私はかつて消防士として、24時間勤務の交替制で働いてきました。
夜、仮眠室で横になっても、出動ベルがいつ鳴るかわかりません。
「今夜は静かな夜でありますように」
そう祈りながら目を閉じます。
ようやく、うとうとしかけたところで大音量の出動指令。
火災なら防火衣を着て消防車へ、救急なら救急服に着替えて救急車へ。数十秒で出動します。
現場から戻っても、身体は興奮したままです。
再び横になっても眠れず、そのまま朝を迎えることもありました。
そんな24時間勤務を、30年近く続けました。
眠れていないことに、自分では気づけなかった

勤務が終われば、家でゆっくり休めるとは限りませんでした。
非番日にも訓練や講習、予防査察がありました。
私は消防生活の大半を予防係として勤務し、火災が起きれば消火活動だけでなく、火災原因調査も担当していました。
連続して火災が発生したときには、非番日も含め、長時間の調査が続くこともありました。
若い頃は、それでも非番日にはギターを弾いたり、同僚と出かけたりする元気がありました。
ところが、年齢を重ねるにつれて、当番明けの身体がどんどん重くなっていきました。
仮眠時間はあっても熟睡できない。
家に帰って横になると、今度は目がさえて眠れない。
昼間は、いつも身体がだるい。
それでも私は、こう思っていました。
「みんなも同じだから、まだ大丈夫」
今思えば、大丈夫ではなかったのです。
消防を退職して15年が過ぎた今、あの頃の自分に言ってやりたいです。
「おまえ、相当無理してたんだぞ」
しかし、その最中にいる本人には、なかなかわかりません。
少しずつ疲れが積み重なると、それが普通になってしまうからです。
睡眠不足は、安全確認にも影響する

厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」では、成人は個人差を踏まえながら、6時間以上を目安に必要な睡眠時間を確保することが勧められています。
同時に大切なのが、朝起きたときに「休めた」と感じられるかどうかです。これを「睡眠休養感」といいます。
時間だけを見れば眠っていても、夜中に何度も目が覚める。朝から疲れている。日中に強い眠気を感じる。そんな状態が続いているなら、心身が十分に休めていない可能性があります。
(参考:厚生労働省「健康づくりのための睡眠ガイド2023」)
消防・救急現場では、労災事故にあった方や職場の関係者から、事故当時の話を聞くことがありました。
その中には、次のように話された方もいました。
「考え事をしていて、ベルトコンベアーに手を挟まれた」
「悩み事があって、一瞬ぼんやりしてしまい、丸鋸で手を負傷した」
もちろん、労災事故の原因を、その人の睡眠不足や悩みだけに求めることはできません。
設備、作業手順、人員配置、教育など、職場として整えるべき安全対策が土台です。
そのうえで、睡眠不足や悩みによって集中力や注意力が落ちていないかにも目を向ける。それも安全管理の一つだと、私は現場経験を通して感じています。
運送業では、事業者が乗務前に睡眠不足の有無を確認し、安全な運転ができないおそれがある場合は、運転者を乗務させないことが定められています。
睡眠は、個人の生活習慣だけで片づけられる問題ではありません。人の命を預かる仕事では、組織として考えるべき安全の問題でもあります。
(参考:国土交通省「睡眠不足に起因する事故の防止対策を強化します」)
「大丈夫」という返事だけでは、わからないこともある

