母校「先輩に学ぶ」の講師に

2008年2月7日はわが母校鳥取県立中央育英高等学校(私がいた頃は「由良育英」でしたが)の「先達に学ぶ」という1年D組の授業の講師に招かれてしゃべって歌って来ました。

後輩たちに語る

真剣に見つめる生徒さんの顔を見ながら歌い、語りました。
自分が高校生だった遠い昔を思い出しながら。

消防士の仕事について語り、現場のエピソードも話しました。
消防士をしながら続けている音楽活動についても話しました。

小学、中学と音楽の授業の成績は、5段階評価で、いつも「1」でした。
でも、歌が好きで、ビートルズにのぼせ、育英に入学して一年生の時にはじめたギターがきっかけで、歌を作るようになった経緯など。

段は語る機会はないのですが、どんなときにどうやって曲を作るかとかについても、ギターを使って話しました。
何曲か、PAなしの生音で歌いました。

歌いながら、この音楽活動のスタートは、2年生のときの育英祭(秋の学園祭)のステージに立ったのがスタートだったなあ、なんて思い出していました。

高校時代にやっていたことは、部活だったり、勉強だったり、私みたいに音楽や小説だったり、人それぞれ違っても、一生懸命夢中になってやっていたことは無駄にならないのだと思ったこと。

卒業して数十年が経過したけど、高校時代の親友は今でも特別な存在であること。

青春まっただ中の生徒諸君の曇りない眼に見つめられながら、たくさん話して歌いましたが・・・時間が足りませんでした。
おじさんは、君たちを応援するからね!!

yura

懐かしい出会い

由良育英同窓会報(2003/7/18 No.27号)

「ハワイ笑歌村塾」で活躍 石川達之
75年卒のページ

「ハワイ笑歌村」という名で活動を始めて三年。
現在三枚目の自主制作CDを製作中です。
仕事が休みの日には、山陰各地に出かけて歌ったり、ラジオに出たりする生活が続いています。

二年生の育英祭でギターを抱えて体育館のステージに立ったのが初ライプでしたが、当時は、まさか方言ギャグソングを自分が作るようになるなんて相像もしていませんでした。

・当時のフォークソングと稚拙なオリジナルソングを極度に緊張しながら歌ったことを覚えています。

あれから三十年たちましたが、さすがに緊張で膝が震えるようなことはなくなったものの、いつもステージの出番前は木造校舎の教室や体育館で人前に出た時の気持ちが、不思議なくらい鮮明に甦ってきます。

イベント会場で卒業以来というような同級生と出会ったり、県外に住んでいる同級生から「CDを聴いてるよ」という便り をもらったり、懐かしい再会も大きな楽しみです。どこかで出会ったら声をかけて下さい。

※倉吉弁まる出しのおばさんのセリフが結構笑える。
かくれた人気を呼んでいるところです。

由良育英のことを忘れずに

由良育英高新聞(2004/2/27第305号)

卒業生へのメッセージを、ということで在校生のインタビューに答えたものです。
こんな内容も、この日教室で語っています。

石川達之さん(50年卒)

県外でも活躍している「ハワイ笑歌村塾」の石川達之さんにメッセージをもらった。

・高校生のイメージは?

「髪は短髪も長髪もあり、茶髪もありおもしろいと思う。でも、バンドが少ないんじゃないかな? よくわからないけど」

・石川さんはどんな高校生でしたか?

「僕は東郷中出身で、当時は全員ボウズだった。でも、僕はビートルズマニアだったから、高校に「入学したら髪を伸ばしていて、ビートルズみたいな感じの長髪だった。先生に注意されたこともありましたね¥(笑)直さなかったけど」

・高校の思い出は?

「誰が持ってきたのかわからないギターが各教室に三本はあった。で、休憩時間とかによくひいてたなぁ。先生にうるさいって、よく注意されました」

・卒業生にメッセージを。

「女房は由良育英のときの同級生。当時の友達は今も友達。いろいろなことに悩んだりもしたけれ ど、最高の思い出。
卒業のときはやっぱり寂しかった。たまには同窓会しなさい。ちなみに、僕らの学年(50年卒)は卒業してから一度も同窓会をしたことがない。
由良育英時代の心を忘れずに年をとりましょう」