「えっ、何? 耳が悪ぅて聞こえんだがな」
何十年分もの思いを込めて、母に「生んでくれてありがとう」と伝えた直後に返ってきた言葉です。
私の頭の中にあった、感動的な親子の場面とは少し違いました。
退職の日にもらった花束
消防局を早期退職した日、在職者一同から花束をいただきました。
その花束を、母に渡そうと思いました。
そして、花束を渡すことをきっかけに、以前から伝えたいと思いながら、なかなか言葉にできなかった感謝も伝えようと決めました。
「生んでくれてありがとう」
「育ててくれてありがとう」
そう伝えようと思いました。
けれども、五十を過ぎた男が、母親に向かってあらたまって「生んでくれてありがとう」と言うのです。
照れくさくないはずがありません。
花束を持って実家を訪ねたものの、いざ母を目の前にすると、なかなか言い出せませんでした。
母と二人きりになったとき、ようやく思い切って口にしました。
「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」
おそらく、私は恥ずかしさで赤面していたと思います。
何十年分もの思いを凝縮して伝えたつもりでした。
ところが、母から返ってきたのは、
「えっ、何? 耳が悪ぅて聞こえんだがな」
という言葉でした。
気を取り直し、今度は先ほどよりも大きな声で、もう一度伝えました。
母が感動して涙を流すような場面を、私はどこかで期待していたのかもしれません。
しかし、母が涙を見せることはありませんでした。
少し拍子抜けしましたが、それでも、長い間伝えたいと思っていた感謝を言葉にできたことに、私は安堵しました。
父に伝える方が難しかった
それから数か月後、今度は父にも感謝を伝えようと思いました。
母に伝えることも照れくさかったのですが、父に伝えることは、それとは比べものにならないほど難しく感じました。
物心がついた頃から、父は母につらく当たることがありました。
部屋の隅で泣いていた母の背中を、今でも覚えています。
高校生の頃には、母に手を上げようとした父と取っ組み合いになったこともありました。
中学、高校時代には反抗が激しくなり、父とはほとんど口をきかなくなっていました。
子どもの頃、父に遊んでもらった記憶もありませんでした。
しかし、大人になってから、その理由に気づきました。
父は平日、毎日のように残業をして、遅く帰ってきました。休日になると、田畑へ出て農作業をしていました。
遊んでくれなかったのではなく、遊んでやれる時間がなかったのでしょう。
父は、私の顔を見るたびに、
「勉強しろ。勉強しろ」
と口うるさく言いました。
若い頃の私は、その言葉に反発するばかりでした。
けれども、自分が社会人になり、父親にもなってみると、父の言葉の裏にあった思いが少しずつ分かるようになりました。
父自身、学歴がないために、会社で自分より若い後輩が先に出世していく姿を見てきました。
そのことへの悔しさやコンプレックスがあったのだと思います。
せめて息子には、同じ思いをさせたくない。
父の「勉強しろ」という言葉は、うまく表現することのできなかった、父なりの親心だったのでしょう。
父との確執や、自分が親になってから父の気持ちを考えるようになった経緯については、こちらの記事にも書いています。
「育ててくれてありがとう」
父に感謝を伝えようと決心したものの、なかなか父と二人きりになる機会がありませんでした。
結局、母がそばにいるところで、意を決して切り出しました。
「子どもの頃は反抗ばかりしたけど、感謝してる。育ててくれてありがとう」
ようやく言い終えると、父が聞き返しました。
「何ぃ? 何だってぇ?」
母のときに続いて、また聞こえていません。
そのとき私は、父が若い頃からプレス工場で働いていたことを思いました。
大きな機械音の中で長年働いてきた父は、その頃から耳が遠くなっていました。
父が家族を養うために働いてきた、その年月のために、私の感謝の言葉が聞こえない。
そう思うと、もう一度、今度はさらに大きな声で伝えなければなりませんでした。
ところが、まだ私が言い終わらないうちに、今度は母が横から口を挟みました。
「何を言っとるだいや。このお父ちゃんのおかげで、私がどれだけ苦労して来たか。何回も東郷池に身を投げようかと思ったわ」
私の言葉を聞いて、父が感動する場面を想像していました。
しかし、父は無言のまま、こけしのように動かぬ表情で、遠い一点を見つめていました。
思い描いていた親子の場面とは、またしてもずいぶん違うものになりました。
感謝だけでは消えない過去
私が父に感謝を伝えたからといって、それまで家族の中にあった出来事が消えるわけではありません。
母が父との生活の中で苦労してきた年月も、なかったことにはなりません。
父に反発し、ほとんど口をきかなかった時期も、私たち家族の歴史の一部です。
それでも、私自身が大人になり、社会人になり、父親になったことで、若い頃には見えなかった父の姿が見えるようになりました。
毎日遅くまで働き、休日には田畑に出ていた父。
学歴がないことで悔しい思いをし、息子には同じ思いをさせたくないと願っていた父。
愛情をうまく言葉にできず、「勉強しろ」と繰り返すことしかできなかった父。
母が味わってきた苦しみと、父が家族のために働いてきた年月。
どちらか一方だけが真実なのではなく、どちらも私たち家族の中にあったことなのだと思います。
だからこそ私は、父にも母にも、自分を育ててくれたことへの感謝を伝えたいと思いました。
母が亡くなった後に残った救い
母に「生んでくれてありがとう」と伝えてから、1年半後に、母は亡くなりました。
亡くなってからも、後悔することはたくさんありました。
もっと、あんなこともしてあげればよかった。
こんなところにも連れて行ってあげればよかった。
考え始めれば、いくらでも浮かんできます。
感謝を伝えたからといって、後悔がなくなったわけではありません。
それでも、母が生きているうちに、
「生んでくれてありがとう」
と伝えることができました。
あのとき、照れくささから逃げずに言葉にできたことは、母を亡くした後の私にとって、大きな救いになりました。
感謝は、心の中で思っているだけでは相手に伝わりません。
言葉にしても、思い描いたような反応が返ってくるとは限りません。
母から聞き返され、父からも聞き返され、私が想像していたような感動的な場面にはなりませんでした。
それでも私は、あの日、両親に「ありがとう」を伝えられてよかったと思っています。
伝えられるうちに、言葉にする。
その言葉は、相手に届くだけではなく、いつか残された自分の心を支えてくれることもあるのだと思います。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイをもとに、加筆・再構成しました)

