救急出動すると、活動の経過が時間とともに記録されます。
何時何分に出動したのか。
何時何分に現場へ到着したのか。
何時何分に現場を出発し、何時何分に病院へ到着したのか。
さらに、病院を出発した時間、消防署へ戻った時間まで記録されます。
病人やけが人に迅速な処置を行い、適切な医療機関へ搬送することが重要なのは、いうまでもありません。
しかし、記録された時間だけを見て、
「なぜ、現場に到着してから出発するまで、これほど時間がかかったのか」
と責められるとしたら、出動した隊員はどのように感じるでしょうか。
検証は、本来、よりよい処置と搬送につなげるために行われるものです。
ところが、その目的を間違えると、現場の隊員は傷病者にとって必要な対応よりも、「後から責められないこと」を優先するようになる危険があります。
私は32年間の消防士生活を通して、検証することの大切さと同時に、検証の仕方によっては現場を萎縮させてしまうことも感じました。
救急活動では、すべての時間に理由がある
救急隊が現場へ到着して、すぐに病院へ向けて出発できるとは限りません。
傷病者がどのような状態なのかを確認し、必要な処置を行い、救急車へ収容します。
後日、検証会が行われる場合には、出動した隊員が、そのときの状況や判断について説明します。
なぜ現場で時間がかかったのか。
傷病者はどのような状態だったのか。
現場でどのような処置を行ったのか。
どのように救急車へ収容し、病院へ向かったのか。
活動を振り返り、もっとよい処置や搬送ができなかったかを考えることは、救急活動の質を高めるうえで欠かせません。
ただし、記録された時間は活動を検証するための情報であって、隊員を責めるための数字ではありません。
「なぜ時間がかかった」と詰められる怖さ

出動した隊員にも、
「自分の行った処置や現場での対応を責められたくない」
という気持ちがあります。
私が勤務していた頃にも、検証の場で隊員がかなり厳しく詰められる時期がありました。
現場到着から出発までの時間が長ければ、その理由を厳しく問われます。
もちろん、不必要に時間がかかっていたのなら、その原因を調べて改善しなければなりません。
しかし、検証の雰囲気が責任追及に傾くと、出動する隊員の意識も変わっていきます。
「とにかく早く病院へ搬送しなければ」
その思いが強くなっていくのです。
迅速な搬送は重要です。
しかし、現場から早く出発することだけが目的になれば、本来その場で必要な処置まで急いでしまう可能性があります。
数字のうえでは時間が短くなっても、それが傷病者にとって本当によい救急活動だったのかは、別の問題です。
時間を短縮することが目的なのではありません。
傷病者の命を守り、必要な処置をしながら適切に搬送することが、本来の目的です。
数字が目的になると、本来の安全を見失う

