50代から人生を変えたい人へ。脱サラして講演家になった私の体験談

朝の通勤時、自分の人生はこれでいいのか、と反問する男性

「もう遅すぎる」

50代になってから新しいことを始めようとすると、そんな言葉が頭に浮かびます。

定年まであと10年。住宅ローンも残っている。子どもの教育費もかかる。今の仕事を続けていれば、少なくとも毎月の給料は入ってくる。

私も、そう考えて何度も立ち止まりました。

50代半ばで消防士を早期退職し、講演家として生きていこうと決めるまでには、約4年かかりました。

ある日突然、勇気が湧いて人生を変えたわけではありません。迷いながら、できることを少しずつ始め、その積み重ねの先に退職という決断がありました。

これは、華々しい脱サラの成功談ではありません。

「このままの人生でいいのだろうか」と迷い続けた、私自身の体験です。

目次

やりたいことがあるのに、踏み出せなかった

やりたいことがあるのに踏み出せない消防士

消防士として32年間働きました。

過酷な現場もありましたが、やりがいのある仕事でした。私は決して優秀な消防士ではありませんでしたが、消防という仕事には今も深い敬意を持っています。

それでも、心のどこかに別の思いがありました。

人前で話したい。歌を届けたい。自分の経験を、誰かの役に立てたい。

救急や救助の現場では、少し前まで普通に暮らしていた人の日常が、一瞬で変わってしまう場面を何度も見ました。

「人生は、いつ終わるか分からない」

「自分は、本当にやりたいことをいつまで先延ばしにするのだろう」

現場から戻るたびにそう考えました。しかし日常に戻れば、その思いは少しずつ薄れていきます。

考えては戻り、考えては戻る。その繰り返しのまま、私は50代になっていました。

「退職したら、パチンコを思いっきりやるんだ」

空のベッド

そんな私が、自分への言い訳を続けられなくなる出来事がありました。

職場の先輩の死です。

定年を数か月後に控えた先輩に、私は尋ねたことがあります。

「〇〇さん、退職後は何をして過ごすんですか?」

先輩は満面の笑顔で答えました。

「退職したら朝から晩まで自分の好きなことをやるなぁ。まずパチンコを思いっきりやるわ」

消防は、非番の日にも非常招集がかかることがあります。先輩はその仕事を続けながら、実家の農業も手伝っていました。

定年後の時間を、心待ちにしていたのだと思います。

ところが、その後、先輩の体にがんが見つかりました。半年前には人間ドックを受けていたため、まさかという思いだったようです。

本人の意思でしばらく仕事を続けていましたが、少しずつ痩せ、口数も減っていきました。

定年退職の日、先輩は病院のベッドの上で退職辞令を受け取り、その数か月後に亡くなりました。

24時間勤務の消防では、職場の仲間と文字どおり寝食を共にします。危険な現場では力を合わせ、休憩時間にはくだらない話で笑い、非番の日には一緒に酒を飲みました。

その先輩が楽しみにしていたはずの「退職後」は、ベッドの上で終わってしまいました。

頭の中で、先輩の声が聞した

仮眠室で自分の人生について考える消防士

先輩の訃報を聞いたあと、頭の中で声が聞こえたような気がしました。

「石川君、本当に今のままで後悔しないのか?」

「人間はいつ死ぬかなんて分からないぞ。やりたいことをやれよ」

もちろん、先輩が実際にそう言ったわけではありません。私が自分の中で作り出した声です。

それでも、その声は妙に現実味を持って、いつまでも残りました。

本当にやりたいことを一度もやらずに人生を終えて、私は後悔しないだろうか。

仮眠室で横になるたび、何度も自分に問いかけました。

決心したからといって、すぐには辞められなかった

先輩の死をきっかけに「動こう」と思いました。

しかし、翌日に退職願を出したわけではありません。

都会で暮らす子どもたちへの送金、住宅ローンや教育ローンの返済、夫婦の生活。気持ちだけで飛び出せる状況ではありませんでした。

「このまま職場に残ったほうがいい」

「いや、人生は一度しかない」

その間を行ったり来たりしながら、決断までに約4年かかりました。

私は、思い切って崖から飛び降りたのではありません。怖くて飛び降りられなかったからこそ、在職中に小さな足場を一つずつ作りました。

在職中に始めた「静かな助走」

ステージ上で講演する石川

地方公務員という立場で、報酬を得ながら自由に活動することは簡単ではありません。それでも、できる範囲で人前に立つ機会を作りました。

