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自己肯定感を確実に上げる方法5選

何かと忙しい毎日、多忙がゆえに心身をすり減らして、自己肯定感が低くて生きづらさを感じている方が増えています。

自己肯定感が低いと、何をしても上手くいかないと感じたり、他人と自分を比較してしまったりして、生きづらさを感じてしまいます。

私が消防士時代には、生きづらさが強くなり、自損行為に至った現場に何度も出動しました。
自己肯定感の重要性を思い知らされた現場でした。

しかし、自己肯定感はある事を意識して、トレーニングすることで高めることができます。

それでは、自己肯定感を確実に上げるための5つの方法をご紹介します。

1.小さな成功体験を積み重ねる

ランニングしている男性

誰でも過去には、成功体験があるはずです。
「私には成功体験などと呼べるような成果を得られたことはありません」
と自身の経験を過小評価している方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、大小にかかわらず誰にでも必ず成功体験はあります。

そもそも、成功の大小も、本人の主観であったり、周囲の人の評価も主観であったりします。

過去に成功体験があったという方でも、忙しい毎日を過ごしていれば思い出す機会も、だんだんなくなります。

過去の成功体験を思い出すことは、現在の自己肯定感を高める大変有効な手段です。
成功体験が遠く感じるとき、その記憶を引き出してみることで、自分自身に「できる」という確信が湧き上がります。

これが新たな挑戦へのエネルギーとなり、自分に自信を持つための基盤を築くことができます。

まず、過去の成功体験をリストアップしてください。 どんな小さな事でもいいですから、過去に自分が何に成功したかを短いリストにしてみてください。

リストアップしたら、一つ一つの項目について、当時の具体的な状況や感じた喜び、達成感を思い出してください。

心身が疲れていると、自分自身の成功体験さえもつまらないものに見えてきがちです。 そんな時こそ、過去の喜びを思い出してください。

過去だけではなく、これから更に成功体験を積み重ねて行きましょう。

小さな成功体験の積み重ね方

元気がない時は小さく始める

元気がないときは、大きな目標設定が難しいものです。そんなときは、ごく小さな目標から始めてみてください。
例えば、「今朝は少しだけ早起きしてベッドから出る」「こちらから挨拶をしていく」といった小さな目標でも、成功体験としては十分です。

過去の成功を現在に活かす

以前成功したことと同じか、それに近い何かを今、試してみるのもよいでしょう。
それが新しい成功体験につながる可能性があります。

達成したら自己評価をする

成功体験を積み重ねる過程で、達成したことに対して自分自身を褒めることが重要です。
自分で自分を評価することで、自己肯定感が高まります。

何か新しいことに挑戦する時、最初から大きな成功を期待すると、プレッシャーで失敗してしまうことが多いです。 日頃から小さな成功を積み重ねることが大切です。

たとえば、ダイエットを始める場合、最初から毎日1時間のジョギングをすると決めるよりも、最初は10分から始めてみましょう。その10分が続けられたら、次は15分、20分と少しずつ時間を伸ばしていくのです。

過去の成功体験を思い出して「自分にはできる」という自信を取り戻し、新たな一歩を踏み出しましょう。それが小さな成功体験となり、次第に大きな成功へと繋がっていきます。

2. 周囲に感謝する

感謝カードと花

人は感謝することで、幸福感のスコアが上昇することが、ポジティブ心理学において証明されています。

感謝の感情を持つことで、ストレスの軽減、心の安定、そして自己肯定感の向上が確認されています。

私自身、消防士時代に活動してきた救急現場、火災・災害・救助現場での体験がきっかけで、平凡な日常がどんなに尊いものか、身近にいる人達が元気に目の前に存在してくれることがどんなに有り難いことなのかに気づき、どんどん感謝を表す機会をどんどん増やしました。

毎日の生活で当たり前に感じていることに目を向けてみましょう。

目を覚ますと新しい一日が始まっている
家族や友達が健康でいる
エアコンや暖房がちゃんと効いている
スーパーやコンビニで必要な物が手に入る
これらは些細なことかもしれませんが、感謝できるポイントは意外と身の回りに溢れています。

