消防士として、24時間勤務の交替制で働いてきました。
夜、仮眠室で横になっても、出動ベルがいつ鳴るかわかりません。
「今夜は何事もない平和な夜でありますように」
そう祈りながら目を閉じる。
でも、体は緊張したまま。ようやくうとうとしかけたところで、大音量の出動指令。
飛び起きて、火災出動であれば防火衣を着て、数十秒で消防車に乗り込む。
救急出動であれば、救急服を着て、救急車へ。
そんな毎日を20数年続けていました。
勤務交代後は、いつも自宅でゆっくりできるか、というとそうではありません。
非番日にも訓練があったり、医師を講師に迎えての講習を受講したり、予防査察に出かけたり、行事がたくさんありました。
私は消防生活の大半を「予防係」という係を担当していて、火災があれば消火活動はもとより、火災原因調査も担当していました。
連続火災が発生したときなど、非番日も含め、連日長時間の調査を続けたこともありました。
若い頃はそれでも疲労の回復も速く、当番明けの朝も元気で、そのまま趣味のギターを弾いたり、同僚と出かけたりしていました。
ところが、年齢を重ねるにつれて、当番明けの日がどんどんつらくなっていきました。
仮眠時間はあるものの、熟睡はできないし、かといって家に帰って横になっても、今度は変に目が冴えて眠れない。
昼間は、常時だるさを感じながら生活していました。
そして何より怖かったのは、そんな状態の自分が「みんなと同じだからまだ大丈夫」と思い込んでいたことです。
睡眠は「時間」だけでは語れない

では、どのくらい眠ればいいのでしょうか。
厚生労働省が公表した「健康づくりのための睡眠ガイド2023」では、年齢別の睡眠時間の目安が示されています。
- 成人(20~50代) ── 6時間以上(適正範囲は6~8時間。7時間前後が最も健康リスクが低い)
- 高齢者(60代以上) ── 個人差が大きく、一律の基準は設けられていない。床上時間(寝床にいる時間)が8時間以上にならないこと が目安
(参考:厚生労働省「健康づくりのための睡眠ガイド2023」)
年齢を重ねると基礎代謝が下がり、体が必要とする睡眠時間も自然に短くなっていきます。
25歳で約7時間だった必要睡眠時間が、
45歳では約6.5時間、
65歳では約6時間になるという報告もあります。
ですから、「6時間しか寝ていない」ということが、ただちに問題というわけではありません。
個人差も大きく、5時間で十分な人もいれば、8時間必要な人もいます。
では、この目安以上の睡眠時間を確保しておけば大丈夫か?
実は、そうではありません。
睡眠で本当に大切なのは、 「時間」だけではなく「質」 です。
たとえば、7時間ベッドに入っていても、夜中に何度も目が覚めたり、朝起きても疲れがとれない感じがしたり、日中にぼんやりすることが続いているなら、 睡眠の質が落ちている 可能性があります。
厚生労働省のガイドでも、睡眠時間の確保と同時に 「睡眠休養感」 ── つまり、眠りによって心身が回復できているかどうか ── を重視しています。
出動がなければ、仮眠時間は確保されています。
消防士もそれぞれ違いがあって、いつだって横になったらすぐ眠れて、出動指令が入れば、すぐに活動モードに入ることができるという職員もいました。
仮眠すべきところを熟睡し過ぎて、覚醒するまで時間のかかる職員もいました。
私の場合は、出動ベルがいつ鳴るかわからない緊張の中で横になり、眠ったとしてもとても浅い眠りでした。
現場活動を終えて戻ってきても、体は興奮したままで、起床時間まで眠れないこともよくありました。
「あくまで仮眠なんだから、熟睡するもんじゃない」といえばそうなんですが、こんな質の睡眠では、たとえ仮眠時間をフルに眠ったとしても、
時間だけを見れば「寝ている」。でも、体も心も回復できていない という状況です。
これは消防士だけの話ではありません。
悩み事があって、布団に入っても考え事が止まらない。
夜中に何度も目が覚めて、朝までうとうとを繰り返す。
目覚ましが鳴る前に目が覚めて、暗い考えが頭を巡る。
こうした 「眠れているようで、眠れていない」 状態が続くと、少しずつ、確実に、心と体の力が削られていきます。
しかも厄介なことに、 本人はそのことに気づきにくい のです。
一晩徹夜すれば、「今日は寝てないから調子が悪い」と自覚できます。
でも、毎日少しずつ睡眠の質が落ちている場合は、 「ちょっと疲れているだけ」「歳のせいかな」 で済ませてしまう。
これを 「睡眠負債」 と呼びます。
借金と同じで、少しずつ積み重なっていることに本人が気づかない。気づいたときには、取り返しのつかない事態になっていることがある。
睡眠の質が落ちているサイン

