どうなったら幸せになれるんだろう?
何をやれば幸せになれるんだろう?
何があれば幸せになれるんだろう?
多くの人が、日常的に「幸せ」を追い求めています。
今まで幸せだと思いながら過ごしていた日々も、このコロナ禍になって、不安に彩られてしまったという人も多いと思います。
この「幸せ」というやつはほとんどの場合、目に目ないし、人それぞれ持っているイメージが異なります。
「幸福」については、いろんなジャンルの学会が研究を続けています。
だんだんわかってきたこともあれば、やっぱりぼんやりとぼやけてよく見えないという部分もありますね。
ただ、間違いないことは、今このときにも、
幸せを感じながら生きている人と
不幸を嘆きながら生きている人と
ふた通りの人間が存在しています。
どうせだったら幸せを感じながら、健康に生きて行きたいと思いませんか?
私自身は、消防士時代に出動した現場で、何人もの人が亡くなる姿を見ながら、
「幸せは自分で気づくものだ」と考えるようになりました。
けっきょく、人は自分が幸せになることを、自分で決めなければ幸せになれないのだと思います。
今回は、いっしょに「幸せ」になる方法について考えてみましょう。
幸福が先か、健康が先か
ずいぶん以前から、
「幸福感があるから健康に長生きするのか」
「健康だから幸福を感じているのか」
という幸福感と健康・寿命の相関関係ついて調査研究されてきました。
その調査結果を見ると、二転三転しているようなんですが、
「英国医学雑誌(BMJ)」が英ロンドン大学による研究結果を特集した2016年の研究結果では、
6年間の追跡期間中に1310名が死亡。
解析を行った結果、人生が楽しいと報告した回数が多いほど死亡率が低下していた。50代以降に楽しく幸せな期間が長く続くことが、その後の死亡リスクの低下に関連している。
という結果だったそうです。
「幸福感」という主観的要素の強いものを扱うのですから、なかなか一筋縄ではいかなかったと思います。
その英ロンドン大学による研究結果によるところの50代以降の時期についてですが、
50代といえば、住宅ローンが残っていたり、子どもの学費ローンなど、まだまだたいへんな年代ではないかと思います。
こんな世の中ですから、いつ災害が起こるかもわからず、新型コロナウイルスが終息したとしても、また新たな感染症の恐怖に襲われるかもしれません。
そう考えると、60代になろうが70代になろうが、心の底から安泰な日々は送れないことになります。
そのことは逆に、幸福を感じることに年齢制限はないということではないでしょうか。
悲しい現場で幸せについて考えた
救急隊員として、また救助隊員として活動する現場で、人が亡くなることがありました。
長く勤めれば、そんな現場に遭遇する回数も増えます。
人が非業の死を遂げる姿は、何度目にしても慣れることはありません。
突然、人生の幕を強制的に降ろされてしまう人生。
しかし、誰にだってそうなる可能性があるのです。
私自身、ふだんから頭の中では「誰だって先はどうなるかわからない」とはわかっていたはずです。
わかっているつもりでも、おそらくは全くリアリティーのない概念でしかありませんでした。
しかし、苦しみながら亡くなっていく人を目にすると、大きなリアリティーの塊を手渡されたようでした。
まさしく自分の問題でもあるのだぞ、と言われたような気持ちにさえなりました。
当時の私は、子育ての忙しさや、仕事の問題などで、幸福感について深く考えることもありませんでした。
いつか生活にも気持ちに余裕ができてくれば、「なんとなく幸せかもしれない」くらい思うかもしれないなあ、という漠然とした気分でした。
しかし、リアリティーを持って自分の「死」や「幸福」ついて思いをめぐらせると、
この調子では何歳になっても、いや一生、幸せなんて感じないままに違いないと思いました。
今のこの問題が解決しなければ
この目標が達成できなければ
もっと時間に余裕がなければ
そんなことを考えて、幸せを感じることを先送りにし続けていました。
おそらく、私に限らず、多くの人たちがそんな思いで日々を送っているのではないかと思います。
そして多くの人が、幸せに気づかず、幸せを感じないまま人生を終えてしまうのではないか、とも思いました。
幸福感は相対的なもの
今、自分の目の前にある幸せを意識していこう、と思うようになりました。
家族がいてくれることの幸せ
友達と話せる幸せ
好きな音楽を聞くことのできる幸せ
自然の中でウォーキングできることの幸せ
大小いくつも幸せがありました。
幸福感を感じている対象も、当たり前に感じてしまえば、つらい出来事があったときには、その存在を意識しなくなりがちです。
幸福感は、いつも同じ大きさでどーんと構えてくれているものではないので、こちらの感情の動きにともなって揺れ動きます。
誰だって、毎日、いつでもどこでも同じ量の幸福を感じ続けることなんて不可能です。
なので、つらい出来事に出くわして、幸福を見失いそうになったら、意識して呼び戻すことが必要になります。
そのためには、日頃から幸せを意識して、幸せを数え上げて追加していくことを習慣にされるといいと思います。
嫌なことやつらい経験は、なかなか記憶から消えませんが、よかったことや楽しかったことはすぐに通り過ぎてしまいます。
一日の終りに、その日のよかった出来事を日記やノートに書き出してみることもおすすめします。
大きな変化のない一日でも、無事に会社から帰宅できたとか、家族の「おはよう」の挨拶が嬉しかったとか、どんな小さなよかったことでも書き出してみましょう。
よかったことを意識して文字にするので、幸福感を意識することになります。
感謝を伝えること
幸福感の研究で幸福度を増すことがわかったのは、
感謝を伝えること
ボランティアなど他者に貢献すること
などです。
誰かにしてもらったことに感謝の念を持つだけでは、幸福感は増えず、感謝の思いを実際に伝えることで増すことが分かっています。
「ありがとう」と感謝の言葉を伝えられていない人がまだいませんか?
すでに伝えた相手でも、何度でも伝えてあげましょう。
勇気を出して伝えられことに、達成感を感じます。
相手の心に喜びの気持ちが広がれば、伝えた自分も嬉しくなります。
お金を使うことも、自分ではなく、他者のために使う方が幸福度が高くなるそうです。
仕事を投げうっての大掛かりなボランティアはなかなか難しいし、生活が成り立たなくなれば元も子もなくなります。
でも、ほんの少しでも善意を表して、そのことを日記やノートに書いてみるのもいいと思います。
自分の幸せは自分で決める
いつかあれが手に入れば
この夢がかなったら
目標を達成したら
そうすれば幸せになれる、と思いがちですが、何かを手に入れれば、また別の何かが欲しくなるのが人間です。
夢がかなったら、別の夢を追いかけ、目標を達成したら次の目標を立てます。
いつまでたっても幸福を感じることができない可能性があります。
夢も目標も大切なものです。
それに向かってがんばることは尊いことです。
しかし、それとは別の次元で「幸福」があります。
目の前の幸せ、自分が持っている幸せに気づき、
大切な人に感謝を伝え
誰かの役に立つことを
自分なりに継続していくことが、センセーショナルな派手さも、人に自慢することも必要のない、確かな幸せだと思います。
あなたは、今、どんな気持ちですか?
幸福を意識して、その感情を文字にしてみませんか。