そして、その感謝を形にすることで、自分自身だけでなく、周囲の人々にも幸福感を広げることができます。
一言「ありがとう」と言うだけで、その感謝の気持ちが相手に伝わり、その結果として相手もまた感謝の念を持ってくれます。

感謝は心を温かくし、人と人との繋がりを深め、生きづらさを少しでも緩和し、日々を豊かにするための素晴らしいツールでもあります。

だからこそ、感謝の力を信じて、今日からでもその一歩を踏み出してみてください。きっと、その行動があなたの心に新たな光をもたらしてくれるでしょう。

3. 他人と比較せず自分の成長を喜ぶ

メモを書いている男性の手元

比較は自己肯定感の最大の敵です。他人と比較するのではなく、自分がどれだけ成長したかを考えましょう。

他人と比較するというのは、現代社会では避けられないことのように思えます。

SNSで多くの人がキラキラな画像を競って投稿しています。

仕事でのプレッシャー、人間関係の悩み…その全てが、他人と自分を比較し、評価する習慣を作ってしまいます。
日々他人と自分とを比較することで心を痛め、自己肯定感を低下させています。

しかし、よく考えていただきたいのは、他人の成功や達成は、あなた自身の価値には全く関係がないということです。

他人がどれだけ成功していようと、それはあなたの人生にとって大きな問題ではありません。

自分より成功していると羨んでいる相手がいて、頑張って同じ地位にたどり着いたとしても、さらに上の地位の人が存在します。
他人と比較する習慣から抜け出せないと、一生他人を羨み、自己肯定感を満たすことはできません。

あなたが他人と比較して落ち込むことは、結局、自分自身を傷つけるだけです。

他人と比較する習慣から脱するためには、自分自身の成長と進歩に焦点を当てることが重要です。

小さくても何か新しいスキルを身につけたら、それを喜びましょう。
自分が前よりも成長していると感じた瞬間は、自分自身を褒めてあげましょう。
たとえ小さな成果であっても、それはあなたが確実に前に進んでいる証拠なのです。

自分の成長を喜ぶためには、自分自身で定めた目標に向かって進むことが大切です。
その目標は大きくても小さくても問題ありません。
大事なのは、その目標があなた自身が設定したものであることです。

他人との比較から解放され、自分自身の成長を喜ぶための習慣を作りましょう。
例えば、一日の終わりにその日自分が成し遂げた小さな成果を日記につけるといった習慣です。
自分自身の成長を毎日確認し、その過程を楽しむことができます。

あなたの人生はあなた自身のものです。
あなたが他の誰かになることではなく、あなたらしくいることに価値があります。
あなたはそのままで素晴らしいのですから。

4. 完璧を目指さず自分の全てを認める

階段を上がる男性のイラスト

完璧を目指すあまり、自分を過度に低く評価してしまうことは避けましょう。
自分の長所だけでなく、短所も認めることが大切です。

「完璧を目指す」 という言葉は一見ポジティブに聞こえるかもしれませんが、実際には多くのストレスや不安を引き起こします。
何もかもが完璧でなければいけないと思うことで、自分自身を過度に低く評価したり、他人の評価を気にしすぎたりする習慣ができてしまいます。

そもそも、「完璧」など存在しません。
完璧というのは、人それぞれの価値観や状況によって変わるものです。そう考えると、完璧なんて神様以外にありえません。

だからこそ、100点満点が取れないと自分自身を厳しく評価しないで、6割7割できたら成功くらいに考えましょう。

たとえあなたが何かに失敗したとしても、それはあなた自身の「全体」を否定するものではありません。
それはあくまでその瞬間、その局面での出来事であり、次に生かせる貴重な経験です。
失敗も、挑戦も、全てはあなた自身を形成する一部です。あなた自身の存在そのものを揺るがせることは絶対ありません。

