心の元気講演家 石川 達之ホームページ

火災

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事業所で火災にあったら【火災から命を守る避難】

令和元年7月にあった京都アニメーションの放火殺人事件の衝撃は、今もなお記憶は鮮明です。

あの事件で、放火の怖さ、油脂火災の怖さというものを改めて知らされました。

また、「勤務する事業所での火災時の避難についても深く考えさせられた」という方も多いと思います。

京都市消防局が、令和2年7月というちょうどあの放火殺人事件のいち年後に、「火災から命を守る避難」という動画をYouTubeに上げられました。ホームページからも動画、パンフレットが見られるようになっています。

京都市消防局ホームページ【火災から命を守る避難】

このページの動画とパンフレットに、事業所で勤務中に火災が発生したときの避難方法が、とてもわかりやすく説明してあります。

私の火災現場での体験も交えて、
着衣着火した場合の対処法、避難器具がない2階からの避難方法、煙体験についてなど
その概要をお話します。

一酸化炭素中毒での死亡事例は多い

火災で焼損した建物の廊下

一般の方も、火災現場で亡くなる人は、火傷による焼死ばかりではなく、一酸化炭素中毒で亡くなる人もかなり多いことはご存知だと思います。

逃げ遅れて煙を吸ってしまい、意識を失い、残念ながら亡くなられた方の遺体を、何度か火災調査で焼落物の中から発掘したことがあります。

火災の発見が早ければ
と思うこともあれば、
避難経路が確保されてさえいれば
と残念な思いになることもありました。

ただでさえパニックになる火災現場で、煙を吸わないように姿勢を低くして避難する訓練も経験していなかったら、立った姿勢のまま煙を大量に吸ってしまうことになるだろうと思います。

低い姿勢で、ハンカチを口に当てて、煙を吸わないように最小限の呼吸で避難

やり方も動画を見ていただくとよくわかりますが、やはり実際にやってみることが大事です。

頭でわかっているだけだと、とっさの時には思い出せなかったり、行動に移せなかったりします。

職場で実際に訓練されると、もしもの時にパニクらない行動につながります。
消火器の消火訓練をやってみることと同じですね。

私が消防士時代に実際にあった話なのですが、
小学校で消火訓練をした生徒が、数日後に火災の発見をして初期消火に成功した例がありました。

また逆に、火災鎮火後に火災原因調査をしてみると、焼損した家の内部に使用されていない消火器が転がっていたことがあります。

見ると、安全栓は抜いてない状態で、レバーが曲がっていました。

安全栓を抜いて使用することも知らず、力まかせにレバーを握ったものの、消火剤が出てこないので諦めて放り投げたようです。

いくら防火体制が整えられていても、正しい知識がなく、訓練経験がないと宝の持ち腐れになってしまうという残念極まりない実例でした.

着衣着火したときには

消火器を使った消火訓練風景

火災現場では、一酸化中毒だけではなく、気道熱傷を負うケースも少なくありません。

火災時の高温の空気や、発生したガスを吸い込むことにより、気道を熱傷してしまうケースです。

外見上、着衣も焼けておらず、皮膚も毛髪にも異常が見られなくても、気道熱傷により亡くなっているケースもありました。

調理中に調理器具の炎が衣類に移ったり、屋外でゴミ焼却をしていた火が衣類に燃え移ったりする着衣着火により負傷された方を救急搬送したこともあります

この着衣着火についての対処法も動画やパンフレットで説明されています。

1 ストップ(止まる!)
着衣に火がついたことに気づいたら、その場で止まる

2 ドロップ(転ぶ!)
地面や床に倒れ込み、燃えているところを床に押し付ける

3 ロール(転がる!)
地面や床に倒れたまま左右に転がる!
(これで衣類の火を窒息消火する)

転がるときには目・口・鼻を押さえる
(失明、気道熱傷防止のため)

