生きていることの輝き(日本海新聞コラム)

日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

長かった消防生活の中で数多くの事故・災害現場に出動し、活動しました。

大量に出血した人や、臓器が露出した人など、たくさんのケガ人を応急処置して搬送しました。精神的にぐったりと疲弊するケースもありました。

十年二十年たった今でも忘れられずに、時折その光景がよみがえる現場もあります。

中でも幼い子供が大ケガをしたり、亡くなっていた場合などは鮮明に覚えています。

ずいぶん前のことですが、正面衝突して大破した車両の中に小さな子供がいて、すでに心肺停止状態でした。
その男の子の姿を目にした瞬間から、まるで自分の胸をギリギリと絞られるような息苦しい感覚にとらわれました。

私の二人の息子達の間くらいの年齢のようでした。
息子達がよく着ていたようなアップリケのついた可愛いオーバーオールを着ていました。

車両の中からストレッチャーに移す時、私の目尻から涙が流れました。こんな時こそ冷静にならねば、と思い袖でぬぐいながら活動しました。

負傷部位を見ても、衝突時には即死状態であったことは明らかでした。病院収容した後の帰署途上、三人の救急隊員全員が無言でした。時折、洟をすすりあげる音が車内に響くばかりでした。

帰署するとすぐに救急車内の清掃・消毒を行います。その時も、ストレッチャーを車外に出して床の血液を拭き、消毒していました。

すると、床の隅に転がっている小さなゴミに気づきました。
拾い上げてよく見ると、それは「ガチャガチャ」と呼ばれるカプセル自販機で売られているオモチャでした。

小さなガンダムの消しゴムで、私の息子達も同じような消しゴムをたくさん集めていました。そんなことを思い出すと、また涙が流れて止まらなくなり、今すぐにでも子供の顔が見たいという気持ちになりました。

翌日、保育園から帰って来た子供達をぎゅっと抱きしめました。
「お帰り、お帰り」と何度もくり返しながら抱きすくめると、涙が流れました。

子供達は怪訝な顔をしてそんな私を見ていました。その時、こんなふうにぎゅっと抱きしめることができて、抱きしめるとあったかい体があって、呼吸のたびに腕の中で動き、呼べば返事をしてくれる、そのことだけでこんなに幸せなのだ、と痛切に思いました。

そこには「良い子」も「悪い子」もなく、命が存在してくれていることこそが何ものにも代え難い尊いものだということを、理屈ではなく、心の底から湧き起こるように自然に感じられました。

その後、子供達が成長し、反抗期を迎え、子育てに何度も迷うたびに、あの時の思いへ立ち返りました。
思えばそれが私の子育ての原点だったように思います。

日本海新聞「潮流」の記事画像
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