具体的に「自分自身を認める」ためにはどうしたら良いでしょうか

自分自身の長所を認識する。

誰もが何かしら得意なことや、好きなことがあります。
その長所を認識し、それを活かすことで、自分自身に自信をつけることができます。

自分の限界を受け入れる

どんなに頑張っても達成できないこともあります。
そのような時は、無理にそれを達成しようとするのではなく、その限界を受け入れる勇気も必要です。

自分自身を許す

過去の失敗や後悔、それら全てもあなた自身の一部です。
それらを許すことで、新しい自分に向かって進むことができます。

小さな成功を祝う

大きな成功を求めるあまり、小さな成功を見過ごしてしまうことがよくあります。
しかし、その小さな成功が積み重なって大きな成功につながります。

5. 自分のネガティブな感情を認める

いろんな表情が描かれた玉子

感情は無視することで大きくなってしまいます。
嫌な感情も、それが自分の一部であると認め、その上でどう対処するか考えましょう。

怒りや悲しみ、不安など、負の感情も抱えることは人間らしいことです。
そもそも感情が生まれるには必ず理由があります。
感情そのものにいいも悪いもありません。 その感情を認めた上で、その原因や解決策を考えることが重要です。

多くの人が、ネガティブな感情は「悪」であり、すぐにポジティブな気持ちに切り替えるべきだという誤った考えを持っています。

しかし、実はネガティブな感情にもその存在する意味があります。
それを全て排除しようとすることが、逆にストレスや苦しみを引き起こす場合も少なくありません。

まず第一に、ネガティブな感情を認めることが必要です。

「自分は今悲しい気持ちでいるんだな」 「不安を感じているんだな」 と、感情をそのまま認めてあげましょう。
なぜそのような感情が生まれたのかを理解することが次のステップとなります。

第二に、その感情がもたらすメッセージを聞いてみてください。

例えば、怒りが湧いたとすると、それは何かが自分の価値観に反しているからかもしれません。
恐れや不安があるとすれば、それは自分が何かを失うか、失敗する可能性に対する警告かもしれません。

このようにして、その感情が持つ意味や価値を理解することで、その感情を有用なものとして活用する方法を見つけられるでしょう。

感情は感情であり、それ自体があなたを評価するものではありません。

ネガティブな感情を持つことで自己評価を下げることはありません。
大事なのは、その感情をどう管理し、どう活用するかです。

どんな成功者も、大きく成長するきっかけは困難にぶつかる経験をしたことです。
ネガティブな感情がもたらすエネルギーを、具体的な行動に変えて来たのです。

ネガティブな感情に向き合うことで、自己認識を深めことはあっても、決して自己肯定感を下げる必要はありません。

まとめ

ピンクのシャンパン

自己肯定感を高める方法は、簡単ではありませんが、確実に効果が出るものばかりです。
日々の生活の中で、ぜひこれらの方法を取り入れて、高めていってください。

多忙で心が疲れているときにこそ、心がけてくださいね。

さあ、新しい自分に出会い、素晴らしい人生を歩んでいきましょう。

居酒での職場の飲み会風景

心を守るために自分軸を見つけよう

「今夜一緒に飲みに行こうよ」
「金曜日はうちの課の全員でビアガーデンだ!」
そんな上司の声がオフィスに響き渡るとき、部下の多くは気づかれないように深い溜め息をついている。そんな職場は少なくありません。

「割り勘で飲んで、みんなの愚痴を延々と聞くなんてちょっと…」と、心の中で思いながらも言い出せない人が多いことでしょう。

たまの飲み会なら親睦を深められて楽しいと感じる人がいたとしても、その回数が多くなるとうんざりしてしまいます。

職場の飲み会に限らず、私達は他人の誘いを断りきれずに、ついつい自分の貴重な時間を不本意なことに費やしてしまうことがあります。

断ることで雰囲気が悪くなる
断れば付き合いが悪いと言われ、人間関係が悪くなる

そんなことを考えて、ついつい付き合ってしまうことが多くないでしょうか?

しかし、時間は有限です。 貴重な時間を無駄にして後悔しないための自分軸で生きることの重要性についてお話します。

自分を優先することは我儘ではない

都会の夜の繁華街

お酒など飲まずに本当は家に帰り、家族と過ごす時間が欲しいと思っている人が多いはずです。
しかし、その想いを押し殺して、居酒屋の暖簾をくぐる人がほとんどでしょう。

同様に、友人や仲間からの頼み事に対しても、本当は忙しいのに断れず、結果的には後悔することも多いでしょう。

日本人は欧米人のようにドライに自己主張できずに、他人のために行動する傾向があります。
しかし、その行動が本当に自分の内面に沿ったものなのでしょうか。

自分のことを優先することは我儘ではないか、他人の感情を理解できない冷たい人間ではないかと悩んでしまうこともあるでしょう。しかし、お人好しになって常に他人に合わせて生きていると、心のバランスが崩れてしまうこともあります。

それを避けるためには、「自分軸」を見つけることが大切です。

自分軸とは何か?