安全管理では、時間、件数、事故率など、さまざまな数字が使われます。
数字は、現状を把握し、問題を発見するために必要です。
しかし、数字をよくすること自体が目的になると、本来守らなければならないものを見失うことがあります。
現場滞在時間を短くする。
ミスの件数を減らす。
事故報告の件数を減らす。
数字だけを見れば、どれもよいことのように思えます。
ところが、報告すれば責められる職場では、ミスが減ったのではなく、表に出なくなっただけかもしれません。
現場滞在時間が短くなっても、必要な処置まで省かれているとしたら、それを改善とは呼べません。
数字の変化だけを見るのではなく、
「なぜ、その数字になったのか」
を確認する必要があります。
救命士制度と医師との意見交換で変わったこと
救急救命士制度ができ、医師と救急隊員が活動について意見を交わす機会が増えると、私が勤務していた職場でも検証のあり方が次第に変わっていきました。
単に、
「なぜ、これほど時間がかかったのか」
と追及するだけではなく、
「傷病者はどのような状態だったのか」
「その状態に対して、現場でどのような処置が必要だったのか」
「搬送中に、どのような処置を行うべきだったのか」
というように、傷病者にとってよりよい救急活動を考える方向へ進んでいきました。
現場での処置や、搬送中の処置の重要性も、さらに認識されるようになったと思います。
検証すること自体が変わったわけではありません。
誰かを責めるための検証から、次の救急活動をよりよくするための検証へ、目的が変わったのです。
検証会は組織の保身のためにあるのではない
もし、旧態依然とした考え方のまま、
「隊員の判断が悪かった」
「もっと早く搬送できたはずだ」
と、すべてを個人のミスにして終わらせていたら、どうなっていたでしょうか。
外部から批判されないため。
組織の責任を問われないため。
問題が起きたときに、誰か個人の責任を明確にして終わらせる。
それでは、現場に本当に必要な改善は見えてきません。
それどころか、隊員が責められないことを優先し、本来必要な処置や判断をためらうようになれば、大きな事故につながりかねません。
検証会で明らかにしなければならないのは、
「誰が悪かったか」
だけではありません。
なぜ、その判断をしたのか。
そのとき、傷病者はどのような状態だったのか。
人員、資器材、情報は十分だったのか。
同じ状況が起きたとき、組織として何を改善できるのか。
そこまで考えて、初めて検証が次の安全につながるのだと思います。
責任を問わないことと、何でも許すことは違う
責任追及に偏ってはいけないというと、
「それでは、ミスをしても誰も責任を取らなくてよいのか」
と思われるかもしれません。
もちろん、故意の違反や、危険だと分かっていながら行った行動については、別に考える必要があります。
しかし、結果だけを見て、すべてを本人の注意不足や緊張感の欠如として片づけてしまえば、本当の原因が分からなくなります。
なぜ、その判断をしたのか。
手順に無理はなかったか。
必要な情報は届いていたか。
人員や資器材は十分だったか。
疲労や時間的な焦りはなかったか。
同じ状況になれば、別の人にも同じことが起きないか。
人を責める前に、まず事実と背景を確認することが必要です。
よい検証につなげる4つの視点
救急現場での経験を、一般の職場に置き換えて考えると、検証する際には次の4つの視点が大切だと思います。
1.何のために検証するのかを確認する
誰かの責任を明らかにして終わるためではなく、同じ事故を繰り返さないために行います。
2.結果だけでなく、そのときの状況を聞く
後から見れば間違いに思える判断でも、その時点では必要な情報がなかった可能性があります。
結果を知っている立場から、現場の判断を一方的に責めないことです。
3.個人だけでなく、仕組みを調べる
設備、手順、教育、人員配置、情報共有など、組織として改善できる点を探します。
4.検証結果を現場へ返す
検証して報告書を作るだけではなく、何をどのように改善したのかを現場へ伝えます。
現場の人が、
「話したことが、次の安全に役立った」
と感じられれば、次に問題が起きたときにも率直に話しやすくなります。
安全につながるのは、責められないための報告ではない

検証の場で隊員や社員が考えることが、
「どう説明すれば、自分は責められずに済むだろう」
になってしまえば、本当に必要な情報は出てきません。
現場で起きたことを、正直に話せること。
うまくいかなかった判断についても、なぜそうしたのかを説明できること。
検証する側も、最初から結論を決めつけずに話を聞くこと。
その積み重ねが、同じ事故を防ぐための改善につながります。
検証会の目的は、組織を守るために誰かの責任を明らかにすることではありません。
現場で起きたことを次の安全へつなげ、働く人と、その仕事によって守られる人の両方を守ることです。
叱責によって職員が萎縮し、ミスの報告や声かけが減ってしまう問題については、こちらの記事で詳しく書いています。
ミスを責めない職場が事故を防ぐ|元消防士が考える安全な職場の作り方
安全大会・安全衛生講演会について
安全大会や労働安全衛生に関する講演では、32年間の消防士生活で経験した火災・救助・救急現場の出来事をもとに、安全についてお話ししています。
今回紹介した救急活動の検証も、消防の現場で実際に感じたことの一つです。
安全管理を精神論や個人の責任だけで終わらせず、現場で何が起きていたのかを率直に話し合い、次の改善につなげる。そのためには、働く人が萎縮せず、気づいたことを伝えられる職場の空気が欠かせません。
講演では、消防現場での失敗や葛藤、命と向き合った体験、チームワークの大切さについて、オリジナルソングの弾き語りも交えながらお伝えしています。
安全大会や安全衛生講演会を企画されている方は、労働衛生・安全大会講演のご案内をご覧ください。

