人生のリモコン(日本海新聞コラム)

リモコンの画像

嫌な事が多かった小学生の頃、楽しかったのは友達と遊ぶことと、悪いことをすることだけでした。

当時は、自分が後年消防士になるなど想像することもなく、校舎が燃えてなくならないかとか、いっそ学校のない世界に誰かさらって行ってくれないか、などと夢想したものです。大人になれば、給食も勉強もない自由な世界で生きられるのだろうか、もしそうだったら今から一足飛びに大人になれないものだろうかと、そんなことばかり考えていました。

もしその時に「人生のリモコン」という物があって、実時間の早送りが自在にできるとしたら、ためらわずにそのスイッチを押していたことでしょう。4倍速どころか、ずっと先のチャプターまで一気に飛ばしていたかもしれません。

大の大人になっても、そんなことを考えた時期がありました。仕事のことで悩んでいた頃、馬鹿げた妄想だと思いながらも、無意識にそんなことを頭に浮かべていました。

しかし、子供ができてそんな考えが霧消しました。可愛くてしかたがないほど可愛くて、まだイクメンという言葉もなかった頃ですが、子供を風呂に入れ、ミルクをやり、おしめを替えました。長男は夜泣きがひどかったので、共働きだった妻と交代で、夜通しあやしたことも何度もありました。大声で泣くこの子も、いつかは独り立ちして出て行ってしまうのだと思うと、その大変な一瞬一瞬がとても大切に思えました。自分にとって嫌な時間を早送りなどしていたら、子供と一緒の時間さえもどんどん早送りされてしまうことになります。

病気や別れなど苦しい思いをされ、心の底から早送りを望んでいる方からすれば、その時の私程度の悩みで、とお叱りを受けるかもしれません。

たとえ、仕事中は子供と離れていても、それはそれで貴重な時間であるはずです。

こっちは仕事で、子供は保育園に行っているかもしれないけれど、自分の時間を早送りするということは、子供の時間も早送りしてしまっていることになるではないかと考えました。
そんな馬鹿げたことなど考える暇があるなら、ちゃんと仕事に専念しろと叱られそうですが(笑)

二人の子供が進学で都会に出て、妻と二人の生活になったとき、
「あの子らがいたらなぁ」
と妻が寂しさを訴える時には、

「今、目の前の空間にいないだけで、こうやってずっと子供の話ができてることって、幸せなことじゃないか。話しているあいだ、子供の存在を感じられるってことだけでも、俺は幸せだと思う」

そんな頃からすると、いくら都会に行ってしまって顔が見れないとはいえ、子供の事について話ができるなんて贅沢過ぎるくらい贅沢なことだと思います。

子供もそうだし、大事な人との時間、大事な人のことを感じる時間、それだけじゃなくて、自分自身が生きている時間、すべて大切だと思えるようにだんだんなって来ました。

その頃から「人生リモコン」のことはすっかり考えなくなりました。

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