自分の睡眠の質が落ちていないか。次のような症状がないか、振り返ってみてください。
- 入眠障害 ── 布団に入ってもなかなか寝つけない
- 中途覚醒 ── 夜中に何度も目が覚めてしまう
- 早朝覚醒 ── 朝早く目が覚めて、それから眠れない
- 熟眠障害 ── 眠っているはずなのに、疲れがとれない
消防の24時間勤務では、この4つすべてを経験しました。
出動ベルへの緊張で寝つけない(入眠障害)
深夜の出動で目が覚め、戻ってきても眠れない(中途覚醒)
交替勤務で体内時計が狂い、明け方に目が覚める(早朝覚醒)
仮眠はとれたはずなのに、朝になっても体がずっしり重い(熟眠障害)
そしてもう一つ、大事な判断基準があります。
日中に強い眠気を感じるかどうか。
日中にしっかり覚醒して過ごせていれば、睡眠の時間も質も足りていると考えてよいでしょう。
逆に、午前中からぼんやりする、会議中にうとうとする、運転中に眠気が襲ってくるなら、それは体からの警告です。
厚生労働省の「令和5年版 過労死等防止対策白書」のデータは、そのことを裏づけています。
日本の就業者の 約7割が、理想の睡眠時間を確保できていない と回答。
そして、理想の睡眠時間より 2時間不足している人のうち、約3割にうつ病や不安障害の疑い があり、 3時間不足になると37.1% にまで増加するという結果が出ています。
睡眠の問題が招いた重大事故

睡眠の問題が引き起こした事故は、私たちの身近な現場だけではありません。
2003年、JR山陽新幹線で、運転士が居眠りをしたまま時速270キロで約8分間走行する という出来事がありました。
岡山駅の約100メートル手前で自動列車制御装置(ATC)が作動して停車しましたが、もしこの装置がなければ大惨事になっていたかもしれません。
この運転士は、後に 睡眠時無呼吸症候群(SAS) と診断されました。
眠りが浅い自覚症状が数年前からあったにもかかわらず、そのまま乗務を続けていたそうです。
(参考:内閣府 交通安全白書「睡眠時無呼吸症候群(SAS)問題対策」)
2012年には、関越自動車道で高速ツアーバスが防音壁に衝突し、乗客7人が亡くなり、39人が重軽傷を負う 大事故が起きました。
運転手は事故の約20分前から激しい眠気を感じていたにもかかわらず、運転を続けていたことがわかっています。
(参考:国土交通省「自動車運送事業に係る交通事故要因分析検討会報告書」)
これらの事故を受けて、国土交通省は2018年に規則を改正し、バス・タクシー・トラック事業者に対して、乗務前にドライバーの睡眠不足の有無を確認し、睡眠不足のおそれがある場合は乗務させないことを義務づけました。
つまり、 睡眠の管理は、個人の問題ではなく、組織の安全管理として位置づけられるようになった のです。
これは運送業だけの話でありません。
建設現場でもそうです。
高所作業で安全帯の確認を忘れる。
丸鋸の刃の回転が止まる前に手を出してしまう。
フォークリフトの後方確認をしないまま動かしてしまう。
その瞬間の判断力を奪っていたのが、睡眠の質の低下だったとしたら。
救急隊員として現場に駆けつけたとき、労災事故にあわれた方やその職場の関係者から話を聞く機会が何度もありました。
「いつも安全には気をつけているのになぜ?安全大会で話すこと」でも書きましたが、ケガをされた方から直接聞いた言葉の中には、こういうものがありました。
「考え事をしていてベルトコンベアーに手を挟まれた」
「悩み事があって、一瞬ぼんやりしてしまい、丸鋸で手を負傷してしまった」
精神的なストレスによる抑うつ状態で高所から転落した方もいました。
家庭内の問題で眠れない日が続き、いつもやっていた機械の点検を怠ってしまった方もいました。
(関連記事:「労災事故の奥にメンタル面の問題が」)
公式の労災統計には、「不安全な行動」「不安全な状態」という分析はあっても、なぜその行動をとったのか、その人の心がどんな状態だったのかまでは記録されません。
でも、現場で関わってきた私には、その奥にある 「眠れなかった夜」 が見えていました。
睡眠不足と悩みの「悪循環」

