一瞬で消えた4人の命|救急現場で学んだ今を生きる大切さ

夜中に走行する救急車

カーステレオからは、激しいビートのロックが流れつづけていました。

若い男女が2人、路上に転倒した状態で動かなくなっていました。
おそらく、衝突時に車から放り出されたのでしょう。

車両の中には2人の若者の姿見え、どちらもピクリとも動きませんでした。

現場の光景とはミスマッチな陽気な歌が、夜のドライブを楽しんでいた彼らの姿を連想させました。

ほんの少し前まで、この夜を楽しみ、青春を謳歌していたはずの若者たち。

笑い声をあげていたはずの若者たち。

でも、今は誰も動きません。

誰も声を出しません。

ただ、音楽だけが流れ続けていました。

目次

救えた命、救えなかった命

仮眠室でうなだれる消防士

消防士という仕事をしていると、命の重さを、日々実感します。

過酷な現場活動を行って、大切な命を助けることができたとき。

その喜びは格別でした。

どんなに体を酷使した活動であっても、その疲れは吹き飛びました。隊員同士が目を合わせ、言葉にできないほどの達成感を共有することもありました。

逆に、どんなにがんばっても命を助けることができなかったとき。

あるいは、現場到着時すでに手遅れで救えなかったとき。

言いようのない無力感を抱えて、現場をあとにしました。

亡くなった人の無念さや、遺体の状態の痛ましさに、消防士の心も平静ではいられないことが多々あります。

出動隊員としてつらかったのは、命を救えなかったときだけではありませんでした。

残された家族の悲しむ姿を目にしたり、泣き叫ぶ声を耳にしたりするとき。

文字通り、胸が張り裂けそうな思いを味わいました。

ブレーキ音で目が覚める夜

仮眠室で目覚める消防士

私が20代の頃に一番長く勤務した署は、橋のたもとにありました。

橋に至るまでの道は、大きくカーブしていました。

昼間はそうでもないのですが、夜間になるとスピードを上げる車が多くなり、けっこうな頻度で事故が起こりました。

署の仮眠室で眠っているときに、ブレーキ音や衝突音で目が覚めることもよくありました。

「また事故か」

そう思いながら、出動指令が出るのを待つ。

そんな夜が、何度もありました。

ある日、そのカーブした道路で事故があり、出動しました。

署から近いので、救急車はすぐに現場到着しました。

歩道にある電柱にぶつかった軽乗用車

真夜中の交通事故現場

救急車を降りてすぐに目にしたのは、歩道にある電柱にぶつかって変形した軽乗用車でした。

フロント部分が大きく潰れ、原形をとどめていませんでした。

若い男女が2人、路上に転倒した状態で動かなくなっていました。

おそらく、衝突時に車から放り出されたのでしょう。

アスファルトの上に、不自然な形で倒れていました。

変形して半開きになった運転席や助手席のドアから、腕や足がはみ出していました。

車両の中にも2人いました。

どちらもピクリとも動きませんでした。

時間が止まったかのように、静止していました。

そして、その静寂の中で、カーステレオからは激しいビートのロックが流れつづけていました。

あっけない死に胸が傷んだ

カーステレオの画像

現場の光景とはミスマッチな、あまりにも陽気な歌。

その音楽が、ほんの少し前まで夜のドライブを楽しんでいた彼らの姿を連想させました。

おそらく、悪ふざけをしていたのでしょう。

奇声をあげながら、笑い合っていたのでしょう。

「次、どこ行く?」

「腹減ったな、何か食おうぜ」

「この曲、最高だよな!」

そんな会話を交わしていたかもしれません。

リズムに合わせて、体を揺らしていたかもしれません。

やがて通過して、思い出になるはずの青春のひとコマ。

それが、ふいにその先を失い、永遠に消えてしまうことになるなんて。

事故の一瞬前まで、誰も想像しなかったに違いありません。

カーブを曲がるとき、スピードを出しすぎていたのでしょう。

ハンドル操作を誤ったのでしょう。

ほんの一瞬の判断ミス。

ほんの少しのハンドルの切り損ない。

それが、4人の命を奪いました。

帰路の救急車の中で

救急車から見える町の風景

病院に搬送したあとも、その4人の若者のことが頭から離れませんでした。

帰路につく救急車に揺られていた私の頭の中で、カーステレオの音が鳴り響いていました。

あの陽気な音楽。

彼らが楽しんでいた音楽。

それが、今も耳から離れませんでした。

家族や友人に別れを告げることもできず、自分自身も命の終わりを意識する余裕もなく、突然この世を去ることの無念を想像しました。

