嫌いな人のいい所なんて見つけられない!

公園のベンチに座る30代日本人男性

嫌いな人はいますか?

いないってことはないですよね。

多かれ少なかれ、できれば顔を合わせたくないという人が、誰だって一人や二人くらいはいるはずです。

そんなとき、心が弱っていると、余計に「こんなに嫌う自分って、心が狭いんじゃないか」と思ってしまう。

かつての私がそうでした。


職場に、部下からとても人望がある上司がいました。

誰からも慕われ、仕事ができる、そんな人でした。

でも私は、その上司から、何度も何度も強く叱責されることがありました。

当時の私は、そう思っていました。

「あんなに人望がある人から、ここまで強く言われるくらいだから、自分はよっぽど能力がなく、ダメな職員なんだ」

劣等感にさいなまれました。

心が落ち込む日々が続きました。

精神状態がかなりダウンしていた時期もありました。


ところが、です。

後日、その状況を少し距離を置いて振り返ってみたとき、気づいたことがあるんです。

その上司がすべてに正しかったわけではないこと。

むしろ、その人が自分を大きく見せるために、過剰に私を責めていたこと。

その上司自身も、部下からもっと尊敬されたい、もっと認められたいという渇望を持っていたこと。

つまり、その上司自身も、心が満足できない日々を送っていたのではないか、ということです。

完璧な人間なんて、この世にはいないんだ。

その時、そう気づきました。


目次

「嫌いな人は、自分の写し鏡」ーそう言われたとき

日本のサラリーマン(30代男性)がデスクに座っている。

嫌いな人や苦手な人について人に相談すると、よく言われる言葉があります。

「嫌いな人は、自分自身を映しているのだ」

「相手に嫌だと感じる部分があなた自身の中にあるのよ」

そんなふうに忠告する人がいます。

その言葉を聞いたとき、反応は人それぞれです。

確かに、そう言われてみれば、自分の中に同じような傾向があるな、と気づくことだってあります。

「あ、そっか。自分だって、そういう部分があるかもしれない。反省しなきゃ」

そう思い当たることもあるでしょう。

でも同時に、相手のことで心が弱ったところに、こんなことを言われると、よけいに苦しくなることだってあります。

「とんでもない。そんなはずない」と反発したくなる。

あるいは、「自分のせいで嫌いになってるんだ」と、さらに自分を責めてしまう。

そんなことありませんか?


