母が作ってくれた晩ご飯 救急現場で思い出す

私が消防士時代、ずいぶん昔、バイクの単独事故の救急に出ました。

山陰の冬の厳しい寒さの中、救急車は出動しました。
朝の通勤ラッシュの時間帯で、長く続く車の列の間を縫うようにして現場に向かいました。

ようやく道路上に横たわった大型のバイクが見えてきました。
しかし、肝心の運転者は見当たりません。

3人の救急隊員が周囲を探してまわりました。
倒れた単車からかなり離れた場所に、運転者は飛ばされていました。
発見した私が、大声で知らせました。

フルフェイスのヘルメットをかぶった、厚手の革ジャン姿の男性でした。
ヘルメットを脱がし、呼吸を確認すると、すでに停止していました。
見ると、まだ18歳か19歳くらいの若い男性でした。

「隊長、CPA状態です!」

CPRを実施しようと、私は心臓マッサージをするために、彼の革ジャンの胸をはだけさせようとしました。
しかし、ファスナーが何かに引っかかって、胸の途中から動かないのです。
気をつけて見てみると、胸がふくらんでいて、中に何かが入っているようでした。

手を入れて、中の物を引っ張り出しました。
出して見ると、それは四角い布の袋に入った弁当箱でした。
まだあったかかったそれを脇にやり、心臓マッサージにかかりました。

CPRを継続しながら、ストレッチャーに移し、救急車内に収容しました。

私は揺れる救急車の中で、汗だらけになりながら心臓マッサージを続けました。
病院までかなり距離があり、心マを継続しながらバッグマスクを当てられている青年のことを考えました。

とても寒い朝だったので、彼はホッカイロがわりに胸の中に弁当を入れていたのでしょう。
その弁当は、おそらく仕事に通う息子のためにお母さんが作ったものだったのだと思います。

もしかしたら、とても若い男性だったので、就職して間もなかったかもしれません。
就職したての息子のために、母親が朝早く起きて作ったのかもしれません。

単独事故を起こすくらいだから、仕事に遅刻しそうでスピードを出しすぎたのかもしれません。
ほんとうだったら、いつか母親に
「おかあさん、いつも弁当ありがとう」
意識を失い呼吸停止ししてしまった彼は、そう言いたかったのではないだろうか。
そんなことを考えながら心臓マッサージをしていました。

自分は後悔しないように伝えよう。
救急車が交差点を曲がるたびに、大きく揺れて倒れそうになる体を立て直して心マしながらそう思いました。

しかし、私が実際にに母に「ありがとう」を伝えたのは、ずっとあとになってからでした。
実家で母の顔を見るたびに、照れくさくて、また今度、また今度と先送りしたのです。
先送りするたびに、あの事故のことを思い出していたのですが。

数年前、母が入院している病院に向かっているとき、ふいにそのときの光景がよみがえりました。

あの現場に出動していなかったら、私は母親に
「産んでくれてありがとう」
という言葉を伝えることはなかっただろうと思います。

あの事故をきっかけに伝えようと思いながら、実際に言葉にして伝えたのは、20年後でした。
意識の回復しない母の顔を見ながら、あの時、伝えられてよかったと思いました。
それと同時に、なぜそれ以降も、もっともっと言葉にして感謝を伝えなかったんだろうという後悔の念もありました。

そんなときに作った歌があります。

『晩ご飯』

あの交差点を抜けて
まっすぐゆけば見えてくる僕の家
反抗期で 家族といるのがいつも苦痛だった
あの頃も母は 晩ご飯を作ってくれていた

うちに帰らず友達のうちを
泊まりあるいていた頃も
ずっと晩ご飯を作って待っててくれてたね
そんな母がやがておばあちゃんになり
やがていなくなることは分かっていたのに

かあさんのいない初めての冬が始まりました
鳥取の冬はこんなに寒かったんだね かあさん

冬の寒い季節になると、毎年思い出すあの布の袋に入った弁当箱のぬくもり。
目を開けなくなった母の顔。
「産んでくれてありがとう」
と伝え花束を渡したときの照れくさそうな母の顔。

子育て講演会でもなかなか歌う機会がありませんが、親への懐かしい思い、あったかい思い出を思い出していただける機会になるなら、もっと歌っていきたいと思っています。