心の健康とのかかわり|プロフィール

うつのお客さまとの出会い

ある時一通の手紙が来ました。

ラジオで流れた私の方言ギャグソングを聴かれた方からでした。
ご主人が数年前からうつで、仕事もできない状態で、ずっと家に閉じこもったまま過ごされていたそうです。

ラジオの音楽リクエスト番組で私の歌を聞いて、ご主人は声をあげて笑ったそうです。
「ずっと長い間夫が笑う姿など見たことがなかったのに」と感謝の言葉が書いてありました。

その後は、遠方にもかかわらずライブがあると、夫婦して見に来られました。
私の歌がそんなふうにわずかでも誰かの役に立っていたと思うと、とても嬉しかったのを覚えています。
幸いにもその後、ご主人は回復されて仕事にも復帰されました。

うつのお客さまが多かった

ライブを見に来られた方から、
「あなたの歌を聞くと、嫌なことを忘れられます」と言ってもらうことが多くなりました。

その頃から、単に自分の作った歌を聴いていただくだけではなく、少しでも聴きに来た人の心を軽くしたいと思うようになりました。それが私の講演のメインテーマを「心」にしようと思うようになったきっかけです。

「心の弱っている人を元気にしたい」
「元気な人はもっと元気にしたい」

そんな思いで、活動の重点をライブから講演に移しました。

がんばらなくてもいい
がんばらない日があってもいい
のんびり歌でも聴こうよ
時々君のこと想うと 涙が出そうになる
だけどそんな君のこと僕は大好きさ
「ゆっくり歩こう」より

突然の妻のうつ


それはまったく予想もしなかったことでした。

2人の息子達が都会の学校へ進学すると、我が家は夫婦2人だけの生活になりました。
その頃から妻は食事がだんだん食べられなくなり、もともと細かった体が、さらに細くなっていきました。
妻は転職したばかりで、息子達がいなくなった寂しさと、慣れない仕事でのストレスが重なったせいで、夜も眠ることができなくなりました。

当時私は24時間勤務で、私の勤務日は妻は一人で家にいました。
勤務日の深夜、妻から「眠れない」「手がふるえる」「苦しい」「どうしていいかわからない。助けて」という言葉が並んだメールが届くようになりました。
心配で今すぐにも帰って顔が見たい、と思ってもそれが許される職場ではありませんでした。

妻は仕事を辞め、自宅療養することになりました。
毎日、ため息ばかりついていました。
当時は、うつは今ほど世間で認知されていませんでした。
うつの関連本を探しても、医師が書いたうつへの処方的な内容のものしかなく、頭を抱えるばかりでした。

非番の日は、私が食事や掃除、家事全般をやるようになりました。
それでも、うつを抱える妻とどう接することが回復に近づく道なのか、皆目分かりませんでした。
よかれと思ってかけた言葉が、よけいに妻を苦しめることもありました。

時には「もしかして早まったことをしたのではないか!」と、心臓が凍り付くような思いで、急いでうちに帰ったことも何度もありました。

「あなたの歌に癒されました」といろんな方に言ってもらっても、自分の妻の心を癒すことさえできなかったではないか、と自分を責めました。

うつ関連の書物を読みましたが、当時はまだうつ関連の書物の数は少なく、家族としてどうしてやればいいのか、具体的に示してある本には巡り会えませんでした。

私自身も、「なんのために生きているのか」と、生きている意味が見いだせない時期でした。

心理学を学ぶ


妻は病院に通院し、7年が経過し、ようやく笑顔が戻って来ました。
「自分のような体験をした人の役に立ちたい!」
彼女はその思いで心理カウンセラーの勉強のために大阪に通うようになりました。

一方私は、講演終了後に病気の家族を持つ参加者さんから相談を受ける機会が増えました。
メールでも、とにかく誰かに聞いて欲しいと、つらい経験を告白する内容のものが多く寄せられるようになりました。
誰にも相談できずに悩んで来られた方がいかに多いかに気づかされました。

少しでも元気になっていただける話をできないだろうかと、妻に後れること数ヶ月、私も心理学の授業を受けるために大阪に通いました。

「うつ・自殺予防」の講演依頼、福祉施設の職員対象の研修会の講師依頼を受ける機会が増え、心の病気への理解を深めていただくために、苦しんだ時期に作った歌をはさみながらお話をさせていただくようになりました。

苦しみ切ない 眠れぬ夜は
僕のことを思って 目を閉じて欲しい
なんで生きてるのなんて 言わないで欲しいから
君がいるだけで僕は 生きる意味を知
「君を想う夜」より