いつか思い出になる瞬間

キャッチボールをする親子

以前、「今この瞬間が、いつか思い出になる時が来るんだろうなあ」と、まるで時間が止まって、自分がどこか懐かしい場所にいるような、鼻の奥がツンとするような切ない気持ちになることが何度となくありました。

悪さばかりをしていた小学生のとき、罰でよく廊下に立たされました。ふざけて大騒ぎしながらも、いつも満たされない思いがありました。
大人になった自分を想像することなどできなかったのに、廊下の窓から見える空を見ながら、ふいに大人になった自分が今の自分のことを思い出すだろうか、と想像したら、鼻の奥がツンとなりました。

停学になった高校3年生の秋、学校から呼び出され、駅から母とともに、他に誰も歩く者のいない通学路を歩きました。中学から続いた反抗期は、その頃にはピークを迎えていました。

母親が話しかけながら近づいて来るたびに、声を荒げてそれを制止しました。
「すいません、すいません」
 と生活指導の教師に頭を下げる母に、
「謝らんでええ」
 と言い、ツッパリ続けたのを覚えています。

その時、頭を下げる母の背中を見ながら、「この瞬間も、いつか遠い思い出になるんだ」とふいに思いました。

アウトドアにかぶれていたころ、私と次男の二人だけでキャンプ場に向かったことがありました。途中で道に迷ってしまい、退屈して騒ぎはじめた次男がうるさくなり、叱ろうと助手席を向くと、あどけない顔で笑いかけてきました。それを見て思わずこちらも笑い出してしまったことがあります。

「あと何年、こんな笑顔でこの父親に付き合ってくれるだろうか」と思ったら、鼻の奥がツンとなりました。

長男が高校3年の、もうすぐ自由登校になるという時期に、遅刻しそうな彼を車で送ったことがあります。

「たまの休日に朝早くから送らせるなんて」とブツクサ呟いていました。車が学校近くに来たあたりで、こんなふうにこの子を学校まで送ってやれるのも、今日が最後かもしれない、と思った瞬間、鼻の奥がツンとなりました。

すでに他界した母とかつて二人で歩いた通学路を通りかかると、ふいにそのことを思い出すことがあります。通学時間帯でもないときに、学生服を着た息子と歩きながら、母はどんなことを考えていたんだろう、と思います。

あの時に、たったひと言でもいいから侘びの言葉を口にすればよかった、と後悔の思いがこみ上げてきます。同時に、今の私の年齢よりも若かった母の姿を、懐かしく思い出します。

息子たちは、その後何度も私の鼻の奥をツンとさせながら成人し、社会人になりました。

いつかはかけがえのない大切な思い出になっていく平凡な一日一日を、じっくりと味わいながら過ごしていきたいと、久しぶりに帰省した息子を見ながら思った正月でした。

(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)

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