2022年5月、私は初めてKindle本を出版しました。
電子書籍だけではなく、ペーパーバックも出版しました。
出版直後には多くの方に読んでいただき、ありがたい感想や評価も寄せられました。しかし、時間がたつにつれて注文数や既読ページ数は少しずつ減っていきました。
新しい本が次々と出版されるなかで、私の本も、いつか埋もれていくのだろう。そう思っていました。
ところが、出版から4年が過ぎた今になって、再び評価がつき始め、読まれるようになっていることに気づきました。
なぜ、4年前に出版した本が、今また誰かの手に取られているのだろう。
そのことを考えているうちに、本の内容だけでなく、私が本を書くことになった経緯や、自分の人生で経験してきたことの意味を、あらためて振り返るようになりました。
コロナ禍で失われた「伝える場」

私がKindle出版を考えるようになったきっかけは、コロナ禍でした。
それまで私は、消防士として32年間働いた経験や、家族とともにさまざまな困難に向き合ってきた経験を、講演を通して伝えていました。
ところが、新型コロナウイルスの感染が広がると、予定されていた講演が次々と中止になりました。
人が集まる催しそのものが難しくなり、学校や自治体、企業などからいただいていた講演の機会が、ほとんどなくなってしまったのです。
対面での講演はできなくても、リモートならやれるだろう。
そう考え、カメラやマイクなどの機材を購入し、オンラインで講演するための環境を整えました。
実際にリモート講演も経験しましたが、モニター越しの講演は、予想していた以上に難しいものでした。
対面であれば、参加者の表情やうなずき、笑い声、会場の空気などから、話がどのように伝わっているのかを感じ取ることができます。
その反応を見ながら、話す速さを変えたり、ジョークを交えたりします。
しかし、モニター越しでは参加者の反応がつかみにくく、私は手応えを十分に感じられないまま話し続けなければなりませんでした。
時には、会場にカメラを設置しないで、こちらの映像と音声を流す一方通行の講演もありました。
それでも、自分の思いや学び、これまでの経験を伝える機会を持てることは、本当にありがたいことだと思いました。
ただ、期待していたほどリモート講演の依頼は増えませんでした。講演をオンラインに切り替えるのではなく、講演そのものを取りやめる学校や自治体が多かったのです。
講演以外にも、経験を伝える方法はないだろうか

人前で話す機会がなくなっても、私が経験してきたことまでなくなるわけではありません。
講演とは別の方法で、自分の思いや経験を誰かに伝えることはできないだろうか。
そう考え続けた末に行き着いたのが、Kindleで本を出版することでした。
本であれば、会場に集まってもらう必要はありません。
住んでいる場所や時間に関係なく、必要としている人に読んでもらうことができます。
講演では時間の都合で話しきれないことも、文章であれば、時間をかけて伝えられます。
こうして私は、これまでの人生を振り返りながら、本を書くことにしました。
出版した本の詳細はAmazonの商品ページでご覧いただけます。
本を書くために、自分の経験と向き合った

本を書くためには、単に過去の出来事を並べるだけでは足りませんでした。
自分は、これまで何に悩んできたのか。
その経験を通して、何に気づき、何を大切にするようになったのか。
そして、その経験は、今悩んでいる誰の役に立つのか。
一つひとつ問い直しながら、自分の人生を棚卸ししていきました。
そして、本としてまとめるには優先順位をつけ、掲載するエピソードを選ぶ作業が必要になります。
原稿をまとめるのに3ヶ月以上かかりました。
私は、何に悩んできたのか
消防の仕事では、数多くの過酷な現場を経験しました。
救急や救助、火災などの現場では、悲しい場面に立ち会うことがあります。
懸命に活動しても救えなかった命もありました。
「もっと何かできたのではないか」
そんな自責の念が残り、月日が過ぎても、自分の心を癒やせないことがありました。
もう一つ、私の人生に大きな影響を与えたのが、妻のうつ病です。
話しかけても返事がない。呼びかけても反応が返ってこない。そんな症状の時期もありました。
夫である自分が彼女を救えない。そんな無力な自分を責め、心に大きな穴が空いたような日々が続きました。
当時は、うつ病体験者の手記なども出版されておらず、今ほど病気に対しての知識は知られていませんでした。
周囲に相談できる人もいなくて、途方に暮れる日々を過ごしました。
弱さだと思っていたものが、私の強みでもあった