4人の若者は、誰一人考えることはなかったはずです。

まさか、楽しかったはずの夜が最後の別れの日になるとは。

命なんて一瞬で消えていくんだ

「命なんて一瞬で消えていくんだ!」

あまりにもあっけなく消えていった4人の命を思い、そのあっけなさに圧倒されました。

ほんの数時間前まで、彼らは生きていました。

笑っていました。

楽しんでいました。

未来を思い描いていたはずです。

明日のこと。

来週のこと。

夏休みの予定。

将来の夢。

でも、すべてが一瞬で消えました。

ハンドルを切り損ねた、ほんの一瞬で。

電柱にぶつかった、ほんの一瞬で。

すべてが終わりました。

眠れない夜

仮眠室で眠れず悩んでいる消防士

消防局は24時間の隔日勤務制で、夜間は仮眠室で仮眠ができました。

仮眠といっても、昼間に現場活動することもあれば、訓練もするので、疲れ果てて熟睡することもあります。

もちろんそんな時でも、ひとたび出動指令音が天井のスピーカーから流れると、飛び起きて消防車や救急車に乗り込み、現場へ向かいました。

現場活動が終了して署に帰り、ふたたび仮眠室のベッドに横たわっても、疲れ果てているのに眠れないことがよくありました。

自分では気づかぬうちにアドレナリンが分泌され、興奮していて眠れなかったようです。

時には、先ほどまで活動していた現場の光景が、まぶたの裏によみがえり、消えないこともありました。

あの4人の若者の現場も、そうでした。

目を閉じると、そこに現場が広がっていました。

変形した軽乗用車。

路上に倒れた2人。

車内で動かなくなった2人。

そして、流れ続けるカーステレオの音楽。

その音楽が、頭の中で何度も何度も再生されました。

大ケガをしたのが、自分の子どもと同じ年頃の子だったりすると、胸が苦しくなって一睡もできなくなりました。

ましてや、命が救えなかったときは、翌日もその翌日も、何日も何日も、その光景が心から去らなくなることもありました。

「自分が、もっと何か違う行動を取っていれば」

「自分が、もっと何か違う行動を取っていれば、もしかしたら助けられたのではないだろうか?」

そんな自問をくり返すことがありました。

私に限らず、全国の多くの消防士の方々が、そんな経験をしているのではないかと思います。

もっと早く現場に到着していれば。

もっと違う処置をしていれば。

もっと迅速に動いていれば。

頭の中で、何度も何度も、現場の光景を再生しました。

でも、どんなに考えても、答えは出ませんでした。

現場到着時、すでに4人とも動かなくなっていました。

おそらく、衝突した瞬間に、すべてが終わっていたのでしょう。

私たちにできることは、何もありませんでした。

それでも、考えずにはいられませんでした。

「何か、できることがあったのではないか」

その問いは、心の奥深くに突き刺さりました。

無力感

無力感に襲われる消防士

救急隊員として、私たちは訓練を受けています。

どんな現場でも、最善を尽くせるように。

一人でも多くの命を救えるように。

でも、どんなに訓練を積んでも、救えない命があります。

どんなに全力を尽くしても、間に合わないことがあります。

その無力感は、言葉では表現できないほど、重いものでした。

「もっと早く出動していれば」

「もっと近くに署があれば」

「もっと医療技術が進んでいれば」

そんな「もっと」を、何度も考えました。

でも、現実は変わりません。

救えなかった命は、戻ってきません。

誰かから問いかけられているような気持ち

講演で空を見上げる青年

あの4人の若者の現場から帰った後、私は考えました。

誰かから「生きる意味」を問いかけられているような気持になりました。

答えなんて出るはずもないのに、生きることの意味や命について考えました。

ほんの一瞬で消えてしまう命。

楽しい時間から、突然訪れる終わり。

それを目の当たりにして、私は思いました。

「大切な人と過ごす今この時間を、もっと大事に過ごしたい」

文字にすると恥ずかしいのですが、そんなことを考えました。

何でもない日常が、どれほど尊いか

日本の朝食が並ぶテーブル

何度もそんな思いをしてきたので、私は変わりました。

なんでもない平凡で無事な日常が、胸にしみるほどありがたいと感じるようになりました。

朝、目が覚める。

家族が元気に「おはよう」と言ってくれる。

仕事に行って、無事に帰ってくる。

夕食を一緒に食べる。

