「ありがとう、ありがとう」
呼吸が苦しいなか、酸素マスクをつけたおじいさんは、小さな声で何度も繰り返していました。
その手を、孫娘が握っていました。
32年間の消防生活で、私は数多くの救急現場に出動しました。そのなかでも、この救急車内の光景は今も忘れられません。
おじいさんの「ありがとう」は、同乗していた家族に向けられた言葉でした。しかし、その言葉を聞いていた私自身も、家族や大切な人に感謝をきちんと伝えてきただろうかと考えさせられたのです。
ベッドを囲んでいた家族

「寝たきりの高齢男性の呼吸状態が悪くなった」
そのような内容で、救急要請がありました。
おじいさんが寝ていたのは、玄関のすぐ横の部屋でした。
部屋に入ると、息子夫婦と2人の孫娘がベッドを囲み、心配そうに見守りながら話しかけていました。
おじいさんは、苦しそうな呼吸の合間に、小さな声で繰り返していました。
「ありがとう、ありがとう」
その言葉と、ベッドを囲む家族の姿を見たとき、私は、おじいさんが家族から大切にされていることを感じました。
もちろん、それまでこの家族がどのような時間を重ねてきたのか、私には分かりません。
それでも、その部屋に流れていた温かさは、救急隊員だった私にも伝わってきました。
救急車の中で、孫娘が握っていた手

救急車には、息子さんの妻と孫娘の一人が同乗しました。
搬送中も、孫娘は酸素マスクをつけたおじいさんの手を握り続けていました。
おじいさんが、小さな声で話しました。
「おじいちゃんは、いつでもお前たちのことを……」
酸素マスク越しの声は小さく、救急車の走行音も重なり、その先は聞き取れませんでした。
孫娘は、言葉を聞き取ろうと顔を近づけていました。やがて、その肩が大きく震えました。
隣にいた母親が、孫娘の背中に腕を回しました。
荒い呼吸を続けながら、それでも家族に何かを伝えようとするおじいさん。その手を離さず、言葉を聞こうとする孫娘。
救急車内で交わされた言葉のすべてを、私は聞き取ることができませんでした。
それでも、おじいさんが繰り返した「ありがとう」は、今も耳に残っています。
帰署する車の中で、自分の家族を思った
おじいさんを病院へ収容し、署へ戻る途中、私は自分の家族のことを考えていました。
大切に思っていても、言葉にしない。
「言わなくても分かっているだろう」と、つい甘えてしまう。
私にも、そんなところがありました。
けれど救急現場では、それまで当たり前だった日常が、突然変わってしまうことがあります。
「ありがとう」は、心の中で思っているだけでも尊い言葉です。しかし、声に出すことで初めて相手へ届く思いもあります。
立派な言葉でなくてもいい。
何か特別なことがあった日でなくてもいい。
食事を作ってくれたとき。話を聞いてくれたとき。そばにいてくれたとき。
その都度、「ありがとう」と伝えておけばよかったと後悔しないようにしたい。
あの救急車の中で、おじいさんと家族の姿から、私はそう教えられました。
感謝は、心の中にしまったままにしない

家族と過ごせる時間は、これからもずっと続くように感じます。
しかし、子どもと暮らす時間も、親と一緒にいられる時間も、振り返ればあっという間です。
感謝を伝えたからといって、すべてがうまくいくわけではありません。家族だからこそ、素直に言えない日もあります。
それでも私は、言えるときに伝えておきたいと思うようになりました。
「ありがとう」
たった5文字ですが、その言葉には、相手を大切に思う気持ちが込められます。
今日、身近な人に一度だけでも、声に出して伝えてみてはいかがでしょうか。
命や家族への思いを、講演でも伝えています
講演では、32年間の消防・救急現場で心に残った体験とオリジナルソングを通して、命の大切さ、家族への感謝、言葉で思いを伝えることについてお話ししています。
この救急現場のように、理屈ではなく、一つの場面から自分や家族のことを考えていただける講演を届けたいと思っています。

