心の元気講演家 石川 達之ホームページ

家族

自殺予防講演会で参加者の質問に答える石川達之

若者に話す自殺予防講演会

日本の若者の自殺者数が増加しています。

2020年に自殺した児童生徒の数が前年比で約4割増 コロナ禍の長期休校が明けた6月や8月が突出して多かったそうです。 (朝日新聞による)

私は、心にかかわるテーマで講演していますが、2017年に神奈川県座間市で起こった殺人・死体遺棄事件に関する報道が頻繁に流れていた頃から、自殺予防講演会の依頼が増えました。

特に、中学校、高校からの依頼が多くなりました。

SNSでのやり取りがきっかけで、自殺願望を持つ若者が一緒に自殺をするという事件もあったので、余計に先生方も保護者の方も不安を持たれたのだと思います。

この記事では、自殺予防講演会で私がお話している内容を、実際に私が救急隊員として自損行為の現場で活動したエピソードを交えてお伝えします。

きれいで楽な死に方などない

枚方市で開催された自殺予防講演会のチラシ

救急種別の中に「自損行為」という種別があります。 自らの身体を傷つけ、自殺をはかった人を搬送することです。

いろんな手段で自殺を試みたケースに出動してきました。 未遂で終わる場合もあれば、救急隊が現場到着したときにはすでに亡くなっている場合もあります。

いろんなケースがあり、具体的な描写は避けますが、亡くなった方の苦悶の表情を見ると、楽な死に方やきれいな死に方はありません。

中学生の仲のよかった女子生徒が一緒に飛び降り自殺をしたというようなニュースも、何度か見ました。

思春期には「死」を美化する傾向もあるので、「自分で死を選んでも、美しくないし、苦しむよ」ということをあえて話しています。

「死ななくてよかった」と泣いて喜ぶ夫婦

自動車の排ガス自殺をしようとした夫婦がいました。

救急隊が到着したときには、奥さんは車外に出ていて、運転席でぐったりとして意識を失っていたご主人に泣きながら声をかけていました。

2人を救急車内に収容し、意識はないものの脈も呼吸もしっかりしていたご主人に酸素投与しながら搬送しました。

搬送中も、奥さんは泣きながらご主人の体にしがみついていました。

搬送途上で、ご主人が眼をひらき、意識を取り戻しました。
女性は、号泣しながら男性の身体を抱きしめてくり返し言っていました。

「よかった! 本当によかった! 死ななくてよかった!」

自殺をしようとして一命をとりとめた人の多くが、「なんであのとき死のうと思ったんだろう」と早まった行為を後悔されます。

心の病気から希死念慮の症状が現れて自損行為に及ぶケースもあります。

多くは、その時期を乗り越えれば、生きる意欲を取り戻し、死ななかったことの幸運を喜びます。

私の友人にも何人か自殺未遂経験者もがいますが、
「自殺して自分を殺そうなんて気持ちではなかった。生きなおしてもっとよりよく生きたいと思った」
と同じことを言っていました。

家族の苦しみは計り知れない

和気町で開催された人権講演会で講師をする石川のチラシ

ロープをはずし、床に横たえた遺体にとりすがって泣きじゃくる家族の姿を、何度も見てきました。

呼吸をしなくなった家族に、呼びかけ、叫び、身体を揺すぶっている様子は、救急隊員も自分の心臓をもつかんで揺さぶられているように気持ちにさえなります。

実は私も、身内が自殺しています。 残された家族の心の苦しみは一生つづきます。 だからなおさら伝えたいのです。

愛おしい家族がこの世からいなくなるなんて。
しかも、病気や怪我ではなく、そんな悲しい手段を選ぶなんて。

どうして自分は助けてあげられなかったんだろう、と自分自身をずっと責め続けるのです。

救急隊員として大きな胸の痛みを感じたこと。 家族としてつらい日々を送っていること。

そのことを話すと、生徒たちの感想文には、
「残された家族がそこまで悲しむんだということがよくわかりました」
「家族を悲しませたくないと心から思いました」

ということを書いてくれていました。

「君は大切な存在なんだ」自殺の抑制要因

寂しさや生きづらさを抱えている人はたくさんいます。

誰かに話を聞いてもらいたいと思っても、共感してくれる人がいない人もいます。
家族と一緒に暮らしていても、子どもの話を聞いてあげていない親もいます。
子どもの悩みを、「馬鹿げたことを」と取り合わない親もいます。

日本財団自殺意識調査2017の中に、「自殺の抑制要因(自殺のリスクを抑える要因)」についての記述がありました。

・家族に居場所がある(家族の中での「自己有用感」が高い)
・人間同士は理解や共感ができると考えている(「共感力」がある)

