心の元気講演家 石川 達之ホームページ

安全教育

作業現場のヘルメット

安全な職場はどう作る?「ミスは敵ではない」

私がかつて勤務していた消防は、危険な現場への対応が日常業務であり、作業そのものが常に危険を伴いました。

その安全管理の厳しさが、時に個人に対する精神論的な攻撃になる場合がありました。

厳しければ厳しいほど、逆に小さなミスが多く発生しました。

個人の努力だけではなく、組織全体で取り組むべき安全管理について考えてみましょう。

厳しいだけでは逆効果になる

消火作業中の消防士

消防の現場活動は常に事故に直結する危険性があるものです。

そんな職業ですから、日ごろから各署で「安全教育」が実施されてきました。

就職直後の見習い期間から、私が退職するまで、ことあるごとに言われてきたことのひとつに「ハインリッヒの法則」があります。
当時、耳にタコができるくらい頻繁に聞いた言葉でした。

ハインリッヒの法則とは、300のヒヤリ体験が29の軽微な事故を引き起こし、その結果、重大な事故が1回起こるというものです。この法則は、私たちに対して、小さなミスを犯さないよう日々注意深く作業を行うようにというメッセージを伝えていました。

ハインリッヒの法則の図

「だから日頃から小さなミスを犯さないように気をつけろ」というものでした。

多くの職場でも同じような意味合いで、安全教育の中で話されているのではないかと思います。

もちろん、小さなミスを犯さないように日頃から気をつけることは大事です。
危険を回避するためには、瞬間的に大声で注意を促さなければならない場面もあります。

ただ、何事にも精神論を持ち込むムードが強くなることで、かえって多くのミスを生み出していることに気づきました。

「ハインリッヒの法則」の誤解

大きな機械のある工場

「ハインリッヒの法則」(1:29:300の法則)の

300回ヒヤリとした体験(微小事故)→29回の軽い事故があり→1回重大な事故が起こる

という考え方は、「ヒヤリ体験の300件が積み重なることで、1件の重大な事故が発生する」という意味ではないことを理解することが重要です。

当時、我々消防職員が見落としていたのは、「軽傷災害と重症災害の原因は異なる」ということでした。

300回の微小事故があったために、1回の重大事故が起こるとは限らず、今までの微小事故とは無関係に重大事故が起こることだってあります。

つまり、ずっと教えられてきたことは拡大解釈であったということです。

安全対策が精神論にすり替えられることの危険性

建築現場の高所で作業する社員

過酷な現場で活動するには、精神論も根性論も無視できません。
ときに消耗する心身を支えてくれる大きな力にもなります。

ただ、日常の安全対策に精神論を持ち込むことには弊害があります。

私が勤務していた頃の消防は、小さなミスがあった場合、

「気持ちが緩んでいるからそんなミスをするんだ!」

「そんな小さなミスが重なって、いずれ大きな事故を引き起こすんだぞ。もっと緊張感を持って仕事をやれ!」

そんな叱責を受けることがよくありました。

そんなふうに、叱責を受けるときの根底にある考え方が「ハインリッヒの法則」で強化された、「日頃の気持ちのたるみから大事故が発生する」という精神論でした。

欧米では、「人は必ず間違いを犯すもの」という前提で安全を考えているそうです。

消防に限らず、日本人は何事も根性論、精神論に結び付ける傾向性があり、特に消防のような階級制度の下で「命令」に従う職業の場合、それがいっそう顕著になります。

そうなると、誰かがミスを犯した場合、往々にしてその原因の解明ではなく、犯した個人への糾弾、個人攻撃という形になりがちでした。
少なくとも、叱責された本人はそう捉えていました。

(参考記事:職場の安全は隠し事をなくすことからー子育てに似た安全教育

そういう形になるとどんな弊害があるかといいますと、自分の分担以外のことはやらなくなります。

下手に誰かの手助けをしたり、気をきかして何かをやったりして、それがちょっとしたミスにでもなれば、また叱責されると思えば、無難なことだけやっていようと思うようになります。