都会の屋外の酒場

自分軸とは、自分自身の価値観や信念、優先順位を明確に持ち、それに基づいて行動することです。

「断ることは悪いことなのか?」
「自分を優先することは我ままなのだろうか?」

と疑問に思ったら、それは自分軸がはっきりしていない証拠かもしれません。

自分軸が明確になると、大切なものを見失うことなく、自分の生き方を選ぶことができます。

私ごとですが、私の妻は私が消防局に在職中にうつ病になりました。

所属していた署は、24時間勤務の隔日勤務制でした。
一日置きにしか家にいられないのに、頻繁に飲み会が開催される職場だったので、妻のことが気になりながらも参加していました。

しかし、妻の状態が悪化して行くと、優先順位を考えざるを得なくなり、欠席することが多くなりました。

お酒の席を共にすることで親睦がはかれるという利点を否定するわけではありません。
しかし、私のいた職場の飲み会は、酔いが進むとその場にいない者の個人攻撃など、生産的とはいえない酒席の方が多かったのです。

家庭の事情ということで欠席することが多くなってわかったことがあります。

日常勤務で元々関係性が良好ではない間柄が、酒席を共にして和気あいあいとなることはほぼない、ということでした。
むしろ、酔いにまかせて日頃のうっぷんを吐き出し合うことになり、更に悪化することさえあります。

元々良好な人間関係を気づいていた相手とは、お酒を飲まなくても良好なままでした。
飲み会への不本意な参加は、他人軸で生きることのほんの一端です。

業務でも、他人が受け持つはずの仕事を振られたり、サービス残業を求められたりすることもありました。

しかし、妻との時間を最優先に置かねばならなくなって気づいたのは、もっと自分自身のことも優先していいのだということです。

その事に気づいてからは、他人から「つき合いが悪い」と言われることは気にせず、自分自身の価値観で生きることを意識しています。

自分軸を見つけ、大切なものを守る

家族団らん風景

自分軸を持つことで、本当に大切なものを見失わないようになります。

私たちは、無意識のうちに自分の大切なものや時間を他人に譲って生てしまいがちです。
しかし、自分軸を明確にすることで、それを防げるのです。

「自分軸」という言葉は抽象的に聞こえるかもしれませんが、実は非常にシンプルな概念です。
それは、自分自身が何を最も大切に思うか、何を優先するかということを明確にし、それに基づいて行動するということです。

つまり、自分軸とは、自分の人生を自分自身でコントロールし、自分の大切なものを守るための思考方法とも言えるでしょう。
それを持つことで、人生はより充実し、幸せになることができます。

自分軸を見つけることは、自己理解の一環でもあります。
それは自分自身の思考を深め、自分自身の感情や願望に向き合うための重要な一歩となります。
そして、自分軸を明確にした上での行動は、後悔や自己否定のない、自分らしい生き方を可能にします。

4.心の健康のための自分軸

他人軸で生きて、自分や自分の家族、自分の価値観を犠牲にした先には、本当の幸福は存在しません。

親の過大な期待に応えようとして、無理をし続けた末にメンタルを壊す。
上司を失望させないために、過剰な業務を抱え込む。
同僚に嫌われないために、疲れていても無理をして付き合う。

私は消防士時代に、そんな他人軸で生きた末に心を壊し、自損行為に走ってしまった人を、何人も救急搬送して来ました。

他人を尊重することと、他人軸で生きることとは、根本的に違うのです。
他人軸で生きて、自分を犠牲にすることで、本来は職場全体の問題として改善すべき点が、うやむやになってしまうことだってあります。

最初は、断ったり、自己主張したりすることに、勇気がいるかもしれません。
後で気に病むこともあるかもしれません。
しかし、唯々諾々と従っていれば、いつまでも幸せになれません。
「これが自分軸だ」と自分で納得して、前に進みましょう。

自分軸で生きると同時に、他人の存在を尊重し、他人の価値観を理解し、互いが自分らしい幸せを実現する第一歩として、自分軸について考えてみましょう。

考え込む女性

嫌いな人のいい所なんて見つけられない!