ここで、もうひとつ大事なことをお話ししたいと思います。
睡眠不足だけが不注意につながるわけではありません。
悩みや不安にとらわれていて事故につながるケースも少なくないことは、先ほどの事例からもおわかりいただけると思います。
では、「睡眠不足」と「悩みや不安」は、別々の問題なのでしょうか。
私は、この二つは切り離せないものだと思っています。
悩みや不安が大きく、深くなると、人は眠れなくなります。
布団に入っても、頭の中で同じことがぐるぐる回り続ける。
目を閉じているのに、心は休まらない。
そんな経験をされた方は多いのではないでしょうか。
そして、眠れない夜が続くと、今度はふだんなら消化できるはずの小さな悩みが、やけに大きく感じるようになります。
いつもなら「まあ、なんとかなるか」と思えることが、「もうダメかもしれない」に変わってしまう。
簡単に払拭できるはずの不安が、心の中に居座って離れなくなる。
悩みが眠りを奪い、眠れないことがさらに悩みを大きくする。
この悪循環に一度はまると、自分の力だけで抜け出すのはとても難しくなります。
私自身、消防時代に経験がありました。仕事のことで気がかりなことがあると、仮眠室で横になっても頭の中はそのことでいっぱいで、眠りにつけない。
翌朝、寝不足のまま仕事をしていると、ふだんなら気にもしないような上司のひと言にカチンときたり、些細なミスを必要以上に引きずったりする。
「ああ、いつもの自分じゃないな」
そう感じたときには、すでに悪循環の中にいたのだと思います。
救急現場で出会った労災事故の方たちも、おそらく同じだったのではないでしょうか。
悩みがあって眠れない。眠れないから判断力が落ちる。
判断力が落ちているのに、本人は「いつもどおりやっている」と思い込んでいる。
そして、この悪循環がさらに深まっていくと、やがて心そのものが蝕まれていきます。
眠れない夜が続くと、心の病気につながる

厚生労働省の「こころの耳」では、 「不眠のある人はない人に比べ、うつ病を発症するリスクが高い」 ことが報告されています。
疲れているのに眠れない。眠れないから心身のエネルギーが回復できない。回復できないから、ますます些細なことが重く感じる。
先ほどお話しした悪循環が、さらにもう一段深いところまで進んでしまった状態です。
そして、ここが最も大事なところなのですが、
うつ病になりかけていることに、本人はなかなか気づけません。
悪循環の中で少しずつ心のエネルギーが削られていく場合は、本人の中では 「ちょっと疲れているだけ」「歳のせいかな」 という感覚なのです。
先ほどお話しした「睡眠負債」と同じ構造です。
毎日少しずつ削られるものには、人は気づけない。
私は消防時代、妻が心の病気になった経験があります。
最初のサインは、やはり「眠れない」でした。
夜中に何度も目が覚める。朝早く目が覚めて、暗いことばかり考えてしまう。
でも日中は普通にしているように見えるので、私も最初は気づけませんでした。
「最近、眠れてないみたい」 と妻がぽつりと言ったとき、もっと早く気づいてあげられなかったことを悔やみました。
これは、職場でも同じことが起こります。
いつも元気だった同僚が、少しずつ口数が減っていく。表情が暗くなる。ミスが増える。遅刻するようになる。
それでも本人は 「大丈夫です」 と言います。
大丈夫じゃないときほど、人は「大丈夫」と言うものです。
「大丈夫?」と聞いて「大丈夫」と返ってきたとき、その言葉をそのまま受け取っていいのか。
この難しさについては、以前新聞のコラムにも書きました。→「大丈夫」は自分に言おう
周囲が気づいてあげることの大切さ

うつ病の兆候は、本人よりも 家族や職場の仲間のほうが先に気づける ことが多いのです。
厚生労働省の「こころの耳」では、家族が気づくべきサインとして次のような変化を挙げています。
体の変化
- 睡眠パターンの乱れ(夜中に目が覚める、朝早く起きてしまう、寝つけない)
- 食欲の変化(急に食べなくなる、あるいは食べすぎる)
- 疲れがとれない、体がだるい
心の変化
- 気分の落ち込みが続く
- 今まで楽しめていたことに興味がなくなる
- イライラしやすくなる
行動の変化
- 会話が減る
- 「会社に行きたくない」と漏らす
- 否定的な発言が増える
(参考:厚生労働省「こころの耳」ご家族の方へ:ご存知ですか?うつ病)
これらの変化が10日から2週間以上続いている場合は、注意が必要です。
職場でも同様に、次のようなサインに気をつけてほしいと思います。
- 遅刻や欠勤が増えた
- ミスや事故が目立つようになった
- 周囲との会話が減った
- 表情が暗く、元気がない
- 頭痛やめまいなど、体の不調を訴えることが増えた
(参考:厚生労働省「こころの耳」上司・同僚の方へ:ご存知ですか?うつ病)
大切なのは、 「普段のその人」からの変化 に気づくことです。
もし気になることがあれば、声をかけてみてください。
「最近、ちゃんと眠れてる?」
たったこの一言でいいのです。
「がんばれ」は要りません。「気合で乗り切れ」も要りません。
「眠れてる?」と聞くだけでいい。
その一言が、本人にとって「自分のことを気にかけてくれている人がいる」という安心感になります。
そして、「実は最近あまり眠れてなくて……」と打ち明けるきっかけになるかもしれません。
「眠り」を守ることも安全管理