家族や大切な人に、
・苦しさへの理解
 「苦しかったね」「つらかったね」

・居場所があることを伝える
「ずっとそばにいるよ」「いつも味方だよ」

・存在価値を認める
「あなたが大切なんだ」

と普段から伝えることがとても大切です。

命が一番たいせつ

西宮市で開催された自殺予防セミナー講師石川のチラシ

生活している中で、夢が破れ、目標が達成できなかったり、いじめられたり、さまざまなケースで生きる意欲を失う場面があるかもしれません。

「それでも命が一番たいせつだよ」 と、生徒たちに話しています。

なにかあったら親でも先生でも友達でも、相談しよう。 自分一人で悩み事をかかえていると、頭の中が悩み事でいっぱいになってしまう。 そうなると、君たちのことを心から愛してくれている周囲に存在さえ見えなくなるから、その前に誰かに心のうちを話そう。

そして、君たちのそばにいる誰かが、元気がなくしているようだったら、声をかけてあげてください。

難しく考えなくても、話を聞いてあげるだけでいいんだよ。

「つらいね」「苦しいね」「悲しいね」「ムカつくね」 そんなふうに共感してあげてほしい。

そんな話をするので、感想文には、

「僕も、悩みは友達や両親に話してみます」
「友達が苦しんでいたら、とことん話を聞いてあげようと思います」

など、たくさんの言葉を書いてくれました。

自治体主催の自殺予防講演会でも、同じようなエピソードを話しますが、さらに日常のメンタルヘルス、心の病気を持つ人の家族としてどう接したらいいのかなどを話しています。

私自身がうつ病になった妻をどう支えたらいいのか悩み、模索した経験があります。
「死にたい」と訴えられたときのつらさは忘れることができません。

本人も、周囲の人間も悲しい思いをしないために、微力ながら今後も講演活動を続けていきます。

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

もっと思いを言葉にして(日本海新聞コラム)

年々、子育て講演会の講師としてご依頼いただくことが多くなりました。

私自身は、とても素行の悪い子どもでした。悪質ないたずらを繰り返したり、授業中に騒いだり、取っ組み合いのケンカをしたりと、そんなことが日常になっていました。

後年学んだ心理学の中に、「承認欲求」という言葉がありました。よく目にする「愛の反対は無関心」という言葉のように、自分に関心を持ってもらえないことほどさみしく悲しいことはありません。

私の両親は、特に母は、私に対してそこま無関心であったわけではないのに、悪さをくり返しては、叱られていました。

学校にいても、家に帰っても、神社の境内で友達と遊びほうけていても、どうにも言葉にならない思いが、幼い私の気持ちをイライラさせていました。

親のしつけに対してもとことん反抗するようになりました。

「黙って食べろ」
「手遊びせずにちゃんと話を聞け」
「早くしなさい」
そんなことを言われるたびに、怒りがムクムクと胸の中で膨らみました。

大人になってからは、親の気持ちも、自分の心理もよく分かるようになりました。
あの時、自分はどう言ってほしかったのか、そんなことを考えながら、私は自分の子どもたちとたくさん話をしました。

食事時間が長くかかっても、話すことを楽しみながら夕食の時間を過ごすようにしました。
「この花、きれいだね」
「仲良しだとうれしいね」
「こんな事件が起こるって悲しいね」

何かにつけて、感じたことを言葉にしました。共感し合うことで、物事を感じられる豊かな心を持ってほしかったのです。

時には、親の私の方が子どもたちに気づかされることもありました。

忙しさでおいしさも感じないまま食事を済ませたのではないか、景色も見る 余裕のないまま車を走らせていたのではないか、大切な存在をいつの間にかそこにいるのが当たり前の風景のように眺めていたのではないか、と。

私たち夫婦は共働きだったので、子どもたちだけで留守番することもよくありました。

「ぼく、さみしかった」
「お父さんも、早く顔が見たくてさみしかったよ」
そんなふうに思いを言葉にして伝えてきました。

もっともっと親は子どもに、自分の感情や思いを言葉で伝えてほしいと思います。
そんな当たり前と言えば当たり前のことを、歌とね」「ご飯がおいしい一緒に講演会で伝えています。

日本海新聞「潮流」の記事画像
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

ありきたりの言葉だけど(日本海新聞コラム)

この夏も、講演会でたくさんの人に出会いました。

猛暑の日が続き、壇上の私も汗だくになって話し、歌いますが、参加された人たちも、空調が暑さを和らげるまでの時間、汗だくで聞いていらっしゃいます。

最後まで汗だくなのは私だけで、講演が進むにつれ、汗が引いて落ち着かれ、私の話で弾けるような笑い声が会場に広がるのがわかります。

そんな会場も後半になると、感情移入して聞いてくださるのが伝わってくるような真剣な表情の人が多くなります。ハンカチを手に、涙を拭かれる人があちこちに見られるようになります。