嫌いな人っていますか?

いないってことはないですよね。

マザーテレサのような特別な聖人でもないかぎり、できれば顔を合わせたくないという人が、誰だって一人や二人くらいはいるはずです。

それどころか、同じ空気を吸いたくないくらい、徹底的に嫌いな人がいるという人だっているでしょう。

嫌いな人や苦手な人がいる場合に、人に相談するとよく言われる言葉で
「嫌いな人は、自分自身の映し鏡」
というのがあります。

その意味は、
相手に嫌だと感じる部分があなた自身の中にある
ということのようです。

中には、
「あなたにそのことを気づかせるために、あなたの前に現れたのよ」
なんて忠告する人もいます。

そう言われてすぐに、
「そうか、そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。反省しなければ」
と思い当たる節がある場合もあれば、

「とんでもない、絶対にそんなはずない!」
と反発したくなる場合もあると思います。

嫌だと思っている相手に、日常的に悩まされ、心が弱っている状態の人が、そんなことを言われてよけいに苦しくなったという人もいます。

本当に、自分にとってそんな嫌な存在が「映し鏡」なのかどうかを、今日は一緒に考えてみたいと思います。

私的には「必ずしも映し鏡ではない」と思っています。
はっきり言って「映し鏡」じゃない場合の方が多いと思っています。

そうはいっても中には映し鏡な場合もある

鏡の画像

「嫌いな人は、あなたの映し鏡説」でよく言われているのは、
自分の中の嫌な部分を相手に言動や行動に見ているんではないか、ということや、
自分がやりたくてもできないことを、やっている人を羨やむ気持ちがあるのではないか、ということです。

例えば、職場の後輩が、誰にでも明るくしゃべって、いつも場の中心になっている人を見て、
「異性に上手に取り入る人なんて嫌い」
「異性の前だと態度変わるんだから」
という気持ちを持つのは、気持ちのどこかで、
自分も気さくに異性と話して、話の中心にいたいと思っている、ということです。

確かに私だって、無意識にそんな感情を抱くことだってあるかもしれませんが、そんなケースばかりではないと思います。

どうもすべてに当てはまる法則ではなさそうです。

嫌いな人のいい所をみるべき説

虫眼鏡で見る女性

「映し鏡説」でよく言われるのは、嫌いな人、苦手な人とうまく接することができない人に対して、

「その人のいい所を見つけるようにすればいい」
「悪い所ばかり見ないで、いい所に目を向けなさい」
なんてことを言う人がいます。

自己啓発本などでよく目にする言葉でもあります。

自己啓発本も、いい意味でやる気を奮い起こしてくれるものもあれば、読み手の心の状態によっては、まるで実行不可能だったり、自分が責められているように感じて逆効果だったりすることがあります。

すべてとは言いませんが、自己啓発本に多いのは、たまたまその人がうまく行ったことを広げて書いていたり、心理学を自分の説に都合のいい部分だけをつまみ上げて書いていたりするケースが多いように感じます。

そんな本を読んで、苦手だけど仕事上どうしてもそんな相手とかかわらないといけない場合など、なんとか努力しようと頑張ってみても、たいがい挫折してしまいます。

中には、視点を変えて見るようにしたら、嫌な気持ちが薄らいだということもあるかもしれませんし、

生理的に受けつけないとか、相手を偏見の目で見ていたことに気づいたなどであれば、自分自身が反省しなければならないと感じる場合もあるかもしれません。

しかし、そんなふうに努力しても、嫌いな気持ちがどんどん大きくなっていく場合があります。

相手にある程度「いい所」があるなら、そこまで嫌いにならないのではないか、と思います。

世の中には驚くほど嫌な奴だっている

怒っている中年男性

「映し鏡説」は、そもそも性善説の上でこそ成り立つ説ではないかと思います。

しかし、現実世界では性善説では対応できないような事件のニュースが、毎日たくさん流れています。

平気であおり運転する人
SNSでヘイト発言をする人
特定人物を誹謗中傷して自殺まで追い込む人
窃盗、放火、傷害、殺人までする人が存在しています。

その人に対して嫌悪する感情も、映し鏡になるんでしょうか。

そんな特殊例じゃなくても、
日常生活で出会う人にも、考えられない行動を取る人だっています。

そんな人に、職場で出会うこともあれば、今まで普通に付き合っていた友人がそんなふうに変化する場合だってあります。

圧倒的に理不尽なことを言ってくる人
日常的にパワハラ発言をくり返す人
信じられないような差別発言をする人
マウントが取りたくてこちらの心を傷つけるようなことを平気で投げつける人