の3つの動作で着衣の火を消します。

参考:着衣着火についてのブログ記事

2階からの避難【ぶら下がり避難】

避難階段が煙の充満等で使えない場合、2階から地上へ避難する場合、そこに避難はしごなどの避難器具がない場合の避難について。

前向きに飛び降りずに、ぶら下がった状態で降りれば、それだけ地面に近い高さから降りることになるので、着地時の衝撃による怪我が避けられるということです。

避難訓練の体験は最寄りの消防署へ相談

地域や学校にも、消防署から職員が行って避難、通報、消火訓練、地震の揺れを体験する起震車体験、火災時の煙を体験する煙体験などもやります。

参考:起震車による地震体験についてのブログ記事

万が一家庭や職場で火災が発生した場合、その経験があるなしで明暗を分けることが十分に考えられます。

業務が多忙を極めているかとは思いますが、最寄りの消防署へ依頼し、事業所での訓練や体験をぜひ企画してください。

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火災・救急出動で感じる愛のある部屋とすさんだ部屋

玄関を入った瞬間に、感じることがあります。

といっても、霊的存在などのことではありません。
私はホーラー映画が好きですが、霊感はありません。

たまに、「なんか火事になりそうな家だなあ」と感じることがありました。

消防士時代に、消防隊として、火災原因調査員として多くの火災現場に行き、一般家庭防火診断などの火災予防運動期間の行事でも、多くの家庭を訪問する機会がありました。

これはもうまったく個人的な印象なんですが、玄関を入ると雑然として、なんとなくキナ臭いような臭いというか、気配を感じることがあります。

玄関を入って感じることは、火事になりそうな予感だけではなく、こんなことも感じることがあります。

愛がある家庭であることがなんとなく伝わってきたり、
逆に、すさんでる印象を受けたり
することあります。

自分でも、はなはだ曖昧で抽象的なことだと思いつつ、
しかし、「勘」みたいなものができてしまって感じるんだからしょうがない、としか言えません。

今回は、部屋の状態、家の持つムードは正直であるということについて書きます。

火災になりそうだと感じる家

暗い家の外観

火災になりそうだと感じる家については、以前のブログ記事「生き残るためには整理収納が必要と元消防士は考える」に書きましたが、
想像を絶するほどの大量のゴミに埋まった住宅が火災になるのは、誰でもその危険性については予見しうるところではないかと思います。

全焼してしまって屋根が焼け抜けた住宅でも、元の部屋の状況が乱雑であったかどうかは、火災原因調査時に分かります。

中には、何度かボヤ騒ぎで駆けつけた家が、とうとう全焼してしまったという例も少なくありませんでした。
調査中に、そんなお宅の主人と話していると、一度身についた生活習慣は、なかなか変えられないという現実を突きつけられたような気持ちになりました。

ただ、ゴミ屋敷というレベルにはいかない、ふつうに散らかっている程度の家庭も多いものです。
「ものです」と、他人事のように書きましたが、我が家だって整理収納のプロから見たら、
「なんですかこの物が散乱した部屋は! ちゃんと整理収納なさい!!」
と、厳しいお叱りを受ける状態なのかもしれませんが。

多少乱雑であっても、ポイントさえ押さえていれば、
たとえば、電気コードは束ねないとか、テーブルの脚で踏まないとか、ガステーブルの周りにはものを置かないとか、喫煙の週間のある人であれば吸殻の始末はしっかりとやっていれば、火災になる危険性は低いと思います。

ボヤ騒ぎを起こすお宅は、畳に焼け焦げの跡があちこちにあったり、ガステーブルの周囲どころか、ガステーブル上に物が置いてあったりします。

何度もそんな火災現場に出動しているうちに、防火診断で訪問したときなど、玄関を入っただけでなにか嫌な感じを覚えることがありました。
しかも、けっこう予感が的中することがあるので、あながち錯覚ではないなと思っています。

あれだけ指導して、ガステーブルの周りの物品など、片付けてあげたのに、ととても残念な思いをしたものです。

なんとなくすさんだ印象を受ける部屋

焼損して炭化した柱材が露出した家屋

乱雑であっても、生活感があるといいますか、生活している人の体温が感じられる部屋なのが一般的だと思います。

同じような乱雑レベルであっても、なんとなく物品の散らかり方に投げやりなものが感じられる部屋に足を踏み入れる機会がありました。
そんな部屋を見ると、むしろゴミ屋敷の方が人間味を感じるほどです。