このような状況は、職場全体の安全文化に悪影響を及ぼします。

自分の分担以上のことをやらなくなるだけではなく、ミスを隠蔽するようにもなります。

「大声で叱責されるのは嫌だし、これくらい黙っていても問題ないだろう」
と考えるようになります。

私が働いていた頃に実際にあったのですが、資器材の紛失が続いた時期がありました。
そのたびに上司は大声で署員全員を叱責しました。

署のムードは険悪になり、署員の気持ちは萎縮し、コミュニケーションもうまくいかなくなりました。

安全は一人の力で生み出せない

建築現場で進行状況を確認する監督

当時、私のいた消防署ではミスを犯さないように、何度も点検に点検を重ねましたが、なぜか日頃は起きないようなミスが続きました。

そんな悪循環の大きな原因となったのは、ミスを申告しづらくなる「精神論」にあったのではないかと思います。

ミスを糾弾するという行為が、個人攻撃となり、人格否定にまで進むケースもありました。

安全衛生の問題だけではなく、パワハラとして大きな人権問題にも発展しかねない状況でした。

「安全」は誰か一人の力で生み出せるものではなく、職場全体で作り出すものだと思います。

現代的な安全理論の導入

PC画面を見ながら作業工程を確認する社員

新たな安全文化を職場全体で作り上げるために、新たな安全対策理論を導入することも重要になります。

ハインリッヒの法則が提唱されたのは、1931年です。 100年近くも前のことで、その後に新たな安全理論がいくつも生まれています。

原子力産業、航空産業、化学産業などの高リスクな産業では、人間信頼性評価(Human Reliability Assessment、HRA)を進め、ヒューマンエラーを評価し、エラー削減戦略を開発します。 そしてその効果を評価し、改善をしていきます。

それらの新たな安全理論導入により、ミスを犯した人への個人攻撃ではなく、ミスをデータベースとして安全管理を向上させている企業が増えています。

それはなにも大手企業だけの話ではなく、どんな職場でも、事故を防ぐと同時に、業務効率と生産性の向上にも効果が期待できます。

こうのような安全対策を導入することで、私たちはミスを恐れる文化から、ミスから学び、成長し、改善する文化へと移行することができます。

これは、私がかつて働いていた消防の業務だけでなく、すべての業種にとって重要な視点です。

まとめ

もし、個人のミスを非難、攻撃するという職場の風土がいくらかでも残っているようであれば、「小さなミスこそが大きな安全を築き上げるための財産」という捉え方をしましょう。

間違っても隠蔽体質の残る職場ではなく、個人の犯した「失敗」も、組織全体で取り組むべき課題であると考え、職場全体の安全向上に取り組みましょう。

そのために、旧来の安全理論に加え、現代の安全理論を導入し、それに基づいた科学的で効果的な安全対策を設計することも考えてください。

どうぞ、本日もご安全に!

建築現場のたくさんの作業員

職場の安全は隠し事をなくすことから(子育てに似た安全教育)

どんなに厳しく安全について指導している職場でも、危険なミスの発生をなかなかゼロにはできません。

「こんなに安全確認を徹底させているのに、どうして事故が無くならないんだろう」
そう嘆く担当者は多いようです。

厳しくすればするほど、事故が発生するという皮肉な事態になることだってあります。

「じゃあどうすればいいんだよ!」といいたくもなります。

安全教育に力を入れていて、社員も十分理解しているはずなのに、なぜか発生してしまうミスや事故。

私が消防士時代に救助隊として出動した労災現場の事例をお話しますので、一緒に「安全」について考えてみましょう。

家庭と職場でのヒューマンエラーの共通点

建築作業中の作業員たち

私が消防士時代に、安全教育に力を入れている企業に、労働災害で何度も救助出動・救急出動したことがあります。

会社のあちこちに安全標語や安全のための行動チェック項目が掲示されていました。
それなのに、同じ原因による労災事故でした。

当時、欠けていたのは、家庭での子育てと同じで、成長を見守る勇気と愛情でした。

「いやいや、うちは社員は家族と一緒ですよ」
という思いをお持ちの会社もあるでしょう。

しかし、実の親子でも犯しがちなあやまちもあります。

いいかえると、ヒューマンエラーは家庭でもあるということです。

大切なのは、あやまちを責めるのではなく、どうしてミスを犯してしまったのかを双方が理解することなのです。

特に、故意ではなく過失であれば、なおさら責めるべきではありません。

そんなエラーを無くすためには何が必要かをお話したいと思います。

子どもは叱り過ぎると隠し事をする

泣いている子ども

子育てでは、子どもを素直でのびのびと育てたいと多くの親が思っています。

そんな思いがありながらも、ついつい小さなことで叱ってしまいがちなのが現実です。

しつけの意味で叱らざるをえないことはどこの家庭でもあるのですが、それが過剰だったり、小さなことでガミガミいったり、しつこすぎると、裏目に出ることがあります。

ストレスが溜まって、陰でそれを解消しようとして、いじめや万引などに走ったという例もあります。

あまりにも怒られ過ぎて、自分のとった行動を、親に隠そうとするようになります。

「正直に言いなさい!」
と叱ったところで、怖くてとてもいえないという状態になります。

発覚しないようにスルーすれば、あるいはウソをつけば、平和に過ごせるんだ、という気持ちになるおそれもあります。

その心理を、子どもらしいとバカにしてしまいそうですが、実は大人だって状況によってはやってしまいます。

子育てでは、幼児に「それをしちゃダメ!」と叱ってはいけない、とよくいわれています。

叱るのではなく、なぜダメなのか理由を教えてあげなさい、と。

「ダメ」だけではなく、「速くしなさい!」という言葉も、子ども心を責めてしまうことになるそうです。

親が、なぜ遅くなるかの原因を見つけてやることが大切だともいいます。

どうですか、安全教育も子育てに似ていると感じませんか?

