ショッキングな光景を目の当たりにして、
今、この瞬間を生きていることがどんなにありがたいことか!
そう心から感じたとしても、平凡な時間の流れの中で、いつしかその思いも色あせていきます。
もうずいぶん昔に、前職の消防士時代に救急出動したある交通事故現場での光景も、いつしか忘れていました。
朝の通勤時間帯に、当時、新しくできたばかりのバイパス道路での普通乗用車の単独事故でした。
意識のない若い女性を、事故車両から救急車へ収容しました。
後続の車両を運転していた負傷者のお父さんに、救急車に同乗してもらい、病院へ向かいました。
お父さんは、意識を失い呼吸のたびに口から血を吐いている娘を、呆然と見つめていました。
病院に収容し引きあげるときも、酸素マスクをつけた意識のない娘を前にして、言葉もかけることもできないくらい衝撃を受けているお父さんの姿が目に入りました。
事故の数ヶ月後、病院からの予後調査票で、その女性が亡くなったことを知りました。
消防士時代には、数え切れないくらいたくさんの交通事故現場に出動しました。
現場到着時にはすでに亡くなっていた人も、搬送後に死亡した人も、たくさんいます。
ショッキングな光景が、今でも忘れられない事故もいくつもありますが、多くの事故の記憶は、時間経過とともに記憶から消えています。
その女性の事故も、よくある単独事故の中のひとつだったので、そんなに思い出すこともありませんでした。
あれから30年以上の月日が経過しました。
当時、まだ幼かった私の二人の息子たちも、30代になり、結婚もして、子どももできました。
息子たちのお嫁さんは、二人ともまだ20代の前半です。そんな二人の姿を見ていると、時々あの事故のことを思い出します。
あの娘さんが、あのとき事故を起こしてなかったら、おそらくは結婚し、可愛い子どもたちに恵まれて、幸せな家庭を築いていたことでしょう。
あのときのお父さん、あれからどんな人生を送ったんだろう、そんなことも考えることもありました。
就職してまだ間もない娘が会社に向かう車に続き、仲良くお父さんも自分の会社に向かうために並んで車を走らせていたんでしょう。
いつもの平凡な、それでいて穏やかで大切なひとときだったのだろうと思います。
なんでもない日常に、縁起でもないことなど考えたくもありません。
それでも、自分の大切な人たちに、
「大切なんだ」
「ありがとう」
と伝えることが、とても大事なことだと、多くの悲しい救急現場のことを思い出すたびに痛切に感じるようになりました。
そんな思いから、両親に、妻に、子どもたちに、
「ありがとう」
と言葉で感謝を伝えてきました。
それでも、今考えてみると、その時点で大きな宿題を終えたような気持ちになっていたのかもしれません。
母が亡くなる一年半前に、
「産んでくれてありがとう」
と伝えものの、亡くなってみると、後悔が残りました。
正面向かって感謝の言葉を伝えられたことが、自分の慰めにはなっているものの、
母に対してもっとできることがあったのに、自分の生活に追われて怠ってきたのではないか、と自分を責める気持ちも残りました。
そんな私ですが、一年ちょっと前に一般社団法人倫理法人会に入り、たくさんの方のお話を聞いたことで、
大切なのは、単に感謝を伝えて終わりではなく、感謝し続けることだと気づきました。
そうすれば、もっともっといろんな形で感謝をあらわせたはずです。
これからも、たくさんの自分の大切な人に対して、感謝を行動であらわしていこうと考えながら生活しています。
おかげで、父親との関係も、かつて「育ててくれてありがとう」を伝えた時点よりさらにいい関係になれました。
私の息子たち家族も、よく子どもを連れて実家の父に会いに行ってくれています。
2020年1月9日(木)に鳥取市倫理法人会のモーニングセミナーで3回目の講話をさせていただきました。
そんな自分の悩みや迷いに満ちた半生の中で、大きな気づきが得られた救急現場と倫理の話をしようと思っています。
演題は 「生と死の交差点で学んだ『伝えること』の大切さ」でした。
会場は、いつもあったかい鳥取市会員の皆様からたくさんの笑顔でいっぱいでしたので、いつも以上に元気がみなぎりました。
「いなくなるなら」というオリジナルソングを最後に歌いました。
この曲を作ったとき、1番の歌詞を考えながら歌っていると涙が流れました。
いつもは1番の歌詞ができても、2番、3番と悩むのですが、このときは続きの歌詞が自然に浮かんできて、あっという間に完成しました。
歌を聞きながら、肩を小刻みに震わせながら涙をこらえている人もいました。
もともと「伝えることの大切さ」を、人一倍知り、感謝を伝えて来られた方ばかりなので、よけいにテーマが強く伝わったのかもしれません。
鳥取市倫理法人会の皆様、いつもありがとうございます!