、生産性にも影響が出ますが、かえってミスが多くなる可能性が高くなります。
社員同士が視野を広くして、チームとして周囲の安全を確認しながら業務を遂行することができなくなります。

一度ミスがあったということは、また誰かが同じミスをくり返す可能性があるということです。
小さなミスの報告がされなくなれば、社内のヒヤリハットの事例として蓄積できなくなるということでもあります。
それが続けば、企業としての損失も大きくなります。

表に出なかった小さなミスの先に、大きな事故が待ち構えている可能性が高くなります。

ミスが生死に関わる消防でも同じだった

安全衛生が大切な溶接の現場

同じようなことが、私が32年間勤務した消防でもありました。

生死にかかわるシビアな仕事なので、現場活動のみならず訓練でも安全管理にはとても厳しい職場でした。
それでも、32年間に小さいものから大きいものまで、ミスは発生し、事故も起こりました。

内部にいたころには気づかなかったことも、辞めてからは当時のことを俯瞰してみることができるようになり、その原因の一端が理解できるようになりました。

KYT(危険予知トレーニング)やヒヤリハットによる安全教育をひんぱんに受けていても、ミスが連続することがありました。
ふだんから安全管理にうるさい上司から、さらに厳しく執拗に安全管理を指導されました。
それでもなお、ミスが止まりませんでした。

ミスを犯した者は、始末書の提出を命じられていました。
そして、署員の前で見せしめのように激しい言葉で叱責されていました。

他の職員も、あんなふうに叱責されたくない、と考えると、訓練も現場活動も、ミスを犯してはいけないという強い思いから、心身が硬直したようにぎこちなくなります。
そんなときに限って、ふだんなら絶対にやらないミスをしてしまいます。

ミスを犯すだけではなく、発覚しないような多少のミスだと、報告しなくなります。

まるで子どもじゃないか、と言われそうですが、ミスが連続する期間は、一種異様なムードが職場内にたちこめていました。
日常勤務が平常モードではなくなるのです。

ミスの原因究明ではなく、単なる責任追及となってしまえば、どこの職場でも起こりうることです。
人間の心理には、業種が違ってもそれほど大きな違いはないはずです。

一瞬の判断ミスはなぜ起こったか、現場の状況から解明して、次のミスを無くすことが大切なのに、現実は「精神論」で片付けてしまっていたのです。

「緊張感が足りない!」
「プロ意識が欠如している!」

そんな精神論で片付けるほうが、懸命に原因究明するよりはるかに楽ではりますが、別の署で同じミスが発生することの予防にはまったくなりません。

隠し事のないチームで安全に

安全第一と標示された作業現場

ミスを隠してしまうということは、心に壁ができてしまっているということです。
攻撃されたくない、スキを見せたくない、余計なことにはかかわりたくない
そんな心理状態になってしまっているのです。

「チームワークが大切だ」というのは、いつも「安全」とセットで口にされる言葉です。

チームワークを良好にする空気を醸成するためにも、全体でミスや事故の原因究明につとめて、けっして責任追及・厳罰主義に陥らないことです。

大切なチームのためにもミスを犯さない、安全のためには自主的にかかわっていく、それが真の安全管理だと思います。
子育ても、家族間で隠し事のないように愛情を伝えてのびのび育てながら、危険から身を守ることも同時に教えていかなければなりません。

どちらも、責任と喜びが大きいやりがいのある仕事です。