職場でもミスを糾弾されると報告しなくなる

土木作業中の職員

職場でも、子育てと同じことがいえます。

社員がミスを犯した場合、教育的指導から愛情を持って指導するのと、糾弾するのとではまったく違う結果につながります。

原因究明のつもりが、いつのまにか個人攻撃になり、謝罪の言葉を引き出して決着、という職場も少なくないのではないでしょうか。

誰もミスを犯すつもりで仕事をしていません。

過ちがあったとしても、本人はその時点では「あやまち」ではなく「正常」と認識していたに違いありません。

なぜ、「あやまち」「正常」だと考えてしまったかを明らかにすることが、今後の事故防止に繋がる原因究明です。

ミスを犯した人間を糾弾して、社員の門前で謝罪させたり、処分を下したりすることで、小さなミスは報告されなくなります。

もっとひどい場合には、主体的に業務をするのではなく、ミスを犯さないために最小限の自分の担当だけをこなそうという消極的な作業になります。

それでは、生産性にも影響が出ますが、かえってミスが多くなる可能性が高くなります。

社員同士が視野を広くして、チームとして周囲の安全を確認しながら業務を遂行することができなくなります。

一度ミスがあったということは、また誰かが同じミスを犯す可能性があるということです。

小さなミスの報告がされなくなれば、社内のヒヤリハットの事例として蓄積できなくなるということでもあります。

それが続けば、企業としての損失も大きくなります。

表に出なかった小さなミスの先に、大きな事故が待ち構えている可能性があります。

ミスが生死に関わる消防でも同じだった

消火作業中の消防士

同じようなことが、私が32年間勤務した消防でもありました。

生死にかかわるシビアな仕事なので、現場のみならず訓練でも安全管理にはとても厳しい職場でした。

それでも、32年間に何度も。

消防士で内部にいたころには気づかなかったことが、辞めてからは当時のことを俯瞰してみることができるようになり、その原因の一端が理解できるようになりました。

KYT(危険予知トレーニング)やヒヤリハットによる安全学習をひんぱんに受けていても、ミスが連続することがありました。

ふだんから安全管理にうるさい上司から、さらに厳しく執拗に安全管理の徹底を指導されました。

それでもなお、ミスが止まりませんでした。

ミスを犯した者は、始末書の提出を命じられていました。

そして、署員の前で見せしめのように激しい言葉で叱責されていました。

そうなると、訓練も現場活動も、ミスを犯してはいけないという強い思いから、心身が硬直したようにぎこちなくなります。

ふだんなら絶対にやらないミスをしてしまうことが多くなります。

多少のミスなら、発覚しないように報告しなくなります。

まるで子どもじゃないか、と言われそうですが、ミスが連続する期間は、一種異様なムードが職場内にたちこめていました。

日常勤務が平常モードではなくなるのです。

ミスの原因究明ではなく、単なる責任追及となってしまえば、どこの職場でも起こりうることです。

人間の心理には、業種が違って大きな違いはないはずです。

一瞬の判断ミスはなぜ起こったか、現場の状況から解明して、二度目のミスを無くすことが大切なのに、現実は「精神論」で片付けてしまっていたのです。

「緊張感が足りない!」

「プロ意識が欠如している!」

そんな精神論で片付けるほうが、懸命に原因究明するよりはるかに楽ではりますが、別の署で同じミスが発生することの予防にはまったくなりません。

隠し事のないチームで安全を

大きな建物の建築作業

ミスを隠してしまうということは、心に壁ができてしまっているということです。

攻撃されたくない、スキを見せたくない、余計なことにはかかわりたくない

そんな心理状態になってしまっているのです。

「チームワークが大切だ」
というのは、いつも「安全」とセットで口にされる言葉です。

チームワークを良好にする空気を醸成するためにも、全体でミスや事故の原因究明につとめて、けっして責任追及・厳罰主義に陥らないことです。

大切なチームのためにもミスを犯さない、安全のためには自主的にかかわっていくことが、真の安全管理だと思います。

子育ても、家族間で隠し事のないように愛情を伝えてのびのび育てながら、危険から身を守ることも同時に教えていかなければなりません。

どちらも、責任と喜びが大きいやりがいのある仕事です。
災害0を目指してまいりましょう!

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