そんな、何でもない一日。

あの4人の若者には、もう「何でもない一日」は訪れません。

朝、目が覚めることも。

家族と顔を合わせることも。

友人と笑い合うことも。

すべてが、永遠に失われてしまいました。

もしかすると、そんな経験をしていなければ、今も感謝のない一日を過ごし、自分の幸福に気づかず、大切な人の存在さえも意識しない生きづらい日々を、抜け殻のように過ごしていたかもしれません。

あなたの「今日」は、どんな一日でしたか?

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

悲しい話だったかもしれません。

でも、これは私が実際に体験したことです。

そして、この経験を通じて、私はあなたに伝えたいことがあります。

あなたの今日は、どんな一日でしたか?

何でもない、平凡な一日だったかもしれません。

仕事に追われて、疲れた一日だったかもしれません。

でも、今、この文章を読んでいるあなたは、生きています。

今日という日を、無事に終えようとしています。

それは、当たり前のことではありません。

あの4人の若者も、その日の朝、まさか自分たちがその日のうちに命を失うとは思っていなかったはずです。

ドライブに出かけるとき、「楽しい夜になりそうだ」と思っていたはずです。

でも、その夜は、彼らの最後の夜になりました。

今を大切に生きる

救急現場で学んだことは、たくさんあります。

でも、その中でも一番大きかったのは、「今この瞬間の尊さ」でした。

命は、いつ消えるかわかりません。

明日が来ることは、保証されていません。

大切な人と、また会えることは、約束されていません。

だからこそ、今を大切に生きなければならない。

だからこそ、大切な人に、今、感謝を伝えなければならない。

だからこそ、今日という日を、心から味わわなければならない。

大切な人と過ごす今この時間

あなたは今日、大切な人と、どんな時間を過ごしましたか?

笑い合いましたか?

会話を楽しみましたか?

それとも、忙しくて、ろくに話もできませんでしたか?

「また明日話せばいい」

「いつでも会える」

そう思っていませんか?

でも、「明日」が来るとは限りません。

「いつでも」が、永遠に来ないかもしれません。

今日、伝えてください

仲のよい親子

だから、今日、伝えてください。

「ありがとう」を。

「大切に思っている」を。

「一緒にいてくれて嬉しい」を。

照れくさいかもしれません。

恥ずかしいかもしれません。

でも、伝えてください。

後悔する前に。

手遅れになる前に。

今、伝えてください。

今日、大切な人に伝える

ぜひ、あなたも大切な人に思いを伝えてください。

以下のうち、1つ選んで実践してみてください。

1. 家族に「ありがとう」を伝える

  • 「今日も無事に帰ってこれてありがとう」
  • 「いつも支えてくれてありがとう」
  • 「一緒にいてくれてありがとう」

直接でも、電話でも、メッセージでもかまいません。

2. 友人に連絡を取る

  • しばらく連絡していなかった友人に
  • 「元気にしてる?」
  • 「また会おうね」

その一言が、いつか大きな意味を持つかもしれません。

3. 今日一緒に過ごした人に感謝する

  • 同僚に「今日もありがとう」
  • 家族に「今日も一緒にいられて幸せだよ」

どんな小さな感謝でもかまいません。

長い記事を、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

私は今、元消防士として、この経験とメッセージを、講演活動を通じて伝えています。

【学校の授業】

  • 命の大切さを学ぶ授業
  • 交通安全教育
  • 生きることの意味を考えるワークショップ

【企業研修】

  • 安全運転講習
  • 今を大切に生きるマインドセット
  • 職場の人間関係構築

【一般向け講演会】

  • 幸せは見つけるものではなく気づくもの
  • 今この瞬間の尊さ
  • 大切な人への感謝の伝え方

【若者向けイベント】

  • 命の重さを知る
  • 友人との時間を大切にする
  • 今を生きることの意味

もし、この記事を読んで、「この話を直接聞いてみたい」「うちの学校や会社で話してほしい」と思ってくださったなら、ぜひご連絡ください。

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