「写し鏡説」は、確かに当たることもある

日本人女性が洗面台の前で鏡を見ている

嫌いな人や苦手な人との関係について、この「写し鏡説」が全く意味のないものとは思いません。

確かに当てはまることもあるんです。

例えば、職場の後輩が誰にでも気さくに話しかけ、いつも場の中心になっている人を見て、心がざわつくことがあるとします。

そんなとき、実はどこかで、「自分だって気さくに人と話したい」「自分も場の中心にいたい」という願いが、隠れているかもしれない。

つまり、相手の行動に嫉妬して、嫌いになっているのかもしれません。

その気づきは、自分を知る手がかりになります。

自分のどんなところが叶わない想いなのか、それに気づくことで、何が本当に欲しいのかが見えてくることもある。

その意味では、嫌いな人との関係も、自分を成長させるきっかけになることはあるんです。


でも、全ての「嫌い」が「写し鏡」とは限らない

女性が自分の部屋のドアを静かに閉めている

ただし、です。

世の中には、性善説では対応できないような状況も、残念ながら存在しています。

平気であおり運転をする人
SNSでヘイト発言をする人
誰かを傷つけるようなマウントを取り続ける人

そこまで極端ではなくても、職場や友人関係の中には、考えられない言動をとる人だっています。

圧倒的に理不尽なことを言ってくる人
日常的にパワハラまがいの発言をする人
あなたの心を傷つけることを平気で投げつける人

そういう人に出会ったことがないという人は、おそらくいないのではないでしょうか。

こういう場合、その人の言動に嫌悪するのは、決して「自分の投影」ではなく、正当な感情の反応なんです。

そこに「あなた自身の中にもそういう部分がある」という理屈を当てはめるのは、相手の不当な行動を、あなたの心の責任にしてしまう危険性があります。

こんなブログ記事も参考になるかもしれません。
上から目線の友人への対処法。人間関係の見直し


「嫌い」という感情そのものに、いいも悪いもない

男性が自動販売機の前に立ち、缶コーヒーを買おうとしている

心理学では、こう言われています。

感情にいいも悪いもない。

すべての感情は、理由があって生まれてきた。

だから、相手を嫌う自分の感情を、責めないでください。

嫌いだという気持ちを持つこと自体は、決して悪いことではないんです。

むしろ、その感情を丁寧に見つめることで、何が見えてくるのか。

その相手のどの行動が、自分の心に触れたのか。

例えば、相手の「無責任さ」に嫌悪感を感じるなら、あなた自身は「責任を大事にしたい人」かもしれません。

相手の「上から目線」が許せないなら、あなたは「対等な関係を大事にしたい人」かもしれません。

相手の「冷たさ」に心が傷つくなら、あなたは「相手の気持ちを大事にしたい、優しい人」なのかもしれません。

つまり、嫌いだという感情の奥には、自分の大事にしている価値観が隠れているんです。

それを知ることで、自分自身をより深く理解することができる。


消防士時代の長い現場経験の中で、私はたくさんの命と向き合ってきました。

心の病気や自損行為で苦しむ人を救急搬送することもありました。

そのたびに強く感じたことがあります。

それは、そういった人の多くが、真面目で、自責の念が強い人だったということです。

「こんなふうに落ち込む自分は、ダメな人間だ」

「こんなにネガティブな感情を持つ自分は、甘えているんだ」

「誰もがポジティブに生きているのに、自分はなぜできないんだ」

自分の感情そのものを否定し、責め、抑圧しようとしている人が本当に多かった。

でも、その感情を作り出した自分を責めることは、心にさらなる負荷をかけるだけなんです。

ネガティブな感情も、不安も、怒りも、嫌悪感も、すべてが必要なんです。

その感情があるから、「これは自分にとって大事なことだ」と気づくことができる。

その感情があるから、「今の自分は助けが必要だ」と知ることができる。

その感情があるから、「自分は何を大切にしているのか」が見えてくるんです。

だからこそ、嫌いだという感情を持つ自分に対して、あるいは不安や怒りに支配されている自分に対して、「それでいいんだ」「それは自然なんだ」と、まず肯定してあげることが大事なんだと思います。


お釈迦様は、こうおっしゃいました。

「縁なき衆生は度し難し」

あの慈悲深いお釈迦様でも、仏縁のない人は救えない、という意味だそうです。

つまり、完璧で聖人のような人であっても、全ての人と心が通じるわけではない、ということです。

ならば、凡人である私たちが、誰にでも好意を持つことなんてできなくて当然なんです。

「嫌いな感情を持つ自分は、心が狭い」ではなく、「自分も相手も、誰もが完璧ではない」という現実を受け入れる。

その方が、よほど正直で、自分に優しいと思いませんか?


「相手を変えることはできない」ーこの言葉の本当の意味

男性が職場の廊下で立ち止まっている

よく言われる別の言葉もあります。

「相手を変えることはできないから、自分を変えなさい」

確かに、誰だって自分が悪いとは思わないので、変わりたくないし、変わらされたくないはずです。

相手に無理に変わるよう求めれば、激怒させることになって逆効果になることはあっても、相手の考え方を改めさせることなんてできません。

だから、相手は変えられない、という前提は正しい。

でも、ここで勘違いしてはいけないことがあります。

「相手の心は変えられないが、相手の言動や態度は改めてもらう必要がある場合もある」

ということです。

パワハラやセクハラを繰り返す人に対しては、やめてもらわなければいけません。

差別発言を繰り返す人に対しては、言わないようにしてもらう必要があります。

その場合、相手の上司や管理者に厳重に注意してもらう、環境を変えるなど、相手の言動を改めさせる方法もあります。

つまり、「相手は変えられない」という言葉は、万能ではないということ。

状況によっては、相手の態度改善を求めるべき場合だってあるんです。


「自分を変える」ことの本当の意味

女性が朝日の中で、ベッドから起き上がろうとしている瞬間

では、「自分を変える」ことについては、どうでしょう?

