その言葉に心はあるか

病院のベッド

32年間の消防生活の中で、「自損行為」の救急出動も数え切れないほどたくさんありました。

未遂であったり、既遂であったり、その内容は様々でした。

すでに命を絶たれて長時間経過している場合などは、病院に搬送しないで、警察機関に引き継ぎます。刑事課の担当官が到着するまでの間に、悲嘆にくれる家族の方が事情を語られることもありました。

「やっと元気になりかけていたのに、親戚の者のひと言で」ということを聞いたこともありました。
そんな話を聞く度に、言葉の重さをあらためて思い知らされます。

「心」をテーマの講演活動をさせていただいているので、参加された方の悩みを聞く機会もあります。

子供さんの病気で悩むお母さんに、「神様は越えられない壁は与えないのよ」と簡単に言ってしまう友人。「死んでしまえ」とまでののしられた家族に尽くしてきた方がそのことをこぼすと、「他人は変えられないから、あなたが変わらないといけないのよ」と言ってしまう友人。

その話を聞いた時、流行語のように使われているそれらの言葉が、その人をどん底に突き落としていることに気づかない鈍感さこそが問題だと私は思いました。

悪意がなかったという免罪符と、よかれと思ったという大義名分を盾にしても、それらの発言は、人の心を深く傷つけたという罪を免れないのではないかと思いました。

頼りだと思ってすがった人に言われたひと言で命を絶つ人もいて、そういう人を搬送したこともありました。

受け取り方は千差万別です。だからこそ、そんな話を聞くたびに、「ちゃんと相手のことを心から思って言ってあげたのだろうか」「自分の口にした言葉がかえって傷つけはしないだろうか」と、想像力を働かせ、自問することを忘れてはいけないと思いました。

悩み苦しむ人に対しての「分る、分る」と言う安易な同意が、病人への「頑張れ」と同様に心を傷つけることもあります。
差別語や攻撃的な言葉ではなく、私たちが日頃使う普通の言葉でも、相手の状況によっては刃に変わるという事実を、私自身も肝に銘じなければと思っています。

言うほど容易なことではないかもしれませんが、仕事の忙しさや心配事があっても、想像力を鈍らせることなく、人を思いやれる人間を目指したいと思います。

(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)

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