安全管理というと、ヘルメット、安全帯、安全靴、KY活動(危険予知活動)。
もちろん、それらはどれも大切です。
でも、どんなに安全装備を整えても、それを使う人間の判断力が鈍っていたら、事故は防げません。
「眠り」を守ることは、立派な安全管理です。
朝礼で「体調はどうですか」と確認するとき、 「昨夜はちゃんと眠れましたか」 という一言を加えてみてください。
「眠れていない」と正直に言える空気をつくること。
それは、以前の記事(「職場の安全は隠し事をなくすことから」)でもお話しした、 「ミスを隠さない空気をつくること」 と同じことだと思います。
「眠れていない」と言ったら怒られる。サボっていると思われる。そんな職場では、誰も本当のことを言えません。
「眠れてないなら、今日は少し気をつけような」
そう言ってもらえるだけで、どれだけ救われるか。
そして、もしかしたらその一言が、 うつ病の早期発見 につながるかもしれない。 労災事故の予防 につながるかもしれない。
睡眠の問題は、本人だけの責任ではありません。
職場全体で「眠り」を守る。
それが、全員が今日も無事に家に帰るための、もう一つの安全管理です。
今日からできる「眠りの質」を上げる工夫

完璧な睡眠を目指す必要はありません。
ほんの少しの工夫で、眠りの質は変わります。
1.毎朝、できるだけ同じ時間に起きる
休日に寝だめをしたくなる気持ちはよくわかります。でも、体内時計を整えるためには、起きる時間を一定にすることが一番効果的です。
2.寝る1時間前からスマホを手放す
スマホの画面から出る光が、眠りを促すホルモン(メラトニン)の分泌を妨げます。布団に入ってからのスマホは、「眠るな」と脳に命令しているようなものです。
3.昼間の仮眠は20分以内にする
仮眠は短いほうが効果的です。60分以上の仮眠は、目覚めた後にかえってぼんやりしてしまう「睡眠慣性」が起こり、作業効率が下がることがわかっています。
4.夜勤明けはサングラスをかけて帰宅する
朝の強い光を浴びると、体内時計がリセットされて目が覚めてしまいます。夜勤明けにそのまま眠りたい場合は、帰宅時にサングラスをかけ、自宅ではカーテンで遮光すると効果的です。
5.「眠れない」が2週間続いたら、かかりつけ医に相談する
「たかが不眠」と思わないでください。2週間以上続く不眠は、心や体のSOSです。今の睡眠薬は適切に使えば安全なものが多く、専門家に相談することは決して大げさなことではありません。
消防時代、自分自身に言い聞かせていたことがあります。
「仮眠室では、たとえ眠れなくても横になれ。目を閉じて、体だけでも休めろ」
消防士時代は、勤務中の訓練に加え、夕方の自主トレでランニングや筋トレもやっていたので、体は確実に疲労しています。
完全に眠れなくても、暗くして横になっているだけで、体の疲労はいくらか回復しました。
「眠れない」と気持ちが焦ると逆効果になります。
完璧を求めず、 「少しでもマシにする」 という感覚で取り組んでみてください。
おわりに

消防を退職して15年が過ぎました。
あの頃の自分に言ってやりたいです。 「おまえ、相当無理してたんだぞ」 と。
でも、当時は気づけなかった。「まだ大丈夫」と思っていた。
だからこそ、今、現場で働いているあなたに伝えたいのです。
「ちゃんと眠れていますか?」
もし眠れない夜が続いているなら、どうか一人で抱え込まないでください。
そして、あなたの隣にいる人が少し元気がないように見えたら、声をかけてあげてください。
「眠れてる?」
その一言が、誰かの命を守るかもしれません。
安全とは、今日も無事に家に帰り、ぐっすり眠って、明日の朝を元気に迎えること。
それが、一番大切なことだと思っています。
この記事でお話しした「睡眠と安全」「心の健康と事故防止」については、安全大会の講演でもお伝えしています。
消防士時代の現場体験と、講演内容に沿ったオリジナルソングの弾き語りを交えた講演です。





