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ポジティブ思考

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

ネガティブ感情だって大切(日本海新聞コラム)

私はカウンセラーをやっているわけではありませんが、たまに「話を聞いてほしい」と言われることがあります。

既知の人もいれば、未知の人もおり、多くは強い感情疲労をかかえていると思われる方たちです。

「私はどうもネガティブに物を考えるたちで」と、自分の思考傾向を否定的に語られます。

話してみると、悩み事を友人に相談すると、「なんでもネガティブに考えすぎだよ」とか、「見方や捉え方を変えなきゃ」と言われて、かえって心の痛みが増したという方が多いようでした。

中にはそんなひと言で、死にたくなりました、とおっしゃった方もいました。

幸福学や幸福心理学関係の本に書かれたポジティブ感情についての記述が、自己啓発的な書物の多くに引用されています。それに感化された人も多いのでしょう。

人が生きていく上でポジティブ感情は不可欠なものですが、心の状態によっては、いくら言われても、とてもそんなふうに考えられないときもあります。

思いや感情を、ごみのの分別のように、はいこれは「ポジティブ」、はいこれは「ネガティブ」と、単純に分別できるはずもありません。

そもそも「侘び寂び」好きで、寂しさや悲しささえも「風情」としてとらえる日本人の感覚からすると、逆にポジティブ過ぎるのには抵抗がありはしないでしょうか。

廃線の旅や軍艦島上陸ツアーが人気があるのも、単に歴史的価値という面だけではなく、朽ち寂れていくものに対して郷愁を感じる人が多いからなのだと思います。

テレビドラマや映画だって、悲しいすれ違いや、切ないほどの思いがあるからこそ、感動が生まれるわけです。ネガティブ感情も、発奮するきっかけになったり、危険を回避する行動につながったり、泣いたり叫んだりすることで大きなストレス解消になることもあります。

ネガティブ感情を体験することで、より上質なポジティブ感情を持てるのだと思います。

嫉妬や憎しみ、悲しみ、苦しみなど、すべての感情には理由があるのに、それを単にネガティブ感情だとカテゴライズして悪者にし、とにかく前向きになろうと無理をすることが果たして幸せに通ずるのか、と疑問に思います。

見方や捉え方を変えられるかどうかあえばいいのだと思いは、そのときの心や体の疲労度で大きく異なるはずです。
心が弱っているときの無責任な励ましは、風邪で熱を出して寝込んでいるのに、「頑張れ、ポジティブに考えるんだ。立ち上がって問題解決に向かって走るんだ」とげきを飛ばしているようなものではないでしょうか。

苦しみ迷いの中で身動きができないでいるのなら、張りつめた心の緊張をゆるめるために目をそらしたっていいのだと思います。回復してのちに、じっくりと出来事や自分の感情に向きあえばいいのだと思います。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

幸せは気持ち次第(日本海新聞コラム)

よく聞く言葉に「幸せは気持ち次第」というものがあります。

確かにそうだと感じた経験は、多くの方にあるのではないかと思います。しかし、この言葉を言われて傷つく人もたくさんいます。

心理学者アルバート・エリスが提唱した「ABC理論」として知られている論理療法は、今では自己啓発系のジャンルでマイナス思考からプラス思考に転じるためのノウハウとしてよく取り上げられています。

よく「コップに半分の水」の捉え方に例えられます。コップに半分の水を見て、水の量は同じなのに、「半分しか残っていない」と悲観するのも、「まだ半分もあるじゃないか」と楽観するのも、単に思考・思い込みの違いである、という説です。

だから、悲観なんかしないで、思考を変えてポジティブに行こう、というわけです。

勿論、そのこと自体に異を唱えるわけではありません。しかし、そんなふうに思考を変えられるのも、心のエネルギーの量がある一定以上残ってないと無理なのだと思います。

私には心の病気を経験した友人、知人がたくさんいます。彼らの心が苦しさで悲鳴を上げているときに、その類の言葉をかけられることが多かったようです。

「あなたよりもっと重い病気で苦しんでいる人がいるのよ」
「もっと不幸な人はたくさんいる。君はまだ幸せな方だよ」

言われた方は、信頼していた人さえ自分の苦しみを理解してくれない、と孤独感、閉塞感を強め、自己の無価値感が強まったと言っていました。

「かえってどん底に突き落とされた」とさえ感じた人もいました。

ある友人は、心理カウンセラーに相談したら同じようなことを言われ、相談前より苦しくなったと話してくれました。
彼にとっては、「そんな理屈は当時の自分でも分かっていた。分かっていたけどどうしようもないから苦しんでいたんだ」そう言っていました。

自分を俯瞰して見るにはエネルギーがいります。

心が弱ってエネルギーが欠乏している時に言われても、心は変われないのです。

周囲の人の協力や思いやりがあったり、休息を十分とって回復したときに、ようやく「幸せを自分の気持ち」で決められるようになるのではないでしょうか。

自分自身がいくら上り調子な時でも、「コップに水が半分しかない」としか捉えられない心の存在を認めることが「思いやり」なのだと、私自身も忘れずにいたいと思います。

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