ふるさとからの優しいエール 「梨のうた」は長男への思い

2010年刊行の鳥取県が発信する季刊誌「とっとりNOWvol.87秋号」でCD「梨のうた」の話題を取り上げていただきました。

記者さんに、歌詞の中のエピソードを語りました。
梨生産農家で育った私には、日常で梨を目にするのが当たり前の日々を過ごしてきました。

「梨をテーマに歌詞を書こう」と思いついたものの、なかなか進みませんでした。
梨に対する思い出が多すぎることもその理由の一つだったと思います。

「ふるさとと都会」というイメージを歌にしようという最初からのコンセプトでした。
そうなると、私の頭の中には、当時東京に住んでいた長男の顔が浮かびました。
私が4年間住んでいた東京で、数十年経って息子が暮らしているのか、と考えました。

入学が決まって、東京行きの夜行バスに乗るために、鳥取駅まで送って行ったとき、大きなバッグを抱え、ベースを背負ってバス停に向かう長男の後ろ姿を見て、胸がキューとなったことを覚えています。

その後、長男とはなかなか連絡が取れない上に、めったに帰省もしませんでした。
いろいろと思い悩んでいるようで、何度か大学を中退したいと連絡してきました。
アパートを管理している不動産会社から、家賃滞納を知らせる文書が何度も送られてきました。

夢を描いては破れ、心を閉ざしているのではないか。
都会の日々に、心が摩耗しているのではないか。

そんなことを思いながら、ペンを走らせました。

無口な君の横顔は
都会の日々に疲れきり
ときに傷つき心を閉ざす
そんなときには思い出せよ

というフレーズが出来上がりました。
歌詞を綴るうちに、私自身が4年間過ごした東京での生活を思い出しました。

自分の将来がまるで見えない不安と戦いながら、中学生の頃から自分の心を救ってくれた小説の世界にどっぷりとつかり、朝から晩まで読みふけっていました。
当時は、携帯もなければインターネットもない、そもそもパソコンもまだまだ登場しない時代だったので、東京から鳥取県は今よりもとても遠いところという感覚でした。

狛江市という町に住んでいました。

当時は、「狛江駅」は本当に小さな駅舎で、駅前も繁華街というにはほど遠い、東京らしからぬ町でした。
駅のすぐ前に八百屋さんがありました。
今では鳥取県産のものはけっこう東京で見かけますが、当時はほとんど目にすることができませんでした。

夏場に、「大栄スイカ」(現 北栄町)のダンボール箱の文字を目にしたときは、すごく嬉しかったものです。
秋のある日、夕方学校の帰りにその八百屋さんの店舗横に、鳥取県の「東郷二十世紀梨」(現 湯梨浜町)の積み上げられたダンボール箱が見えて、両親の顔や祖父母の顔が浮かびました。
純文学にかぶれて斜に構えたことばかりしゃべっていた自分が、懐かしさで涙ぐみそうになっていることに気づきました。

店先に並ぶ梨の実見つめ
君 切ないほど目元うるます
黄緑色があざやかに
手のひらの上で輝いて

の歌詞の中で涙ぐんでいるのは、私だったのです。
そんなかつての自分の姿と、長男の姿が重なって出来上がったのが「梨のうた」でした。

田舎が嫌で上京したつもりだったのに、いつの間にか鳥取県に対する愛情がふくらんでいたんだと思います。

心に響くCD「梨のうた」発売

島取のシンボル・二十世紀梨を題材に、ふるさとを離れて暮らす人々を励ます「梨のうた」が誕生した。
ギターが奏でる優しいメロディー郷愁あふれる歌詞が、多くの人の心を打つ鳥取発の応援歌として、話題となっている。

制作を手掛けたのは、湯梨浜町在住の石川達之さんと三朝町出身の竹内克文さん。石川さんは地元、竹内さんは東京を中心に音楽活動を続け、数年前に出会い意気投合した。

共通点である故郷をテーマに一緒に歌おうと、詞は石川さん、曲を竹内さんが担当して歌を作成。
昨年11月に東京のイベントで初披露したところ、感動の涙を流す観客も多く、予想を超える反響に「もっと多くの人に聞いてもらおう」と今年、CDを発売した。

歌は、石川さんが東京在住のこの自身のエビソードをベースにした。
都会で奮闘しつつも孤独を感じる”君”が、店先で二十世紀梨を見かけて故郷の人々の励ましの声を思い出し、情熱を取り戻すというドラマが展開されている。

石川さんは「地元に誇りをもってもらいたいという思いを込めました。鳥取の応援歌として歌い継がれていけば」と期待を込める。

定価1500円。県内のCDショップ、鳥取二十世紀梨記念館、東京新橋の島取県アンテナショップなどで販売中。