自分を大切にする一年に(日本海新聞コラム)

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

新年に届いた同世代の友人からの年賀状には、病気の報告があっだり、自身のメタボを自虐的に書いていたりなど、健康に関して一筆書いてあることが多くなりました。

年賀状に限らず、久しぶりに会う同級生との会話も、健康の話題が多くなりました。

それでも、中には学生時代と変わらず「長生きなんてしようと思わない」といまだに言う者もいます。

「なんだかんだ言いながら、すでにそこそこ長生きしてるじゃないか!」と皆から突っ込まれていました。

今では耳にすることもなくなった言葉ですが、「しらけ世代」の私たちが若い頃には、「長生きしたいなんて思わない」と口にすることで、刹那的に生きることがとてもかっこよく感じられたものでした。

明日も明後日も生きているのが当たり前で、元気に目覚めることが当然だと考えていた年頃でした。

まるで生に執着することがぶざまであるかのような、病気と闘っている人に失礼千万な思い込みを口にしていたものだと、今になってみるとあきれるばかりです。

時代が変わり、男性の平均寿命も80歳を越えた現代では、当時ととはまた違った意味で「長生きなんて」という言葉を口にする人が多くなったようです。

生き生きとかっこよく仕事をこなす高齢者が増える一方で、老老介護や下流老人問題など、将来を悲観したくなるニュースが多いことも大きな理由かもしれません。

そうかと言って、現実に多くの救急現場に出動してきた私の経験では、痛みに苦悶の表情を浮かべ呻吟しつつ搬送を急かせる人はいても、「それじゃ50歳になったのでそろそろ逝きます」と、スパッと突然死した人は見たことがありません。

長い病床生活を経験し静かな面差しで救急車に揺られている人はいても、自損行為は除き、生への未練を断ち切って搬送を拒否する人には出会ったことがありませんでした。

私の友人に限らず、過食や運動不足の不摂生な生活を送っていることに後ろめたさを感じ、病気で苦しむ暗い老後というイメージを抱き、「それなら長生きなんて」と考える人も多いのかもしれません。

しかし、病気があっても長生きできることのほうが多い時代です。
寿命は、なかなか自分の思惑通りに決定できるものではありません。

どうせ生きるのであれば、すでにある病気とも付き合いながら、少しでも健康的に齢を重ねていきたいものです。

つらいことを体験して人の心の痛みがわかるように、自分自身を大切にすることで、他人を大切に気づかうことができるのではないかと思います。

私自身も心身を大切にすることを心がけながら、昨年以上にたくさんのいい出会いがある一年にしたいと思います。

日本海新聞「潮流」の記事画像
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