そんな人に一度も出会ったことがないという人は、おそらく存在しないのではないでしょうか。

私自身、かつて勤務した職場で、そんな人が何人もいるような環境で仕事をしていて、日々、消耗していました。

まあとてつもないパワハラ三昧の中で何年も過ごしていましたねえ。
メンタルは平気ではなくて、ちょっと病みそうになったこともあります。

メンタルを病んで自宅療養を続ける同僚も、一人や二人ではありませんでした。

そんな状況の中にいる人にも
「その存在も、あなた自身の映し鏡なのです」
なんて無責任な言葉を発することができるのか!と言いたくなりますね。

嫌いな人はより意識してしまう

悩んでいる若い女性

「嫌い」「苦手」という感情にも、大小があったり、種類がいろいろあったりします。
自分自身の心の状態でも変化します。

なんとか我慢して平静を装って付き合える場合もあれば、
今までは割り切って対応できたのに、嫌だという感情が積もりに積もって、「もう限界だ!」という状態もあります。

嫌いな気持ちが強ければ強いほど、相手のことをより意識してしまいますからねえ。

平静を装おうとしても、感情がどこかに表れてしまい、向こうをさらに刺激して、悪いループにはまることになりがちです。

顔も見たくないという感情が、その人のいないときでも尾を引いて、いつまでも嫌なことを考えている時間が長くなります。

忘れようとしても、いつまでもその人の影がつきまとうようになります。

私もそんなことがあって、
休みの日も、気づくとその嫌な相手のこと、まあはっきり言うと上司でしたが、
その人のことを考えているんです。

あー明日はまたあいつになんか言われるのかあ、と思うと、まったく気が休まりませんでした。

こんな状態が続けば、誰だって抑うつ状態になり、メンタルを病んでしまいます。

相手を変えることはできないから自分を変える」説

「相手のいいところを見るようにしなさい」の次によく言われることは、 「相手を変えることはできないから自分を変えなさい」ということです。

確かに、誰だって基本自分が悪いとは思わないので、変わりたくなし、変わらされたくないはずです。

変えようという意図で発言などすれば、激怒させることになって逆効果になることはあっても、考え方を改めさせることなどできません。

それでも、状況によっては、あえて態度を変えてもらわないといけない場合もあるかもしれません。差別発言をくり返す人に、言わないようにしてもらうとか、パワハラ発言を止めてもらうなど、変化を求めるべきな場合もあるでしょう。

相手の心の中は変えることができなくても最低限、言動や態度は改めてもらうべき場合です。

相手が上司であれば、もっと上の立場の人に厳重に注意してもらえば、それが可能になる場合もあります。

そう考えると「相手を変えることはできない説」が万能ではないということが言えると思います。

次は、「自分の心を変える説」ですが、
変わる必要があるかどうか、変えることができる精神状態かどうか、ということにもよると思います。

相手の考え方、行動を受け入れがたいので、自分を変えるべきじゃないと判断するケースもあるはずです。

夫婦や親子関係と違い、こちらが自分を変えてまで対応すべき相手なのかどうかも問題ですが、悩まされている相手ですから、自分が変わることを拒否できないことが多いと思います。

しかし、自分の心が疲れて苦しい状態であれば、自分を無理に変えようとすることで、更に心を鞭打つことになってしまいます。

こんな場合は、「自分の心を変える」ことは避けるべきです。

自分の価値観や心の健康、人権は守る

仏像の画像

「あの人をこんなに嫌うなんて、私は心の狭い人間なんだわ」
「人の悪い面しか見ることができない私は、ひどい人間なんだ」
そんなふうに自分を責めすぎないことが大切です。