地域の催しで歌い、自治体主催の講座で話し、その活動や自分の考えをブログやFacebookに書きました。

話だけでなく歌も交えたら、どう受け止めてもらえるのか。消防や救急の体験を、どのような言葉で伝えれば心に届くのか。

実際にやってみることで、少しずつ分かってきました。やがて、発信を見た方から講演の依頼をいただくようになりました。

振り返れば、この期間は脱サラを決めるための準備というより、自分の経験が本当に誰かの役に立つのかを確かめる時間だったのだと思います。

妻に、自分の思いを伝えた

妻に脱サラの意思を伝える男性

退職を決める前に、妻に話しました。

「このまま職場にいたら、自分は壊れてしまいそうだ」

「大事な人生を、思いっきり生きたい」

「社会人になる息子たちに、自分が生きがいを持って生きている姿を見せたい」

妻は言いました。

「いつかそう言い出すと思ってた。あなたがやりたいなら、応援するよ」

妻のもとにも、講演やイベント出演の依頼が届くようになっていました。私が思いつきだけで話しているのではなく、少しずつ準備してきたことを見てくれていたのだと思います。

その言葉に背中を押され、ようやく退職願を出す決心がつきました。

講演家になれば、すべてうまくいくわけではなかった

郡家西小学校で講演する石川

退職後、待っていたのは順風満帆な生活ではありませんでした。

思ったほど講演依頼が来ない。収入も消防士時代には届かない。「本当にこれで生活していけるのか」と不安になることもありました。

講演内容も、最初から今の形だったわけではありません。

初めの頃は、自分が学んだことを伝えようとしていました。しかし、参加者の反応を見ながら試行錯誤するうちに、求められているのは整った教訓だけではなく、私自身が現場で何を見て、何を感じ、どう生きてきたのかという生の体験だと気づきました。

失敗や迷いを隠さず、消防・救急現場の体験と歌を通して伝える。現在の「涙と笑いで楽しむ講演会」は、その試行錯誤の中からできていきました。

今も、思い通りにならないことはあります。

ただ、やりたくないことを我慢する苦しさと、やりたいことを続けるための苦労は、私にとって同じではありませんでした。

変わったのは、職業だけではなかった

私は早期退職によって「講演家」という肩書きを得たかったわけではありません。

人と出会い、自分の経験を話し、歌を届け、その時間が誰かの心に残る。そうした形で社会とつながり続けたかったのだと思います。

決して大きく稼いでいるわけではありません。それでも、年齢に関係なく続けられる仕事があり、誰かの役に立てていると感じられる。

私にとっては、それが生きがいです。

もちろん、誰にでも脱サラを勧めたいわけではありません。定年まで勤めることにも、別の仕事を選ぶことにも、仕事以外に生きがいを見つけることにも、それぞれの価値があります。

大切なのは、他人の正解ではなく、自分は残された時間をどう生きたいのかを一度立ち止まって考えることではないでしょうか。

50代からの再出発は、仕事を辞めることから始まるとは限らない

50代には、背負っているものがあります。

ですから「人生を変えたい」と思っても、いきなり会社を辞める必要はありません。私自身も、決断までの4年間に、できる範囲で試しました。

まずは一度、人に話してみる。一度だけ人前に立ってみる。週末に小さく始めてみる。自分の経験や思いを文章にしてみる。

頭の中だけで考えていると、不安は際限なく大きくなります。しかし、小さくても実際に動けば、自分に合っているのか、誰かに必要とされるのか、次に何を準備すべきかが見えてきます。

人生を変える一歩は、勇ましい決断とは限りません。

誰にも気づかれないほど小さな「静かな助走」から始まることもあります。

私も、その助走を4年間続けた一人です。

今もときどき、亡くなった先輩を思い出します。

そして心の中で、こう伝えます。

「〇〇さん、ありがとうございます。私も、やりたいことを先延ばしにせず生きています」

これまでの経験を、誰かに届く言葉に変えたい方へ

私が在職中に始めたことの一つが、自分の経験を文章にして発信することでした。

特別な経歴がなければ書けないわけではありません。これまで働いてきたこと、迷ったこと、失敗したことの中にも、誰かの役に立つ材料があります。

その経験をブログやSNSで伝えてみたい方に向けて、体験をストーリーとして組み立てる方法をUdemy講座にまとめています。
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