それは何も、私が特別ドラマチックな話を語るからではありません。 消防士時代の現場 体験や、私生活のエピソードを語り、それがきっかけで生まれてき たオリジナルソングを 歌い、心理学の学びをお話しするだけです。

「産んでくれてありがとう」
「生まれてくれてありがとう」
「いてくれてありがとう」

大切な人に対して、 その思いを伝えてくだ さい、という地味なメッセージを、暑苦しくも汗だくで伝えています。

多くの人が、そんな ありきたりなメッセージに涙を流されるのは、誰もが同じ思いを持っているからではないでしょうか。
家族、恋人、友人、同僚が、自分にとって大切な存在だとわかっていて も、その思いを言葉にして伝える人は意外に少ないようです。

「ぜひ、皆さんも恥ずかしさを乗り越えて、言葉にして伝えてください」
どんなに大切な人でも、毎日会っていると、目の前にいることが当たり前だと感じてしまうのが普通なのかもしれません。

私の講演を聞き、照れくささを乗り越えて思いを伝えた人からのメールやお手紙をいただくことがあります。

「勇気を出して父親に 『育ててくれてありがとう』と伝えました。
その時すでに父は病気でした。先日、葬式をして送りました。たくさんの後悔がありますが、感謝の言葉を伝えられたことで持ちこたえられました」

ありきたりの言葉が伝える側も伝えられた側も、どんなに心を温かくし、救ってくれるかを、私の方こそ
改めて教えていただきました。

心臓をギューと絞られるような思いを経験した救急現場のことや、自分の生きている意味すら見失いそうになった私生活の出来事を、歌と話で伝えることをちゅうちょした時期もありました。しかし、そんなメールやお手紙に励まされて、これからも汗だくでメッセージを伝えていこうと思っています。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

いつか思い出になる瞬間(日本海新聞コラム)

以前、「今この瞬間が、いつか思い出になる時が来るんだろうなあ」と、まるで時間が止まって、自分がどこか懐かしい場所にいるような、鼻の奥がツンとするような切ない気持ちになることが何度となくありました。

悪さばかりをしていた小学生のとき、罰でよく廊下に立たされました。ふざけて大騒ぎしながらも、いつも満たされない思いがありました。
大人になった自分を想像することなどできなかったのに、廊下の窓から見える空を見ながら、ふいに大人になった自分が今の自分のことを思い出すだろうか、と想像したら、鼻の奥がツンとなりました。

停学になった高校3年生の秋、学校から呼び出され、駅から母とともに、他に誰も歩く者のいない通学路を歩きました。中学から続いた反抗期は、その頃にはピークを迎えていました。

母親が話しかけながら近づいて来るたびに、声を荒げてそれを制止しました。
「すいません、すいません」
 と生活指導の教師に頭を下げる母に、
「謝らんでええ」
 と言い、ツッパリ続けたのを覚えています。

その時、頭を下げる母の背中を見ながら、「この瞬間も、いつか遠い思い出になるんだ」とふいに思いました。

アウトドアにかぶれていたころ、私と次男の二人だけでキャンプ場に向かったことがありました。途中で道に迷ってしまい、退屈して騒ぎはじめた次男がうるさくなり、叱ろうと助手席を向くと、あどけない顔で笑いかけてきました。それを見て思わずこちらも笑い出してしまったことがあります。

「あと何年、こんな笑顔でこの父親に付き合ってくれるだろうか」と思ったら、鼻の奥がツンとなりました。

長男が高校3年の、もうすぐ自由登校になるという時期に、遅刻しそうな彼を車で送ったことがあります。

「たまの休日に朝早くから送らせるなんて」とブツクサ呟いていました。車が学校近くに来たあたりで、こんなふうにこの子を学校まで送ってやれるのも、今日が最後かもしれない、と思った瞬間、鼻の奥がツンとなりました。

すでに他界した母とかつて二人で歩いた通学路を通りかかると、ふいにそのことを思い出すことがあります。通学時間帯でもないときに、学生服を着た息子と歩きながら、母はどんなことを考えていたんだろう、と思います。

あの時に、たったひと言でもいいから侘びの言葉を口にすればよかった、と後悔の思いがこみ上げてきます。同時に、今の私の年齢よりも若かった母の姿を、懐かしく思い出します。

息子たちは、その後何度も私の鼻の奥をツンとさせながら成人し、社会人になりました。

いつかはかけがえのない大切な思い出になっていく平凡な一日一日を、じっくりと味わいながら過ごしていきたいと、久しぶりに帰省した息子を見ながら思った正月でした。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

心を救ってくれる家族(日本海新聞コラム)