私自身、消防時代に、仕事の気がかりが頭から離れず、仮眠室で眠れないことがありました。
寝不足の翌日は、普段なら気にもしない上司のひと言に腹を立てたり、小さなミスを必要以上に引きずったりしました。
「ああ、いつもの自分じゃないな」
そう感じたときには、すでに心にも身体にも余裕がなくなっていたのだと思います。
妻が心の病気になったときも、最初に表れた変化の一つが「眠れない」ことでした。
夜中に何度も目が覚める。朝早く目が覚めて、暗いことばかり考えてしまう。
それでも日中は普通にしているように見えたため、私も最初は気づけませんでした。
「最近、眠れないの」
妻がそう口にしたとき、もっと早く気づいてあげられなかったことを悔やみました。
職場でも、口数が減る、表情が暗くなる、遅刻やミスが増えるなど、普段とは違う変化が見えることがあります。
「大丈夫?」と聞けば、「大丈夫です」と返ってくるかもしれません。しかし、その返事だけでは、本当の状態がわからないこともあります。
大切なのは、周囲が病名を判断することではなく、普段のその人との違いに気づくことです。睡眠の不調や心身の変化が続いている場合は、産業医、保健師、かかりつけ医など、専門家への相談につなげることも必要です。
(参考:厚生労働省「こころの耳」ご家族の方へ:ご存知ですか?うつ病)
『やさしい眠りをあなたに』に込めた思い

以前、鳥取県の自死予防対策「眠れてますか?睡眠キャンペーン」の普及のためのキャンペーンソング制作の依頼をいただきました。
作ったのは、『やさしい眠りをあなたに』という曲でした。
この歌は、「うつ病」とか「自死」という刺激の強い言葉を直接扱わないで、うつ病の引き金となりうる睡眠障がいに気づき、眠れない状態を一人で抱え込まず、必要なときには相談機関へ相談することを促す内容です。
現在も、自殺予防対策講演会などでこの歌を歌い、誰かに話すことの大切さをお伝えしています。
(参考:鳥取県「眠れてますか?睡眠キャンペーン『やさしい眠りをあなたに』」)
この歌で伝えていることは、家庭内のことだけではなく、職場での「眠れてる?」という声かけにもつながっています。
「眠れてる?」も安全確認の一つ

安全管理というと、ヘルメット、安全帯、安全靴、KY活動などが思い浮かびます。
もちろん、どれも欠かすことはできません。
ただ、正しく使う人の注意力や判断力が落ちていれば、せっかくの安全対策が十分に生かされないことがあります。
朝礼で体調を確認するとき、こんなひと言を加えてみてはどうでしょうか。
「昨日、眠れた?」
もし「眠れていない」と言われたら、叱ったり、気合いで乗り切らせたりするのではなく、その日の作業や体調に、いつもより注意を向ける。
本人が「眠れていない」と正直に言える空気をつくることも大切です。
これは、以前の記事でお伝えした「ミスを隠さない職場づくり」と同じだと思います。
「眠れてる?」というひと言ですべてが解決するわけではありません。
それでも、「自分のことを気にかけてくれる人がいる」と感じ、悩みや不調を話すきっかけになるかもしれません。
「眠り」を守ることも安全管理

完璧な睡眠を目指す必要はありません。
厚生労働省のガイドでは、必要な睡眠時間を確保することに加え、食生活や運動、寝室の環境などを見直し、睡眠休養感を高めることが勧められています。
まずは、次のような小さなことからでよいと思います。
- 起きる時間を大きく乱さない
- 寝室にスマートフォンを持ち込まない
- 睡眠の不調や日中の強い眠気が続く場合は、医療機関へ相談する
私自身、仮眠室で眠れないときには、焦って無理に眠ろうとせず、目を閉じて身体を休めるようにしていました。
眠れない自分を責めるのではなく、今できる方法で少しでも休む。そして、不調が続くときには、一人で抱え込まないことが大切です。
かつての私は、「みんなも同じだから、まだ大丈夫」と思っていました。
だからこそ、今、現場で働いている方へお伝えしたいのです。
「ちゃんと眠れていますか?」
そして、隣にいる人が少し元気をなくしているように見えたら、声をかけてみてください。
「眠れてる?」
そのひと言が、相談するきっかけになり、事故を遠ざける一歩になるかもしれません。
安全とは、今日も無事に家へ帰ること。
そして、心と身体を休め、明日の朝を迎えること。
眠りを守ることも、職場で働く一人ひとりの命を守る安全管理だと、私は思っています。
この記事でお話しした「睡眠と安全」「心の健康と事故防止」については、安全大会の講演でもお伝えしています。
消防士時代の現場体験と、講演内容に沿ったオリジナルソングの弾き語りを交えた講演です。

