人は、「大切」だとわかっていても、できないことがたくさんあります。
「健康」というものがどれだけ大切なものであるか、病気をしたときにはあんなに痛切に思い知ったのに、癒えてしまうと、その思いが薄らいでしまう。
遠く離れて暮らしていると、その存在のありがたさを、さびしさとともに噛みしめても、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、感謝の思いを忘れてしまう。
人は、経験した痛みやさびしさを、「大切さ」を思い出すエネルギーにすることで、やっと大切にできるのかもしれません。
大きくへしゃげた車両のドアをこじ開けて、瀕死のけが人を救出したときの光景は、その後にそんな現場をあまた経験しても、忘れられることができませんでした。
一つ一つの現場の記憶は、長年忘れていても、突然蘇ることもあります。
たまたま車で通った道路の片隅に置かれた花を目にした瞬間。
あのとき、そこに確かに必死にもがき苦しみ、助けを求めた人がいた。
そして、すでに息絶えた人もいた。
あれから数十年が経過してもなお、そこに花が供えられていることに、残された家族の存在を見た思いがしました。
そんな思いを抱くと同時に、健康や安全、大切な人の存在について、あらためて考えます。
2018年6月29日は、鳥取市で「第50回中国ブロック寺族婦人研修会鳥取大会」で、2日間の研修会の2日目の講師を務めました。
2日目の研修会でお疲れだったと思いますが、講演では、前半は大いに笑い、後半では多くの方が涙を拭いておられました。
普段から信者さんや地域の方々とふれあい、相談に乗られている皆さんなので、私の話すエピソードをしっかりと受け止めていただけたのかもしれません。
人の生や死や心と向き合っていらっしゃる方々だから、なおさら前のめりになるような感じで聴いていただけたようです。
人と自分を大切にすること
言葉にすると簡単ですが、なかなか実行できないものでもあります。
私も、自分の担当時間の前後も参加させていただきました。
毎日毎日お勤めをされ、ご説法されて、たくさんの信者さんに人の体と心の大切さや、自分の周囲の人たち、自分のご先祖さまへの感謝を念を持つことを教えていらっしゃることが、よくわかりました。
人のことは一生懸命になるのに、自分を大切にしてあげられてなかったり
自分のことにかまけて、他人を思いやれなかった自分を責めたりする人も多い現代です。
これからも私なりに、優しさや思いやりやぬくもりを、自分とまわりの人に届けていきたいと思った一日でした。