2月28日に神戸市長田区で、「笑って泣いて心の健康」という演題で講演講師を務めました。
1月17日に会場の下見と打ち合わせのために、担当者とお会いしました。
会場となる長田区役所の大会議室前の広いスペースに、記帳台が置かれていました。たまたまその日は阪神淡路大震災が発生した日でした。
講演当日は、私よりもはるかにすさまじい体験をされた人たちが、たくさん来場されるのだろうと予想しました。
長田区役所のあんしんすこやか係の人たちのおかげで、ずいぶん早い時点で定員100人を超えるたくさんの参加申し込みがあったそうです。
事前に聞いていたとおり参加者のほとんどが、いわゆる高齢者といわれる世代の人たちでした。
笑いには厳しいといわれる関西の皆さんが、最初のあいさつから大笑いされるのを見て、いつもと変わらず全力で話せました。
後半では、何人もがハンカチを手に、涙を拭ておられました。おそらく、私の体験談や歌に自らの人生を重ね合わせて聞いていただいたのだろうと思います。
講演の後に質疑応答の時間が設けられていました。
例年ほとんど手が上がらないと聞いていましたが、予想に反して、一斉にたくさんの手が上がりました。次々にマイクを握って話された内容は、質問ではなく、講演の感想と、ご自身の体験と思いでした。
「今までの自分の人生を、あらためて振り返るいい機会になりました」
「私はこんないい年齢になりましたが、今日のお話は自然にスーッとってきました」
「子どものころはとてもひどい人生だと思ったけど、素晴らしい伴侶にも巡り会えて、いい人生だと思えるようになりました」
ハンカチで涙を拭いながら、「感謝の思いはあったのに、言葉で伝えてあげられなかった」と話れた人もいました。
講演終了後にも、たくさんの人が話しかけてこられました。
震災で亡くされた家族のことを語られた人もいらっしゃいました。
「もっとわかってあげればよかった」と言われた人もいらっしゃいました。
そのひと言に、十年もの切ない思いが凝縮されていると感じました。人生を長く生きて
こられた人の心の中の言葉に触れ、私の方が大事なメッセージをいただい日となりました。
先日、参加された人から届いたお礼のはがきを 読み、あらためての講演の日のことを思い出しました。私は大切な人たちのことを「もっとわかってあげられているのか」と自問しながら。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)