まず自分の心の中の「嫌い」という感情を認めてあげてください。
心理学では、感情にいいも悪いもない、と言っています。

すべての感情は、理由があって生まれてきたわけですから、相手を嫌う自分の感情を責めないでください。

お釈迦様も、「縁なき衆生は度し難し」とおしゃってます。
あの慈悲深いお釈迦様でも、仏縁のない人は救えない、という意味だそうです。

あの釈迦様でもそうなんですから、凡人である私達が「嫌い」という感情をゼロにして、好きな人ばかりにすることなんてできなくて当然です。

心が苦しいときには「嫌い」「苦手」「合わない」という感情を持つことを責めないで、まず自分の心を癒やしてあげてください。

まとめ

「嫌いな人は自分の映し鏡」は、万能の法則ではなく、当てはまらない場合も多い。

嫌いな人のいい所を見つけようと無理をすると、自分が苦しくなる。

「相手は変えらないから自分を変える」説については、自分の心が弱っているときは変わろうとしなくていい。無理に変わる必要なんてない場合だってある。

心が苦しいときに相談した相手から、説教めいたことを言われたり、「相手は映し鏡」的なことを言われたら、聞き流す。

感情そのものにいいも悪いもない。

相手を嫌いだという感情を持つことで、自分を責めない。

嫌な人に心の中をかき乱されて、苦しくなったときには以上のことを思い出してください。

オンライン講演中に歌う石川達之

「人生の転機」特別授業で脱サラについて話す

鳥取県立鳥取盲学校さんから、「脱サラしたときのことを聞きたいという生徒がいるので、特別授業をしてもらえないか」という依頼をいただきました。

視力が衰えていくため、新たな職業に就かれる生徒さんのたいへんさは、私などの想像を遥かに超えたものがあると思います。
それでも私のささやかな経験が、少しでもお役に立つならと、お引き受けしました。

長年勤めてきた仕事を辞めて、新たな仕事に挑んだときの気持ちはどんなだったのか?
脱サラ後の人との出会いでどんな学びがあったのか?
大きくその2つが聞きたいということでした。

私が伝えようと思ったのは、
今までの仕事での体験
今までの人との出会い
すべてに無駄はなく、新たな仕事に、新たな人生に結びついていたということでした。

不安より情熱が上回った

オンライ講演会の収録中の笑顔の石川

まず、私は「不安より情熱が上回った」ということを伝えました。

どんな職業からでも転職や独立起業する際には、不安がつきものです。

私も消防士から講演家に転身したときには、不安がたくさんありました。しかし、50代とはいえ情熱があふれるほどあったので、やる気だけで突っ走りました。

私の情熱の源は、後悔したくないという思いです。

消防に在職中も、何度となく脱サラに思いを馳せることはありました。

しかし、本当に考えるようになったのは、妻がうつになった49歳の頃でした。
隔日勤務で、一日置きに妻を一人きりにしていた生活を、なんとかしたいと思うようになったのです。

仕事内容も、定年に影響を受けることなく、生涯現役で働ける仕事で、ずっとやりたいと思っていたことをライフワークにしたいという思いが強くなりました。

消防という仕事は、たいへんなことが多いのですが、間違いなくやりがいのある仕事です。
しかし、自分が一生やり続けたいことは、全国で講演をしてまわりたいということでした。
消防士でいる限りは自由に動くことはできません。

今の生き方のまま死ねば、自分はどうなんだろう?
自問すると、答えは明らかでした。
やりたいことを諦めたまま死ねば、絶対に後悔する!

