もう8年前になりますが、青森は津軽金木町の太宰治の生家を訪れたことがあります。
太宰実家の津島家がその生家を売却後は、「斜陽館」という旅館になりましたが、現在は「太宰治記念館」になっています。その記念館をまわってみると、家具調度品も豪華なものでした。
一巡しての感想は、こんな豪勢な家で生まれ育ち、兄が秀才で地元の名士ともなれば、屈折するしかなかったろうと思いました。
太宰じゃなくても「生まれてすみません」の一つも言ってやりたくなるってものです。
私は高校生のときに太宰治病にかかりました。
劣等感満載の文学好き10代だったので、太宰フリークスになるのにそう時間はかかりませんでした。
今までの劣等感のかたまりだった自分に、「人と違うからこそ価値がある」という逆転の発想を与えてもらったおかげで、劣等感を強みだと考えることができるようになったのです。
太宰治という一人の男の作品が、あまたの文学かぶれを生み出しました。
ストーリーテリングの抜群の面白さに加え、自意識や美意識のありかを教えてくれた、ある意味やっかいな恩人でもありました。
太宰にかぶれたせいで無頼に走り、身を持ち崩した者もたくさんいただろうと思います。
でも、10代の私にとって太宰の作品群は、最高のカウンセラーでした。
一片の自信も持てなかった高校生の私が、自分の中にも何かがあると思えるようになり、ほとんど発語しなくなった家庭の中で目を輝かせて本を読むようになりました。
そんな私が今では講演で、「照れくさくて一番感謝を伝えづらい身近な人へこそ、思いを言葉にすることが大切」と話します。
不器用にしか家族と接することができなかった思春期の自分がいて、そして「家族は諸悪の根源」とまで書いた太宰の作品と出会ったからこそそんなふうに思うようになったのだと思います。
今の私よりはるかに若かった太宰が、「創世記」の息もつかせぬ密度の自虐と諧謔の文章の中でこう言っています。
「愛は言葉だ。
おれたち弱く無能なのだから、言葉だけでもよくしてみせよう。
その他のこと、人をよろこばせてあげ得る何をおれたちは持っているのか。
口には言えぬが私は誠実でぼざいます、か」と。
小説家や詩人だけではなく、こんな私でも日常生活で言葉を用いる表現者ですから、言葉で思いを表現していきたいと思うようになったのです。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)