「動けば変わる」という言葉を、講演で耳にしたり書物で目にしたりする機会があります。
自己啓発的な意味で発せられるその言葉は、エネルギーにあふれた少年期、青年期の人や、やる気に満ちた熟年と言われる世代の人をも大いに奮い立たせてくれる言葉ではあります。
しかし、中には動きたくても動けない人もいます。
どうしても学校に行けない人もいます。
集団の中に身を置くことが苦痛でたまらない人もいます。
目や耳に入ってくる「動けば変わる」という言葉で息苦しくなるという人もいます。
あえて動かずに、じっくりと自分の殻に閉じこもって傷を癒やすことが必要な時期もあります。
ひと所に腰を据えて物事をじっくりと考えることや、自分の技術をじっくりと磨くことが、不可欠な場合もあると思います。
人の役に立ちたいという強い欲求さえも、「静的」な地道な努力なくしては満たせないこともあると思います。
動けないまま、布団に腹ばいになり、大学ノートに小説を書き始めました。
そのまま眠り、また目覚めたら布団の下からノートを取り出して書く、という繰り返し。そんな孤独な日々の中で、日本文学史に燦然と輝く珠玉の名作群が誕生したのです。
昨年は、ピースの又吉さんが芥川賞を受賞して、賞自体が以前にも増して脚光を浴びました。
そんな芥川賞を受賞した作家の中に、私が敬愛する安岡章太郎氏がいます。氏は、「ガラスの靴」で昭和26年に芥川賞を受賞しました。
大学生のときに召集され、翌年に肺結核で除隊になり、その後脊椎カリエスがひどくなり外出できなくなりました。
そのころの安岡氏は、体は動かせなかったかもしれませんが、大学ノートに文字を綴ることで、思いは動いていたのだと思います。
「動く」ということを、人との出会いに限定することなどないのだと思います。
安岡氏のように体を動かすことができなくて、誰に会えなくても、誰も分かってくれなくても、いつかその思いが歴史に残るくらいの大輪の花を咲かせる可能性もあります。
SNS(会員制交流サイト)が生活に浸透し、いつも誰かとつながっていないと不安な人も多くなりました。
孤独であることが、まるで恥ずべきことのように捉えられがちな現代でも、多くの価値ある表現や創作物が、孤独の中から生みだされていることも事実です。
人の心を鍛えることにも、孤独は大きな働きをすます。
「動かなくても変われる」可能性を認められる自分でありたいと思います。
(新聞の月一コラムに掲載されたエッセイです)