変わる必要があるかどうか、変えることができる精神状態かどうか、ということにもよります。

相手の考え方や行動が、どう考えても間違っているなら、自分が変わる必要はない場合だってあります。

何より、メンタルヘルスの観点からいえば、自分の心が疲れ切っているときに、「自分を変えなきゃ」と無理に努力することは危険です。

心が弱った状態で、自分を無理に変えようとすれば、自分の心をさらに傷つけることになってしまいます。

そんな場合は、「自分を変える」ことは避けるべき。

大事なのは、今の自分の心の状態を見つめることです。

もし心が疲れているなら、まずはその心を癒やし、休めることが先です。

視点を変えるのは、心に余裕ができた後でも遅くありません。


あなたが選べる選択肢を、改めて考えてみる

男性が日本の田舎道の分かれ道に立っている。

嫌いな人、苦手な人と向き合うとき、あなたには選択肢があります。

選択肢1:視点を変えて、相手の別の側面を見つめ直す

心に余裕がありながら、「相手のいい所も探してみようか」と思えるなら、そうするのもいいでしょう。

視点を変えることで、相手への印象が変わることもあります。

選択肢2:距離を置く、関わりを減らす

相手が本当に自分の心に合わない、あるいは不当な扱いを受けているなら、距離を置くことが正解かもしれません。

親しい存在だと思っていた人から傷つけられたら、関わりを減らすことも、心を守る大事な選択です。

選択肢3:状況に応じて、その時々で判断する

いつも同じ対応ができるわけではありません。

その日の心の状態、相手の態度、状況によって、最適な対応は変わってきます。

それでいいんです。

その時々で、「今の自分にはどうするのが最適か」と、自分に問いかけてみてください。

相手を変えよう、相手のいい所を無理に見つけよう、ではなく、自分の心を守り、自分の人生を大事にする選択をする。

それが本当の意味で、自分を大切にすることなんだと思います。


あなたの感情を、あなた自身が認める

石川の講演を聴いて涙する参加者

もし今、嫌いな人のことで心が苦しいなら、まずこれだけ覚えておいてください。

「嫌いな人のいい所が見つけられない」ことは、悪いことではありません。

「あの人を嫌う自分は、心が狭い人間だ」と責める必要もありません。

心が苦しいときに、上から目線で「相手のいい所を見なさい」と言われたり、「あなたが変わるしかない」と言われたなら、そういうアドバイスは聞き流してもいいんです。

自分の感情を大切にし、他人の意見に惑わされずに、自己理解を深めることが大切です。

感情そのものにいいも悪いもない。

あなたが何かを嫌いだと感じるのは、あなたの心が、そう感じたからです。

その感情を認め、丁寧に向き合う。

それが、心を癒やす第一歩なんだと思います。


私の講演会に参加された方から、こんなお言葉をよくいただきます。

「特定の人を受け入れられない自分は、なんて心の狭い人間だろうと自分を責めていましたが、その感情にも理由があるのだということに気付かされました」

「今日のお話を聞いて、今の自分でよかったんだ、と安心できた」

「講演を聴いて、今まで苦しんで来た自分を愛おしく思えるようになり、涙が止まらなくなりました」

「とても気持ちが軽くなりました」

こうした言葉をいただくたびに、私も思うんです。

自分の感情を責め続ければ、心はますます苦しくなる。

でも、その感情を認め、受け入れることで、心が少しずつ解放されていくんだと。

あなたもそうなることができます。

あなたが自分の気持ちを「それでいいんだ」と認めた瞬間から、心は少しずつ変わり始めるんです。


今も、答えを探しながら

サラリーマンが東京の夜の街を歩いている

正直に言えば、私も今、答えを探し続けています。

嫌いな人、苦手な人との関わり方について、完全な「正解」を見つけたわけではありません。

でも、だからこそ、わかることがあります。

「嫌いな人は、自分の映し鏡」ーそれは、時に真実です。

でも、全てではない。

「相手を変えることはできないから、自分を変える」ーそれも、時に正しいアドバイスです。

でも、それ以外の選択肢もある。

人間関係は、そんな単純に答えが出るものではないんです。

嫌な人に心を乱されて、苦しくなったときには、これだけ思い出してください。

「嫌いだという感情は、悪いことではない。」

「自分の心を守ることは、悪いことではない。」

「今の自分が、できる範囲で、最適な選択をすればいい。」

何歳になろうと、誰もが迷いながら、その都度判断している。

あなただけが特別に悩んでいるわけではないんです。

自分の感情を信じ、自分のペースで、ゆっくり進んでいってください。

心が前を向く時を待ちながら。

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