あなたは両親に「ありがとう」を伝えたことがありますか?
それも簡単に「ありがとう」ではなく、「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」という感謝の言葉を、です。
私自身は、そんな芝居がかった言葉を、親の前で実際に口にすることなんてできるはずないと思っていました。
ところが、「これはもう伝えるしかない」と思うような交通事故現場に出動したことがきっかけで、とうとう伝えることができました。
私がまだ若手救急隊員だった頃、大型バイクの単独事故に出動しました。
渋滞する車のあいだを縫うように救急車を走らせ、ようやく現場に到着しました。
道路の路肩に大型バイクが転倒していました。
しかし、運転者の姿がなかったので隊員3人で探すと、遠く離れた畑の中に飛ばされていました。
最初に発見した私が、運転者のフルフェイスのヘルメットを脱がすと、まだ18か19歳くらいの青年でした。
心肺停止状態だったので、その場で心肺蘇生法を実施しました。
私が心臓マッサージをするため、分厚い革ジャンのファスナーを下ろそうとすると、胸に何か入っていたので途中でひっかかってしまいました。
取り出すと、布の袋に入ったまだあったかい弁当でした。
寒い朝だったので、ホッカイロがわりに入れていたのでしょう。
CPR(心肺蘇生法)を継続しながら救急車で病院へ向いました。
道中、汗だくで心臓マッサージをしながらその青年の事を考えていました。
あの弁当はおそらく、就職したばかりの息子のために、お母さんが朝早く起きて作った弁当だったのでしょう。
青年は、単独事故を起こすくらいだから、遅刻しそうで急いで家を出たのかもしれない。
本当だったら、「母さん、いつも弁当を作ってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えたかったではないだろうか。
子供の頃から母親に心配ばかりかけて来たのに、まともに感謝を伝えたことがなかった自分の事を考えました。
後悔しないように「生んでくれてありがとう」と伝えようと思いました。
そう決心したものの、照れくさくて実際に伝えるまで何年もかかってしまいました。
ようやく伝えた後、不思議なことに、時間が経てば経つほどほんわかと幸せな気持ちになりました。
その一年半後に母は他界。
伝えた時の年老いた母の嬉しそうな笑顔がよみがえるたびに、あの青年の事を思い出します。
講演で大人だけではなく、中学生や高校生に話す機会があります。
照れくさくてなかなか言い出せない年頃なのですが、後日送っていただいた感想文を読むと、生徒なりいろんな事を考えているのがわかります。
親に感謝はあっても、なかなか言葉にできない彼らに、一歩踏み出すきっかけになれば最高に嬉しいです。
親子関係だけではなく、ふだんから家族、友人に感謝を伝えて、後悔のない人生を送りましょう。
当たり前の日常こそ大切なのだということを知るきっかけとなった救急現場のことも書いています。
当たり前にある日々は、当たり前じゃない-救急車内のドラマ