12月5日、京都府京丹波町立瑞穂中学校の人権講演会でお話しさせていただきました。
丹波篠山から会場へ

前日は丹波篠山市のホテルに宿泊。
当日の朝、会場へ向かう道はとても天気が良く、山間の景色を楽しみながらのドライブでした。
会場は京丹波町山村開発センターみずほホール。
今回も音響機材を持参したので、午前中から会場入りして準備をさせていただきました。
先生やPTA役員の方々がとても温かく迎えてくださり、気持ちよく準備を進めることができました。
ギターを見つめる生徒たちの目

午後からの講演。対象は生徒さん、PTA役員の保護者の方、そして先生方です。
中学生が主体ということで、いつもの講演より歌を多めに構成しました。
講演が始まる前、生徒たちの視線がスクリーンの横に置いてあるギターに向いているのがわかりました。
「一体どんな講演が始まるんだろう」という好奇心の目。
今までの中学、高校での講演の感想文には、
「人権の講演だと聞いて、どうせよくある話を聞かされるんだと思っていたら、話の内容も初めて聞く消防現場の話だったり、話の間に歌が入ったりして、あっという間に時間が終わった感じです」
という内容がよくあります。
「さて、今日はどんな反応になるんだろう」と、この瞬間がいつもワクワクします。
音楽の成績は1だった私が

この日のテーマは「心の中の思いを大切な人に伝える」ということ。
スライドで、中学生時代の私の写真を見てもらいました。
音楽の授業が苦手で、成績はいつも5段階評価の1。
音符も読めず、ハーモニカもリコーダーもまともに吹けませんでした。
でも、歌を聞くことと、歌うことは大好きでした。
中学1年生のとき、ラジオでビートルズを聴いて衝撃を受けました。
それから音楽にどっぷりはまり、高1のときにギターを手にしました。
夢中でレコードを聴きながら、フォークソングをコピーしました。

音符が読めないまま、ただ「好き」という気持ちだけで続けてきた結果、インディーズでCDを5枚出しました。
学校の校歌を作曲する機会をいただいたり、鳥取県から依頼を受けて自死予防対策の歌を作ったり、こうして講演でオリジナルソングを歌ったりするようになりました。
生徒たちには「好きなことをずっと育ててほしい」と話しました。
交通事故の現場で気づいたこと

感謝を伝えるということについても話しました。
私は消防士として32年間勤務しました。ある交通事故の現場での活動がきっかけで、子どもたちに「生まれてくれてありがとう」と伝えるようになりました。
母には「産んでくれてありがとう」、父には「育ててくれてありがとう」と伝えました。
当たり前のように一緒にいる家族。
でも、その当たり前は、本当は当たり前じゃない。
そのことに気づいた出来事でした。
今までそのエピソードを、たくさんの学校や企業の安全大会でも話してきました。
後日、感想文やメールで、多くの方が実際に家族に感謝を伝えたことがわかりました。
「講演を聞いて帰った日に、お母さんにありがとうを伝えました。」
と書いてくれた人もいれば、
「今はまだ恥ずかしくて伝えられないけど、卒業して県外に出るまでには必ず伝えます」
「面と向かって言うのは恥ずかしいので、メールで伝えました。」
と書いてくれた生徒など様々です。
生徒だけではなく、ある男性会社員も、実際に父親にありがとうを伝えたとメールで知らせてくれました。
それは、お父さんのがんが発見され、車で入院の決まった病院に向かう途中でのことだったそうです。
育ててくれてありがとうと伝えると、お父さんは「俺にはいいから、お前の子供を大切にしてやってくれ」と言われたそうです。
その方はお父さんに気づかれないように涙を拭ったそうです。
その数ヶ月後にお父さんは亡くなられたそうですが、 あの日感謝を伝えられたことが、今の自分の救いになっている、とメールに書いていました。
大切な人に感謝を伝えるという行動は、 伝える相手だけではなく、伝えた本人の心もとても幸せにしてくれます。
相手を、今まで以上に大切に感じられるようになると同時に、 伝えた本人の心が温かくなり、自己肯定感を上げてくれます。
この日も、生徒たちがいつかどこかのタイミングで、大切な家族や友人に「ありがとう」を伝えてくれることを願いながら話しました。
※こちらにも「ありがとう」を伝えるきっかけとなったエピソードを書いています。
「生んでくれてありがとう」と伝えたくなったきっかけは交通事故
言葉は時に命さえ奪う

私が人権についてお話をするとき、絶対に欠かせない「言葉の持つ力」についてのエピソードも話しました。
差別的な言葉だけが人を傷つけるわけではありません。
相手の心を考えずに発した言葉は、時に命さえ奪うことがあります。
実際に私が出動した救急現場での悲しいエピソードをお話ししました。
心の病気から必死に立ち直ろうとしている人が、親戚の人から説教され、 その直後に自ら命を絶たれたという現場でした。
息子の亡骸にすがりついて泣いているお母さんの後ろ姿を見ながら、 相手の心を考えずに発した言葉が、こんなに無慈悲な凶器に変わってしまうのだと、思い知らされました。
そしてその真逆の話もしました。
呼吸をしなくなった息子に向かって
「頼むから呼吸をしてくれ」
「頼むから目を開けてくれ」
と呼びかけ続けた父親の話です。
せっかく言葉を口にするなら、人を傷つけたり苦しめたりすることに使わずに、相手を笑顔にしたり、心を元気にすることに使っていきましょう。
そう呼びかけました。
つぎつぎに手を挙げてくれた生徒たち

講演が終わり、質問や感想のコーナーになりました。
普段、講演後の質疑応答で手が挙がることはほとんどありません。年齢に関係なく、人前で意見を言うのは恥ずかしいものです。
でも、この日は違いました。
生徒たちが次々に手を挙げて、感想を話してくれました。
「消防士の人たちがどんな思いで仕事をしているのか、初めて詳しく知ることができました」
「普段人に話している言葉が、相手を傷つけているかどうかを考えながら話すようにしたいと思います」
「家族に感謝の言葉を伝えたいと思いました」
彼らなりの言葉で、一生懸命に自分の思いを伝えてくれて、とても感動しました。
彼らからもらったパワー
これから中学を卒業し、高校生になり、大人になっていく生徒たち。
その過程のどこかのタイミングで、お父さんやお母さん、大切な人に感謝の言葉を伝えてくれたらいいな。そう思いながら講演を終えました。
生徒たちを前に話したり歌ったりできることは、本当に嬉しく楽しい経験です。
私のほうが皆さんから大きなパワーをもらいました。
会場を後にして、暗くなった道を鳥取まで帰りました。
彼らからいただいたパワーのおかげで、長い道のりも疲れ知らずで帰ることができました。
PTA役員の方、先生方、そして最後までじっくり聴いてくれた生徒のみなさん、ありがとうございました。
また機会があれば、今回歌わなかった別の曲も聴いてもらいたいな。
そんなことを思いながら、鳥取への帰路につきました。

| 項 目 | 内 容 |
|---|---|
| タイトル | 京丹波町立瑞穂中学校PTA 人権講演会 |
| 日 時 | 2025年12月5日(金) |
| 演 題 | 救急現場が教えてくれた命の輝き ~言葉は心を伝えるためにある~ |
| 場 所 | 京都府船井郡京丹波町 京丹波町山村開発センターみずほ ホール |





