「がんばれ」は、不用意に口にしないほうがいい、ということは今ではよく知られています。
だからなのか、最近はやたらに「だいじょうぶ」がもてはやされているように思います。
それにはじゃっかん違和感を覚えます。
もちろん、信頼関係のできている間柄や、相手のことを十分わかっていての「だいじょうぶ」であれば、その言葉に励まされることもあるでしょう。
しかし、多くの場合、「だいじょうぶ?」と疑問形にしたところで、「うん、だいじょうぶ」と返ってくることがほとんどです。
「僕に何か力になれる?」とか、「何か手伝えることある?」と聞いたら、もしかしたら助力を求めてくるかもしれないのに、「だいじょうぶ?」と言われたことで、「うん、だいじょうぶ」と答える以外の道は閉ざされることの方が多いのではないでしょうか。
「君はだいじょうぶだから、自分の力でなんとかできるさ」と、ある意味突き放す感じがしたり、無責任な気休めにしか聞こえないこともあります。
ずいぶん以前に、テレビで尾木ママこと尾木直樹さんが言っていました。「『だいじょうぶ』って、人に言う言葉ではない。言う人の自己満足に過ぎない。『だいじょうぶ』は自分を励ますときに使う言葉」だと。
さすが尾木さん! と、大きくうなずいてしまいました。確かに、同じ言葉でも、自分に向かって発すると力を持つ言葉だと思います。不安なとき、恐怖心が頭をもたげたとき、悲しみで胸がつぶれそうなとき、「だいじょうぶ」と自分に言い聞かせると、少し気持ちが楽になります。
子育て講演会で、私の話や歌を聞いて、ハンカチで涙をぬぐう方が多いのも、悩み多き子育てで、なかなか自分に「だいじょうぶ」と言えなかったからではないかと思いました。藁をもすがる思いで、いろんな人からアドバイスをもらい、そのたびにできてなかった自分を責めていたりしておられるのでしょう。
生きて行く中で、ときに大きな不安に襲われることは、誰もが経験することだと思います。
他人に認められることは、尊くて嬉しいものですが、自分ほど、他人は自分のことを見てくれていません。
そんなとき、他人に言われると反感や、いらだちや、失望を感じることがあるかもしれませんが、自分が言う「だいじょうぶ」に耳を傾けるときは、ちょっぴりホロっとさびしくなるけど、素直に癒されるような気がします。
少しでも自分に「だいじょうぶ」が言える人が増えるように、私も自分に「だいじょうぶ」と言いながら、たくさんの人に歌と話を届けたいと思っています。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)