JR福知山線の脱線事故、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災など、大災害、大事故があるたびに、消防庁から「消防職員惨事ストレス対策」についての取組み指導がなされてきました。

時間が経過しても悲惨な光景が突然よみがえったり、感情が湧かなくなったり、うつになったりするケースが多いので、その対策を講じなさいということでした。

その内容は、同じ現場を体験した出動隊員同士で、当時感じた自分の感情について話し合う、気分のリフレッシュをはかる、診療内科等の専門家に相談するというものでした。

そのほかの対策の中に、「家族や友人を大切にする」という項目がありました。

具体的な出来事を話さなくても、一緒に時間を過ごすだけで気持ちが晴れる、という説明でした。そのことを「心の健康講演会」で話してきました。

惨事を経験する場合だけではなく、愛する人との突然の別れや、仕事や人間関係で悩んだ時でも、その対策は大きな助けになると考えたからです。と言いますのも、私自身が、長い消防生活の中で半年ほどプチうつ状態の経験をしたからです。

それには具体的な原因がありましたが、誰にも話せずにいました。いつも陽気に振舞っていたので、家族や友人、同僚にも気づかれずにいました。
一人になると大きなため息ばかりが出てくる日々でした。

そんな時に私を救ってくれたのが、当時はまだ幼かった息子たちでした。家族で何度もキャンプや山歩きに出かけました。子供たちの笑い声や、けんかして泣く声を聞きながら、少しずつ元気を取り戻しました。

子供たちが成長して巣立って行ってからは、なおさら当時の時間は宝石のような思い出になっています。

心が元気をなくした時こそ、家族と一緒の時間を過ごすことが、大きな癒しになります。普段は意識していなくても、自分と近しい関係の人が、ちゃんとそばにいてくれていると感じられることは、幸せなことだと思います。そんな幸せを感じていられるために、少しでも言葉や態度で感謝を伝えたいと考えるようになりました。


今年、研修会でお世話になった労働基準協会の高塚事務局長さんから、労務管理を円滑に進めるために欠かせないことして、「ほんわか」が大切だと教えていただきました。

「ほ」める、「わ」らう、「か」んしゃする。それらは、職場だけではなく、家庭や地域、対人関係すべてにおいて大切な秘訣だと思いました。

照れくささを乗り越えて、感謝を伝える努力を続けて行きたいと思います。

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日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

心が前を向くまで待てばいい(日本海新聞コラム)

3年前、母が倒れて入院していた期間、毎日病院に通いました。

病院に向かう道中、前を見ながら運転していても、おそらく気持ちはうなだれていたのでしょう。病院に行って、自宅に戻り、また自宅から病院へ。病室にいても何もしてやれず、ただ手を握り、手足をさすり、耳元に話しかけるだけでした。

助かる見込みのない母の見舞いは、行きも帰りも気持ちは苦しく、ハンドルをまわしながらも、心は地を這っているようでした。母はまるで、私をあきらめさせるために、意識のない呼吸を続けていたような気がします。

母が他界して数日後、同じ道を仕事の打合せのために走行していました。

T字路を左折しないといけないのに、いつもの見舞いの習慣で、無意識に病院のある右方向にハンドルを切っていました。

それに気づいて、路肩に車を停めました。ずいぶんしばらくぶりにフロントガラスの外の風景が目に映ったようでした。

やっと心が顔を上げて、前を向いたような気がしました。
すると、声にならないうめき声のような息が喉からもれました。別れることがわかっていても、実際に別れてみると、しみじみと寂しさが押し寄せてきました。

子どもの頃、私が熱を出してうなされていると、「おかあちゃんがかわってやれたらなあ」と言っていたことを思い出しました。

年をとってからの母は「すまんなあ、お前には助けてもらって」と、よく言っていました。
本当は何もしてあげられなかったのに、とあらためて思いました。

子育て講演会で、「私が子どもだった時代と今とは、いろんなことが変わりました。物質に恵まれていても、生きにくい世の中になっています。しかし、いくら時代が変わっても変わらないことがあります。それは、子どもは自分を認めて欲しい、ということです。子どもの存在を認めて、無条件に愛してあげれば、いくら反抗期がひどくても、ちゃんと戻ってきます。その好例が・・・私です。ひどい少年期を過ごしましたが、見事に立派な社会人として皆さんの前にこうして立っています」そんな話をします。

そこで笑いが起こりますが、「安心した」「気持ちが楽になった」と言われるお母さんが多くいらっしゃいます。

参加された方に少しでも感謝していただけるのも、母が私にそれを実践してくれたおかげです。

見上げると、すっかり秋の空になっていました。

いくつになっても悲しいものは悲しい。悲しいときには悲しめばいい。心が前を向くのを待って、ゆっくりと進めばいい。母が私にそう言っているような気がしました。

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