私は以前、自分の感受性の強さを、弱さだと考えていました。
現場で目にしたことを引きずってしまう。人の悲しみや苦しみに強く心を動かされる。もっと割り切ることができれば、楽に生きられるのではないかと思ったこともあります。
しかし、人生を振り返ってみると、その感受性があったからこそ、救われてきた部分も大きかったことに気づきました。
消防の現場では、突然の出来事に直面し、混乱したり、深い悲しみのなかにいたりする方々と接します。
私は、できる限りその方の気持ちを想像しながら、彼らの言葉に耳を方向け、言葉を選び、接してきました。
関係者への対応がトラブルになったことはなく、むしろ感謝の言葉をいただくことが多くありました。
傷つきやすさや感受性の強さは、決して弱さだけではありません。
それは、人の痛みに気づき、相手の心に寄り添うための力でもあったのです。
そう気づいてからは、自分の心や感情を否定するのではなく、そのまま認められるようになりました。
そして、自分だけでなく、家族や周囲の人の心や感情も、以前より大切に受け止められるようになったと思います。
家族で向き合った時間が、きずなを深くした
妻のうつ病には、私一人で向き合ったわけではありません。
当時、都会で暮らしていた二人の息子も、妻のことを心配し、連絡を取り合っていました。
家族だからといって、何でも分かり合えるわけではありません。どう接すればよいのか分からず、悩むこともありました。それでも、家族で妻を支えようとした時間は、私たちのきずなを以前よりも深いものにしてくれました。
身近な人がそばにいてくれること。思いを言葉にして伝えられること。それは、決して当たり前ではありません。
その経験から私は、家族のきずなをより大切にしたいと思うようになりました。
今でも、妻や息子たちに、できるだけ感謝の言葉をかけることを心がけています。
自分の経験を振り返り、強みや生きがいにつなげる方法については、「人生経験を棚卸しする意味|過去の経験が生きがいに変わるとき」で詳しく紹介しています。
4年後、言葉が再び誰かに届き始めた

消防の現場で感じた悲しみや自責の念。妻の病気を前にして、自分の無力さを責めた日々。
そして、家族とともに諦めずに向き合った時間。
どれも、経験している最中には、いつか誰かの役に立つとは思えませんでした。
先の見えない長いトンネルの中を手探りで進むような日々は、ただ苦しく、できることなら経験したくありませんでした。
けれども、それらの経験を言葉にして本にしたことで、同じように自分の人生に迷っている人や、家族の病気に苦しんでいる人に届けられるようになりました。
私の本が、そうした方の苦しみをすべて解決できるとは思っていません。
それでも、「悩んでいるのは自分だけではない」と感じてもらったり、張りつめていた心を少し緩めてもらったりすることはできるかもしれません。
そして、何げない日常や家族とのつながりに目を向け、「幸福とは何だろう」と考えるきっかけにもなっているのかもしれません。
出版から4年が過ぎた今、再び本が読まれ、レビューに書かれた感謝の言葉を目にすると、私の思いやメッセージをしっかりと受け止めてくれた方々がいるという事実に、胸が熱くなります。
AIの時代だからこそ、個人の経験が大切になる
今、AIの能力は日々、驚異的な進歩を遂げています。
誤字脱字を直したり、文章を読みやすく整えたりするだけでなく、テーマを伝えれば、内容そのものを生成してくれる時代になりました。
AIは、考えを整理したり、うまく言葉にできない思いを表現したりするときの、心強い手助けになります。私自身も、その力に何度も助けられています。
しかし、AIには、その人の人生を代わりに経験することはできません。
悲しい現場に立ち尽くしたときの感情。
大切な人に言葉が届かず、無力さに押しつぶされそうになった夜。
家族と支え合うなかで感じた、小さな喜びや感謝。
そうした個人の経験は、その人だけが持っている貴重な一次情報です。
AIが多くの文章を生成できる時代だからこそ、実際に生き、悩み、迷い、そのなかで得た気づきや学びは、これまで以上に大切になっていくのではないでしょうか。
経験は、形にして初めて誰かに届く
あなたがこれまで経験してきたことのなかにも、自分ではまだ気づいていない意味や価値があるかもしれません。
何に悩み、どのように向き合ってきたのか。
その経験から、何を学び、何を大切にするようになったのか。
その言葉を、今、必要としている人は誰なのか。
一度立ち止まり、自分の人生を棚卸ししてみると、過去の出来事に新しい意味が見つかることがあります。それは、これからの仕事や活動、発信、そして新しい生きがいにつながるかもしれません。
ただし、どれほど大切な経験や学びがあっても、心の中にしまったままでは、誰にも伝わりません。
文章にする。本にする。人前で話す。歌にする。誰かに語る。
形は、何でもよいのだと思います。
大切なのは、自分の経験を自分の言葉で表現し、形にすることです。
4年前に書いた私の本が、今また誰かに読まれているように、あなたの経験から生まれた言葉も、いつか、それを必要とする誰かの心に届くかもしれません。