その投げやり感は、具体的にどんな状況を見ると感じるのか、と問われても、明確に答えることはできません。
ただ、救急隊員としてそんな散らかり方をした家の中に入ったときは、とても嫌な感じを受けます。

救急隊員の前で、精神を病んだ人をストレッチャー(キャスター付きの担架)に収容しているときに、その人に対して家族が激しい口調でののしったことがありました。
救急隊員としては、なんともいえない痛ましさを感じながら搬送しました。

またあるときは、呼吸停止している祖母のすぐそばで、中・高校生らしい二人兄弟が、こちらに目もくれずにゲームを続行していたことがありました。
家にも家族の感情にも、荒涼としたものを感じました。

どちらの家も、どことなく投げやりな感じを受ける室内状況でした。

部屋の状態は住人の心理状態を表している、と言われますが、確かに無関係ではないと思いました。

穏やかでシンプルな室内

家族に愛が感じられない(と思う)家庭で多いのは、病気になったおじいちゃん、おばあちゃんが、家の一番奥の部屋や、2階の一番隅に追いやられたように住まわされている場合です。
そんな家庭はかなりな高確率で、廊下も部屋も物が散乱しています。

ストレッチャーを運び込めないほど、廊下には物が山積し、人が通るのがやっとという状況もよくあります。
病状が一刻を争うような局面を迎えているのに、救急車に収容するまでにとても長い時間を要し、手遅れになる場合もありました。

一方、愛があふれていると感じられる家庭に救急出動したことがありました。

寝たきりのおじいさんの病状が悪化したという要請内容でした

古い家屋でしたが、掃除が見事に行き届いていて、玄関も廊下もきれいに磨きあげてありました。
玄関入ってすぐの明るい部屋のベッドにおじいさんは横たわっていて、意識ははっきりとしていました。

我々救急隊員が血圧測定などしている間にも、邪魔にならないようにと距離をとりながら、家族が見守っていました。
その表情から、家族全員がおじいさんを心底心配している気配が伝わってきました。

ベッドの横のスペースも広く取ってあって活動もしやすく、ものすごくスピーディーに車内収容できました。

もう20年以上前のことですが、今でもそのお宅のことは覚えています。
ごくたまにそのお宅の前を車で通り過ぎるときは、そのときの家族の心配そうな表情がよみがえってきます。

願わくば、私も最期のときを迎えるときには、そんなふうに家族に愛され、別れを惜しまれつつこの世を去りたいものです。

愛のある部屋にしたい

部屋で執筆する坂口安吾の画像
坂口安吾の部屋

部屋は、快適であることが一番だと思います。

快適であるためには、探しものがすぐに見つかるように整理整頓されていることも大事かもしれませんが、適度に散らかっているほうが快適だと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

私が青春期に心酔した作家の坂口安吾が執筆していた部屋は、見事に大散乱堆積状態(上の有名な写真をご参照ください)ですが、これが当時はカッコよく思えました。
しかし、いくらカッコよく見えても、マネはできませんでしたが(笑)

家族を大切にして、一人住まいの方であれば、自分を大切にしていれば、愛のある部屋に自然となっているんだと思います。
家族や自分に対する思いやりがあれば、間違ってもすさんだ投げやりな空気が漂うような部屋にはならないはずです。

消防局を退職した身なので、今では友人宅以外を訪問することは稀になりまして、あの「勘」が今でも生きているのかどうか確認しようもありません。

ただ、こんなことはよく思います。

不愉快なまでに部屋が乱雑になっていたら、日常生活が投げやりになってしまうまでに、思い切って大掃除してみよう、と。

これをお読みいただいているあなたは、愛のある部屋で日常をお過ごしのことと思います。

もし、自分の部屋を何気なく見回したときにすさんでいると感じることがあれば、どこか自分の心の中に投げやりになっている部分があるのではないか、と自分の心や家族との関係をチェックしてみる時期なのかもしれません。

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