救急車の床の隅に、小さなおもちゃの消しゴムが落ちていました。
私の息子たちも、同じような消しゴムをたくさん集めていました。
それを拾い上げた瞬間、また涙が流れ、止まらなくなりました。
息子たちと同じくらいの男の子
長い消防生活の中で、私は数多くの事故や災害現場に出動しました。
年月が過ぎても、今なお鮮明によみがえる現場があります。中でも、幼い子どもが大きなけがをしたり、亡くなったりした現場は、忘れることができません。
ずいぶん前のことです。
正面衝突して大破した車の中に、小さな男の子がいました。
すでに心肺停止の状態でした。
その子は、私の二人の息子の間くらいの年齢に見えました。息子たちがよく着ていたものと似た、アップリケの付いた可愛らしいオーバーオールを着ていました。
男の子の姿を目にした瞬間から、胸をぎりぎりと締め付けられるような、息苦しい感覚に襲われました。
車内からストレッチャーへ移すとき、私の目から涙が流れました。
こんなときこそ冷静にならなければならない。
そう思い、袖で涙を拭いながら活動を続けました。
しかし、男の子の命を救うことはできませんでした。
言葉のなかった帰り道
病院から消防署へ戻る救急車の中で、三人の救急隊員は誰も言葉を発しませんでした。
時折、洟をすする音だけが車内に響きました。
消防署へ戻ると、すぐに救急車内の清掃と消毒を行います。
そのときも、ストレッチャーを車外へ出し、床に残っていた血液を拭き取っていました。
その最中、床の隅に小さなものが転がっていることに気づきました。
拾い上げてみると、「ガチャガチャ」と呼ばれるカプセル自販機で売られている、小さな消しゴムのおもちゃでした。
私の息子たちも、同じような消しゴムをたくさん集めていました。
そのことを思い出した瞬間、また涙が流れました。
今すぐにでも、子どもたちの顔が見たい。
そんな気持ちになりました。
「お帰り、お帰り」
翌日、保育園から帰ってきた息子たちを、私はぎゅっと抱きしめました。
「お帰り、お帰り」
何度も繰り返しながら抱きしめていると、涙が流れました。
「おとうさん、どうして泣いてるの?」
息子たちは、怪訝な顔で私を見ながら言いました。
「二人が、元気に帰ってきてくれたことが、おとうさんは嬉しいんだよ」
そうこたえながら抱きしめ続けました。
子どもたちを、こうして抱きしめることができる。
抱きしめれば、温かい体がある。
呼吸するたびに、腕の中で体が動く。
呼びかければ、返事が返ってくる。
それだけで、こんなにも幸せなのだと痛切に感じました。
良い子も悪い子もない
そこには、「良い子」も「悪い子」もありませんでした。
命がそこに存在してくれている。
そのこと自体が、何ものにも代え難い尊いことなのだと、理屈ではなく、心の底から湧き上がるように感じました。
もちろん、日々の子育てでは、そんな大切なことを忘れてしまうこともあります。
子どもが言うことを聞かなければ腹も立ちます。成長して反抗期を迎えると、どう接すればよいのか分からなくなることもありました。
子育てに迷うたび、私はあの救急現場と、翌日に息子たちを抱きしめたときのことを思い出しました。
呼べば返事をしてくれる。
抱きしめれば、その温かさを感じることができる。
それが当たり前ではないことを、私は救急現場で教えられました。
私の子育ての原点
現在、私は子育て講演会や人権講演会で、命の尊さや、子どもの存在をそのまま認めることについて話しています。
「いてくれてありがとう」
この言葉を、子どもに伝えてほしいとお願いしています。
その原点をたどると、救急車の床に残されていた小さなおもちゃと、翌日、私の腕の中で呼吸していた息子たちの温かさに行き着きます。
親は、子どもを立派に育てなければならないと思いがちです。
それでも、その前に忘れてはならないことがあるのだと思います。
子どもが生きて、そこにいてくれる。
声をかければ返事をしてくれる。
抱きしめることのできる体がある。
それだけで、命は十分に輝いているのだと、私は今も思っています。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイをもとに、加筆・再構成しました)