そんな思いが日増しに強くなっていったのです。

今までの経験は無駄にはならない

夜間雨降りに走行する救急車

次に話したのは、過去の経験は、たとえそのときにはネガティブなものに感じていたことであっても、無駄にはならないということです。

私自身、32年間消防士として現場活動をやってきたことが、まさか講演に活かすことができるようになるなんて考えてもいませんでした。

しかし、悲惨な現場で活動してきたことをお話ししてきたおかげで、こうやって盲学校の皆さんにお話できるチャンスが生まれたのです。

32年間勤務した月日は、しっかりと今につながっていることを実感しています。

盲学校の生徒さんも、視力が衰えたり失ったりされたことで、以前の職業とまったく違う業種へ進まれる人もいらっしゃると思います。

それでも以前の職業の体験や学びは、必ずこれからにつながって行くということを話しました。

人との出会いで学んだこと

邑南町「おおなんフィンランド協会」主催の講演会後懇親会の様子
おおなんフィンランド協会の皆さんと

生徒さんからの質問の中にあった「人との出会いで受けた影響は?」についても話しました。

もちろん、学生時代の友人、消防士時代の同僚など、影響を受けた人はたくさんいます。

脱サラしてからは、今まででは考えられないほどのたくさんの人との出会いがありました。

講演も、出会った人たちが次の講演につないでくださる事が多く、人との出会いなしには考えられない職業だと、あらためて思いました。

私自身も出会った人達、これから出会う人達にいい影響を与えられる人間でありたいと思っています。

私がお伝えしたかったのは、今までの仕事での体験や今まで出会った人達すべてに無駄はなく、新たな仕事に、新たな人生に結びついているということです。

その他の質問

オンライン講演会中の石川のPCディスプレイの画像

授業中にいろんな質問をいただきました。
「どんなときに曲作りするんですか?」という質問でした。
私の歌をラジオで聞いたことがある生徒さんからでした。

オンラインでの授業でしたが、これが2回めで、カメラはもちろん、ギターもマイクもしっかりと準備したので、生徒さんのお顔もしっかりと見ながら授業が勧めました。

2時間という長時間でしたが、脱サラについて話せたことや、リモートでやることが新鮮でした。生徒さん達の新しい挑戦に、心からエールを贈りたいと思います。

項 目内 容
講演会タイトル「人間と社会」特別授業
日 時令和3年1月29日(金)13:20~15:10
演 題
場 所オンライン
主 催鳥取県立鳥取盲学校
日本海新聞に掲載された石川達之のコラム

「大切」の大きさ(日本海新聞コラム)

仕事柄、メンタルヘルスについて話す機会が多いので、日々の生活の出来事も、何かにつけて心や感情の問題に結びつけて考えるようになりました。

私自身に関わる出来事だけではなく、私のホームページの問い合わせフォームから送信されたメールやブログからのメッセージなどにつづられた未知の人の出来事にも思いを巡らすこともあります。

つらい経験をしたがようやく元気になれた、という体験談。
今まさに苦しみのどん底にいて、私のブログのエピソードを読み、話を聞いてもらいたくてキーボードを打っている、などいろいろな内容があります。

たくさんの人から話を聞くと、さまざまな悩みや苦しみ、不安の種類があることを、今
更ながら教わることになります。

ちょっとした人間関係のもつれがきっかけであることもあれば、その人の大切な存在に関する大きな出来事であることもあります。

自分にとって大切な人の「大切さ」を見失うことで不幸になる場合もあります。

よく聞き、使いもするこの「大切」という言葉の意味を古語辞典で調べてみると、

【大切なり】重大である。さし迫っている。
大事である。

とあります。

キリシタン時代の日本の聖書では「愛」ではなく「御大切」と訳されたと聞きます。
明治期に編纂された大言海では「オゴソカニ護ルコト」と説明されています。

時代とともにその解釈には変遷があったようです。「大切」という言葉の意味の大きさを、あらためて思い知らされた気がします。

日頃、言葉の意味もよく知り、相手の存在のありがたさもよく分かっているつもりでよく使っています。

大切だと分かっていながら、相手との距離が近くて、一緒に過ごす時間が長くなると、存在して当たり前だと錯覚してしまいがちなのが、人という存在なのかもしれません。

親兄弟、夫婦、恋人、友人、その存在の重さ大きさを、時に見誤ってしまい、心ない言葉を口にしてしまったり、そっけない態度をけてあげるべき言葉を見送ったりした経験を、誰もが持っているのではないでしょうか。

人生の折り返し地点をとっくに過ぎた現在の私から見ますと、長いように感じていた月日も、過ぎてしまえば一瞬のように感じられます。
おそらくこれからはさらに加速度を増すことでしょう。

今日一日を、さし迫った大事な一瞬だと思って、大切な人や思いをオゴソカニ護ルことを心がけたいと思います。

日本海新聞「潮流」の記事画像
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